レティエイ王国の王、ウィリアムは賢王として有名である。
 それまでシェルノン大陸の弱小国であった自国を、弱冠二十歳のころに独自の産業で盛り返し、さらに領地争いを繰り広げていた周辺諸国を少数精鋭の兵とその策謀でもって制した。臣下や民には慈悲深く、敵には容赦しないともっぱらの評判である。その上大陸一の美丈夫と謳われるほど容貌が整っており、現在齢二十六を数える若々しくもたくましい肉体と相まって芸術品のような美しさである。

 そんな王の王妃になった私はさぞや幸せに暮らしているのだろうと国民からは思われているはずだ。




「あら、王妃様じゃありませんこと」
 庭園を散歩していると、嘲笑交じりの声が掛けられた。私はびくりと肩を震わせて振り返る。
「ガーネット様……」
 そこにはスペンサー公爵の娘のガーネットがいた。ぞろぞろと取り巻きを連れている。数えること七人。男女入り混じった彼らは、いつも通り一様に私を嘲った目で見ていた。
「王妃様はお散歩ですか? 相変わらず優雅ですのね。わたくしはこれから陛下のお伴をする訪問のドレスを選ばなくてはいけないから忙しくて忙しくて」
 言下に暇人めと嫌味たっぷりにガーネットが笑う。私は僅かに眉を落とすとうつむいた。
「そう、ですか……」
 私が小さく肩を震わせると、ガーネットは満足したのか鼻で笑った。
「お互い忙しい身ですわね。引きとめて申し訳ございません。では失礼」
 そう言うと、ガーネットは取り巻きを引きつれて去っていった。
「本当に、お飾り王妃は気楽でいいわねぇ」
 というガーネットの声高な嫌味と、それに追従する笑い声が背後から聞こえた。



 お飾り、形だけ、人形。皆表面上は私を王妃扱いしていても、影に回ればそういった陰口を叩いている。
 それもそのはず(といっていいのかどうか分からないが)、私は王妃となって三年近く経過しているが、王と顔を合わせることは公式行事以外はあまりないし、子供も出来ていない。一部の夜会や他国への訪問は王妃の私でなく、まだ独身の高貴な貴族令嬢が行くこともあるくらいだ。これをお飾りと言わずに何と言う。
 




 私は自室に戻ると、ソファに座りこんだ。クッションを抱えてハラハラと涙を流す――



 わけがなかった。


「あらディアナ様、良いことでもあったんですか?」
 私の幼馴染であり唯一の傍付きの侍女であるエリーがお茶の準備をしながら尋ねてくる。
 私はにっこり笑った。
「ええ。ガーネットの取り巻きが増えていたの。それがあのチェスタートン伯爵の三男坊なのよ」
「まぁ。それじゃあもうすぐガーネット様は懐妊なさりますわね」
「ええ。きっと放蕩息子そっくりの茶色い髪の子供でしょうね」
 私はクスクス笑う。チェスタートンの三男坊は女癖の悪い人物なのだ。その上、ガーネットは知らないかもしれないがあの伯爵一族は極めて子供が似通う。今までは懐妊した女性をどうにかしていたが、ガーネット自体が侯爵令嬢、そして公的には王の親しい友人だ。実態はどうであれ、彼女が妊娠したなら周囲は次期王かもしれないと推測するだろう。未婚の女性を孕ませて許されるのは国王ぐらいなものだから。
 そうなったときはさぞや面白いことになるだろう。


 地方のブルネット伯爵家の令嬢だった私が王妃になって三年弱。王から寵愛を受けない私が落ち込むなどということはない。だって私は王を愛してなどいない。
 夜の渡りは月に数えるほど。しかもそのどれも王は私に手を出してこない。結婚の契りを結んだ初夜ですらそうだった。
 しかしそれがどうしたというのだ。私は一切気にしない。生まれてから一度もケーキを食べたことのない人間がケーキが食べられないから死ぬなどとバカげたことを言うものか。

 けれどそれを表面に出してはいけない。計画に障りが出るから。

 今の私を王宮の人間はこう思っているだろう。

「王の気まぐれで娶られ見捨てられた、形だけの哀れな王妃」
「健気に針のむしろで耐え忍んでいる王妃」

 誤解ならどんとこい。というか、わざわざそう見せるように四六時中演技しているのだ。誤解してもらなきゃ困る。陛下に対してだって怯えた演技は欠かせない。
 そういった認識はありがたいのだ。なぜなら私に対するガードが甘くなるから。善良と書いてお人好しと読む人々は私に何かと協力してくれる。力のない王妃に近付ける人間というのは掛け値なしにいい人だ。あるいは腹に一物抱えた人間。そういった人間は強力な味方となる。
 また逆に後ろ盾も弱い力もない王妃と見下されているのも都合がいい。なぜならば人間自分よりも弱いと思いこんでいる人間に対しては結構な隙を見せるから。余計な情報もポロポロ喋ってくれるし、見られちゃまずいことも適当にしか隠せない。むしろ私が知ったところでどうしようもないだろうと見せつけてくる人間だっている。ああおバカさん。こんなのが上流貴族だっていうんだから世も末だ。しかし私にとっては好都合。


 そもそもなぜ私がこんな腹黒いことを考えているのか不思議に思うかもしれない。
 しかし私には――というか、私の一家にはある野望があるのだ。
 クーデターを起こし、現在の王を倒すという野望が。


 我が家は代々、反逆を起こすことが大好きなチャレンジスピリット溢れた家系なのである。事実、私の祖父などは一度レティエイ王国の王を打倒して新しい王を立てたりしているし。
 父は地方領主の不正を暴いて周辺の領主や領民と協力して領主を追い出してその後釜に座った上に、ある豪商をはめて商人の連盟を瓦解させ、自分の都合のいい人間を大量に送り込むことに成功した。
 現在私達の代では再びこのレティエイ王国の国王を倒してみようと計画を練っていた。

 ところがどっこい、計画も佳境に入るかという時にウィリアム王が私を王妃にと言ってきたのである。
 この王政のレティエイにおいて王の命は絶対。一応私は十八歳という若干行き遅れぎみだが結婚適齢期ということもあり、人目のある対面の時ですらこちらを眼光鋭く射ぬいてくる男と結婚することになった。あの鋭い眼光で射ぬかれたら、並みの悪党では心情を吐露してしまうだろう。恐ろしい迫力だった。が、私はその程度で計画を吐くほど脆弱な精神をしていない。逆に完璧に睨まれて怯えるか弱い女性を演じてやった。まあ、向こうは信じてないだろうけれども。

 恐らく、計画がどこかからか漏れたに違いない。結婚前に何度か陛下とは会ったことがあるから、そのいずれかで感づかれたのだろう。私を王妃とすることでブルネット家に対する人質としている。すっぱり一族の処刑をしなかったのは、ひとえにブルネット家が国民から人気の高いからだ。これについては祖父の活躍に起因する。




 レティエイ王国の二代前の王はかなり暴虐な性格だった。兄である先代の王を暗殺して王になり代わり、軍事力に物を言わせ民から税を絞りとり、時には私兵を使って僻地の村から略奪したこともあったらしい。人望はかなり薄かったのだが、密告の推奨や残酷な見せしめ、各所に放った密偵などを使って国民同士の疑心暗鬼を煽り、反乱を起こさせないようにしていた。
 そんな状況にチャレンジ精神を刺激されたのが祖父だ。誰もが王を倒せないと言うならば、自分が倒してやろうじゃないか。そう思って秘密裏に計画を進め、信頼できる人員を集めて国民を扇動し、見事に暴虐な王を倒した。我が祖父ながらかっこいい。
 そして王が倒れた後には暗殺された先代王の息子であったスチュアート王子に政権を譲り、自身は田舎に引っ込んでしまった。暴君とはいえ王に逆らったいやしい身分。政権を取るにふさわしいのは高貴な血筋のものだとして。
 クーデターは計画を立てて実行するのがロマンなのであり、事後処理が済めばそれに興味はないからのその行動だったのだが、周囲は権力に執着しない英雄と称えたのだった。
 ちなみに、その王となったスチュアート王子の息子が現在のウィリアム王である。




 そういった祖父の活躍で我がブルネット家は割と安泰の地位だったりする。
 が、そんな安穏としたものに身を任せていられないのが我がブルネット家。
 反逆こそロマン。陰謀こそロマンなのである。
 謀のない人生など宝石のついていないアクセサリーと同じ。常に己の力を磨き、新たなる計画を打ち立てていた。
 命の危険? そんなものを恐れていては陰謀は成功しない。命を掛けるからこそ面白いのだ。





 お茶菓子を出したエリーが思いだしたように紫色のバラを取り出した。そこには白いリボンが結ばれている。
「こちらが先ほどディアナ様が散歩に出た後に置かれていました。いかがなさいます?」
 私は渡されたそれを慎重に持つと、しばらく眺めてからエリーに返した。
「いつも通りにして頂戴」
「かしこまりました」
 エリーは受け取ったバラからリボンを外すとテーブルの一輪ざしへと生けた。
「監視の目が厳しくなったのでしょうか……」
 バラに目を留めたままエリーがため息を洩らす。私もため息をついた。
「本当に……私にもどこから監視されているか分からないのよ。そんなのを何人も飼っているなんて、本当に王宮は魔窟ねぇ」

 紫のバラはこの国では「あなたを想っています」という意味を指す。
 が、そこに色のついたリボンを結ぶことによって全く違った意味となる。
 この贈り物が意味するのは「警告」。

 計画を進めるための行動に出ると決まってこのバラが送られてくる。概ね三日前後で。早ければその日の内に。送り主は陛下だろう。最近はとみに警告の回数が増えた。
 なぜここまで行動が筒抜けなのか理由が分からない。これでも人の視線や監視の視線にはかなり敏感な方なのだが、まったくもってその気配がないのだ。エリーに伏せて行動した時にもこれは送られてきたし、誰にもばれずに行動した時にも送られてきた。逆にうっかりドジを踏んだ時には送られてこなかったりした。
 謎だ。色々謎だ。しかも警告はしてくる癖に、妨害工作らしきことは一切ない。ハッタリかと思い大胆な行動に打って出ようとすると、そんな時に限って陛下がその場に現れたりするのである。もしかしたら陛下は千里眼の持ち主なのかと疑いたくなるというものだ。
 不安要因が除去できず、クーデター計画の実施がのびのびになっている。

 さて、物騒な意味合いで送られてきたバラだが、私は必ずそれを目につくところに置いておく。
 なぜなら私のファイティングスピリッツが刺激されるから。
 こんな強敵が近くにいるのだ。腕が鳴るというものだ。その挑戦受けて立つ!
 こちらのその心意気を汲んでか、ごく稀に私の部屋に来る陛下はバラが飾ってあるのを見るたびに不敵に笑っている。どうせ貴族の小娘にクーデターなど成功できまいと高をくくっているのだろう。今に見てなさい!

 いきり立つ私に、エリーがそういえばとしまっていた手紙を出してくる。
「招待状が新しくいくつか届いています。ご覧になりますか?」
「もちろん」
 私はエリーから受け取った招待状にさっと目を通した。
 招待状の種類は様々だ。お茶会、詩会、音楽観賞会、それから降霊会なんて怪しいものまである。
「みんな好きねぇ」
 私は招待状を見ながらケラケラと笑った。

 王妃様と親睦を深めるため云々などと書かれているが、当然建前だ。真実を言えば貴族令嬢による王妃いじめの場だ。チクチクネチネチ、時には堂々と私の事を侮辱する。家柄、出身、母のこと、寵愛がないこと、そして見た目のこと。彼女らの悪口の話題は尽きない。こちらが反応してもしなくても、延々と喋り続ける。
 私はそれを青い顔で震えながら聞き、彼女らの思考回路や行動パターン、最近の出来事などをしっかりと記憶することにしている。彼女らは私で鬱憤を晴らし、私は彼女らから情報収集をしつつ弱い王妃を印象付ける。お互いにとって実に有意義なやりとりである。
 確かに私はド田舎の伯爵の令嬢で母は庶民の出だし陛下からは冷たく扱われているし見た目は平均よりはちょっとましぐらいな綺麗系より可憐系の見た目だ。しかしそれがなんだっていうのか。その程度の悪口で落ち込んだり激昂するほどのやわな精神、私は持ち合わせていない。
 陰謀を張り巡らせるには常に冷静に平常心でいる必要がある。そのためブルネット家では幼いころから感情制御について厳しく教育されるのだ。
 さらに言うなら私の母が結婚前は女優をしていたため、表情から仕草まで、演技指導はみっちりされている。真の女優たるもの、体の血流や心拍すらコントロールできて当たり前! というスローガンの下で特訓され、現在では自由自在に顔色を変えられる。涙も三秒で流せる。痙攣などの震えもバッチリだ。特に顔面蒼白になることにかけては私の右に出るものはいないと思う。涙については妹のジュリエッタに負ける。あの子の目には絶対蛇口が付いている。

 閑話休題、私はいくつかの招待状をピックアップすると、それに出席の返事を書くことにした。一番日付が近いのは、どこぞの侯爵令嬢が催すお茶会か。
 陰湿なお茶会、なんてなんて甘美な響きだろう。







 夜、部屋で本を読んでいると先触れが来た。どうやら陛下が来たらしい。
 ノックもせずに扉が開く。部屋の中で淑女の礼を取った私を一瞥すると、そのまま寝室のテーブルの方に歩いて行ってしまった。そして抱えていた書類をどさりとその上に置く。
「仕事をする。先に寝ておけ」
 眉間に皺を刻んだまま陛下が言う。
「陛下、お体に障ります。どうぞお休みになって下さい」
 私が気遣って言ってみるが、
「いらぬ」
 陛下はこちらをちらとも見ずに一刀両断だ。
 このやり取りももはや何回目だろうか。この男がこの部屋に来るたびにやっている気がする。
 このウィリアムという男、よっぽど私が信用できないのか、夜伽どころか一緒の寝台に入ることすら拒否するのである。最初の数回は私の反対を押し切ってソファで寝たし、それ以降はこうして寝室に自分の仕事を持ち込んで徹夜でしている。
 しかもこの仕事っていうのが果てしなくどうでもいい案件なのである。
 いや、仮にも国王に回ってくる書類だから重要っちゃ重要なのだが、例に出すと「後宮に仕掛けたネズミ捕りに兵士が引っかかった件」とか「王宮の柱に悪戯書きをした犯人の侍女による目撃証言」とか、もはやそれ王様に回す必要あるの? ってな案件がほとんどだ。
 まあ先にあげた二件も見方を変えればすごくいい情報で(もちろん私は活用させてもらった)重要と言えば重要なんだけど、陛下のすることと言ったら書類に目を通して判子を押すだけ。徹夜でするほどの仕事なのか疑問だ。

 あ、どうして私が書類の内容を知っているかというと、当然盗み見たからである。
 しかし単に盗み見ようとするには部屋は暗すぎるし、書類の文字が小さすぎる。それなりに近づく必要がある。となるとどうするか。
 まず陛下に寝台を勧める。これはまず断られる。次にせめて仕事の息抜きをと言ってお茶やお菓子を勧める。これはある程度成功するので、この時の飲食物に微量の睡眠薬を入れておくのだ。そして寝入ってる間に書類チェック、と。
 仮にも一国の王ならば毒や薬への耐性があってしかるべきだと思うのだが、今のところ陛下は薬草に近いものであってもすやすやとお眠り遊ばす。あるいは演技という可能性もあるので、陛下が起きた時に言い繕えるように掛布を手に持つことも忘れない。「陛下が風邪を召されないように暖かくして頂こうと思いまして」という言い訳用だ。
 以前に一度失敗して寝ぼけた陛下に剣を突きつけられたが、それ以外はおおむね成功している。あの時は焦った。咄嗟に表情を取りつくろうことすら出来ないほどだった。個人的に一番の失態だと思う。


 さて、いつものように陛下は一心不乱に仕事をしている。
 休憩を入れてもらおうとお茶を入れると、珍しく陛下が私の方を向いた。といっても、決して私の顔は見ないのだが。
 人の感情というのは顔以外に手などの動作にも如実に表れる。陛下が顔を見ないのはその辺に着目しているからだろう。流石は賢王、侮れない。
 しかし私はブルネット家の長女。どんな言葉を吐かれようとも完璧な反応をしてみせる。女は生まれながらにして女優なのだ。そしてそれをさらに磨きあげた私は押しも押されもせぬ名女優なのだ。
 しばらくこちらを観察していた陛下は、やがて重々しく口を開いた。

「…………一ヶ月後、ネルマリア国からヴァイオレット姫を相談役として後宮に迎える」

 ピッシャーン、バリバリバリ。
 効果音がつくならそんな感じの表情をしてみた。目は細かく揺れ、顔は青ざめ、手が小さく震えて全身から冷たい汗を流している。
 字幕をつけるなら、
『ひどい、ワタクシはついにお役御免なのですわねっ……ワタクシはこんなにも陛下を愛しているのにっ!』
 である。我ながら名演技だ。

「左様ですか……」
 か細い声を出しながら私はうつむいた。内心では小躍りしていた。

 来た来た来た! これはきっと私が精神的に弱ってブルネット家の陰謀も簡単に阻止できると陛下が判断したに違いない。で、子供が欲しいけど現在の私が国母となるのは不安要素が大きすぎる。それに陛下に取り入ろうとしている貴族令嬢たちも色々影でやらかしてる連中ばかり。その点ネルマリアのヴァイオレット姫といえば家柄よく美女、しかも留学経験があり陛下とはかつての学友で、その上諸国につてがあるやり手の姫だ。国母には申し分ないだろう。相談役などと言えば聞こえはいいが、要するに陛下と二人きりになっていてもおかしくない肩書が与えられるということだろう。
 もしこれでヴァイオレット姫が懐妊でもしたら、計画が一気にご破算になる。子の生せぬ王妃など不要、とポイ捨てされること請け合いだ。

 これは一から計画を練り直す必要がある。血筋も良く後ろ盾も強力、その上確かヴァイオレット姫は絶世の美女だったはずだ。それに対して後ろ盾のないあんまり美人でもない私が勝つにはかなり苦戦が強いられるだろう。
 いや、いっそヴァイオレット姫に世継ぎを産んでもらって私は王妃から降りるとか。それか生んだ子供を担ぎあげて新しい派閥を……!?
 なんにせよ計画を一から練り直す必要がある。

 ああ、すっごくわくわくする!

 陰謀こそ我が人生我がロマン。逆境こそ天国、試練こそ至上の喜び。
 きっと我が兄弟達も嬉々として計画を練り直すだろう。

 表面上はショックを受けたふりをしながら、新たなクーデター計画を考えて私はうっとりとしたのだった。











 +++











 先代のスチュアート王が崩御された後、陛下の活躍は驚嘆すべきものだった。
 まだお若いにも関わらず、その眼光鋭いまなざしで必要なことを読みとり、適切な指示を出す。最初は意味がないように見えた指示も、時がたつにつれその効果が表れて我々の度肝を抜いた。私も当初は道理の分からぬ若者が適当なことを言っているのだろうとばかりに思っていたが、その認識ががらりと変わり、畏敬の念を覚えたほどだ。
 これがまだ二十代の若者のやったことだというのは、それを目の当たりにしていなければ信じられなかったかもしれない。昔から天才と呼ばれ、また学問については分からないことなどないという驕りがあった私が、生まれて初めてこの方には勝てないと痛感した。
 愚かだった私は心を入れ替えた。誠心誠意を尽くして仕え、今では宰相として陛下の右腕と呼ばれるようになった。そして陛下は、今日までの成功は私の助力があったからこそだとおっしゃってくれた。なんと光栄なことか。

 今や陛下は大陸に名をとどろかすほどの名君となった。陛下がそこにいるだけで覇者のオーラが伝わってくるようだ。



 さて、ある時分にいきなり陛下がディアナ嬢を王妃にすると言ってきた。それまで陛下は何かと考えに沈んでいたことがあったが、もしかしてこのことだったのかと首を傾げた。
 ディアナ嬢はあのブルネット家の令嬢だった。
 歴史の陰にブルネット家ありと言われるほど、ブルネット家の名は貴族には浸透している。
 時に影となり、に表舞台に現れるブルネット家は、歴史的な大きな事件の裏で手を引いていることが多々あると言われている。
 ディアナ嬢の祖父がかつてクーデターを起こして王を倒し、スチュアート王を国王へと導いた事件は有名だ。市井の者も知る者が多く、また、未だに生き証人も大勢いることも手伝って、演劇でも人気の演目となっている。クーデターを起こした反乱分子ではあるが、状況が状況だっただけに市井では英雄扱いが続いているというわけだ。

 ディアナ嬢との結婚の話を聞いてから調べてみると、どうやら最近ブルネット家には微かではあるが不穏な動きがあるようだった。私は自分が鋭い人間だと思っていたが、やはり陛下には遠く及ばないのだろう。
 やはり陛下は素晴らしい。

 さて、無事婚礼を挙げた二人だったが、陛下は王妃になったディアナ嬢に対してしっかりと監視をしているらしい。私の情報網でも、王妃が人脈を広げながら何かしら下準備らしきことをしているのが耳に入っていた。
 不当な扱いを受けながらも決して愚痴をこぼさず、また周囲に頼れる味方もいないように見える彼女。傍目には虐げられた不幸な女に見える。
 だがしかし、それは本当の彼女の姿だろうか。
 仮にもブルネット家の令嬢が、王宮での権謀術数を何一つまともに使えないなどということがありうるのだろうか。
 私は彼女がか弱いふりをして、周囲の人間を観察しているようにしか思えない。


 ある時陛下が何事か思案顔で紫のバラを用意していた。聞けば王妃に渡すのだという。恐らく「警告」を意味するものを送るつもりなのだろうが、陛下はうっかりされていたのか、白いリボンを巻き忘れていた。差し出がましいかと思いながらも私がそれを手渡すと、陛下は穏やかに笑って受け取って下さった。
 流石は陛下だ。


 王妃と陛下は滅多に顔を合わせない。
 王妃の容貌だけ言えば、はかなげで可憐な少女といった見た目だ。だが彼女はブルネット家の人間。見た目通りの人間ではないだろう。
 彼女の見た目にほだされる人間は後を絶たなかった。しかし陛下は冷静で、はっきりとした線引きを彼女との間にしている。感服である。
 どうも寝台すら共にしていないようだ。まぁあの王妃なら、子供ができた途端に陛下を暗殺、なんてこともあり得なくはない。陛下は慎重に事を運ばれるつもりなのだろう。

 王が夜に王妃の元を訪れる際には、必ず政務の書類を持っていかれる。機会があってそれを見たことがあるのだが、書類の中身は下らないようでいて、なかなか面白いものが多かった。なるほど、これを見た王妃が何かしらの行動を起こしたなら即座に尻尾を掴もうというのか。我らが陛下は実に策略家である。


 そして現在、陛下は新しくご友人を国賓として迎えることを決定された。相手は留学中に友人となったヴァイオレット姫。陛下の相手としてはまさに適役だ。
 そう。そろそろ王妃の陰謀の芽もことごとく潰し終わっているし、陛下も良いお年である。恐らく、王妃を国母に据えるには危険が伴うのでヴァイオレット姫にお世継ぎを望むのだろう。
 ヴァイオレット姫が来ることによって王妃が行動を起こし、尻尾をつかめたならば脅威を取り去ることができて重畳。
 何も行動を起こさなくとも、陛下がヴァイオレット姫との間に子を成せば、王妃の交代だって可能になるだろう。おすなればネルマリア国だけでなく、ヴァイオレット姫の人脈により他国とのつながりも強化できる。そうすればますます我が国は発展することができるだろう。

 ああ、常に深謀遠慮で冷静沈着な陛下。私は一生あなたに仕えさせていただきます。










 +++










 俺が最初にディアナと会ったのは王家主催の仮面舞踏会でのことだった。
 仮面舞踏会といっても、国のトップともなれば仮面などあってもなきがごとし。肌を露出し美貌をひけらかし積極的どころか攻撃的に迫ってくる貴族の姫君達にうんざりとしていた。
 宰相のクラウを生贄に差し出して自分はさっさと逃げ出し、庭園の東屋に逃げ込もうとしたのだが。

「――――あら、どなたですか?」

 高い、澄んだ声が聞こえた。
 その声の主が女性だということに気付いてうんざりとした。だがその東屋まで明かりがほとんど届いていないこともあり、相手の女が自分の正体に気付いていないと知った。

「ちょっと人いきれに中てられてね」

 わざと声音を変えて苦笑すると、女も苦笑したのが分かった。
 とはいえ、暗闇で相手の顔はほとんど見えない。

「きっとあなたはお美しい顔立ちをしてるんでしょうね。それとも精悍な体つきなのかしら。ああ、身分が高くて独身とか? 仮面をつけていてもすぐにバレてしまうのはお気の毒ね」

 あけすけな物言いに唖然としていると、それが分かったのか女は明るく笑った。

「参加者の少ない仮面舞踏会で人いきれに参る人なんて限られてるじゃないの」
「それもそうだな」

 同意して再び苦笑する。思い返せば貴族令嬢が自分の元に集まっていたせいで手持無沙汰になっていた男がそこそこの数いた。

「それじゃあ君も人いきれが嫌で?」

 砕けた調子で尋ねると、女は悪戯っぽく笑った。

「舞踏会より、ここの方が静かでしょう? それにこの暗がりなら、身分なんて暗くて見えないわ」

 クスクス笑う彼女は神秘的な雰囲気があった。

「それじゃ君は何を見ているんだい?」
「見なくたっていいじゃない。ただ傍にいれば、自然と分かるものでしょう?」

 確信が籠った口調だった。

「……じゃあ、俺のことも分かる?」
「そうねえ……」

 彼女はしばらく考えているようだった。

「背は高くて、日ごろから体を鍛えてる。普段は女性との交流は少なくて、仕事に熱心。真っ直ぐな性格だけど、自分にあまり自信がなくって、ちょっと不器用。貴族的なおしゃべりは苦手。どう、当たってるかしら?」

 いたずらっぽく言う彼女は楽しそうだ。
 俺はかなり驚いた。
 彼女の言った言葉の前半は俺のことを見ていたらすぐに分かる事実だが、何故か後半の性格面では占い師にすら当てられたことがないのだ。
 何故だかさっぱり分からないが、周囲の人には俺は常に冷静で自信家で頭の切れる王族にふさわしい人間だと思われているらしい。旅の占い師の予言では、俺は類稀なる能力と幸運を持ち合わせているとされた。そして周囲もそれに同意している。
 しかし実際の俺は、悪王を斃した父とは比べ物にならないくらいの暗愚だ。飛びぬけて頭の回転が速いわけでもないし、飛びぬけて強いというわけじゃない。ほんの偶然が重なって、いつの間にか俺が深謀遠慮で比肩する者がいないほどの強さを持つ王と謳われるようになった。
 中身は到底その肩書に釣り合うようなものではないのに。
 しかしどう否定しようと、周囲はそれを俺の謙遜と取るようだった。

「すごいな、当たってる。よくわかるね」

 俺が心底感嘆して言うと、彼女はクスクス笑った。

「だから言ったでしょう? ただ傍にいれば、自然と分かるものなのよ」

 彼女がそう言ったのは、単なる当てずっぽうだったかもしれない。
 けれどもその瞬間、自分は恋に落ちたのだと思う。


 その後すぐに俺を探している声が聞こえたので彼女とは別れを告げなければいけなかった。

 仮面舞踏会が終わってからも彼女のことが一向に頭を離れなかった。
 俺は彼女の名前を知らない。顔形すらも。知っているのはあの澄んだ声だけ。

 それでもどうしてももう一度会いたかった。

 その日の舞踏会の参加者リストを洗い出し、彼女らしき人物を絞っていった。
 いくつかの夜会を開き、候補者となる女性たちと会話を交わす。

 そして諦めかけたとき、ついに求めていた人物、ディアナにめぐり合うことが出来た。
 残念ながら、ディアナはあの日会った人物が俺だと分かっていないようだったが、それでも俺の気持ちが変わることはなかった。




 周囲はあまり良い顔をしなかったが、それを無理やり押し切ってディアナを王妃に据えた。

 しかし、恋焦がれていたディアナに対し、俺は素直に気持ちを表現することが出来なかった。
 話しかけようとすれば喉が張り付いたようになってぶっきらぼうにしか言葉が吐けない。
 微笑もうと思っても顔に変に力が入って眉間にしわが寄ってしまう。
 意識しすぎるせいか、まともに顔を見ることも出来ない。
 初夜、寝台に華奢なディアナが横たわっているのを見て、理性が千切れ飛びそうになった。しかしその服に手を掛けたときのディアナの震えを目にして、一気に体が冷えた。
 戦場で幾人もの命を奪ってきた自分の手が、ディアナを壊してしまうのではないかと強い恐怖が襲った。
 ただ傍にいたい、ただそれだけのことがひどく難しいことに思えた。彼女は俺を王と認識し、その改まった態度が変わる兆しはなかった。そのことに身勝手な苛立ちを覚えては険のある言い方をディアナにしてしまい、自己嫌悪に陥るという負の連鎖に陥った。
 一緒にいたいが、傷つけて拒まれるのが怖かった。
 俺はディアナの部屋に行く時は政務の書類を持っていくことにした。何もしなければ自分の理性のタガが外れそうで怖かったから。
 ディアナが同じ部屋にいるというだけでも緊張し、眠気などこれっぽっちも襲ってこなかった。

 そんな俺の態度をどう思ったのか、ディアナは日に日に俺に対して妙に遠慮した、もっといってしまえばどこか怯えた態度を取るようになった。
 決定的だったのは、寝ぼけた俺が彼女を敵と勘違いして懐剣を突きつけてしまったことだろう。寝入った俺に毛布を持ってきていてくれた彼女は、剣を突きつける俺を茫然として見ていた。ばさりと床に落ちた毛布の音にはっとしたがもはや手遅れで、ディアナは蒼白な顔で震えていた。
 身が裂けるくらい辛かったが、どれもこれも自分のせいだと我慢した。

 少しずつでいい、少しずつでいいから彼女に自然に接することができるようになっていこう。あの仮面舞踏会の日のように。そう自分に言い聞かせて。

 どうやったら歩み寄れるかと考え、花を贈ることにした。
「あなたを想っています」という意味を込めた紫のバラ。
 それを準備していると、宰相のクラウに声を掛けられた。
「陛下、これをお忘れではないですか?」
 白いリボンを差し出されてはっとする。
 そうだ、贈り物と言えばリボンをするに決まっている。ただバラだけを送りつけるのは何とも味気ない。紫色と白のコントラストは、神秘的かつ可憐なディアナの印象とピッタリ合った。
 クラウの助言に感謝しつつ、俺はこっそりとディアナにバラを贈った。

 数日後、部屋を訪れた時にそれが飾ってあるのを見た俺は天にも昇る心地になった。
 まるでディアナが俺を受け入れてくれたようで、浮かんでくる笑いが隠せなかった。



 数週間前のことだ。
 庭園を歩いているディアナを遠くから見ていたときに、俺は衝撃的なものを目にした。

 ディアナが貴族令嬢たちから愚弄されていた。

 青ざめてうつむくディアナを見た瞬間、体中の血液が沸騰したような感覚に襲われた。
 頭が真っ白になるほどの怒りから我に返った時には、すでに誰もその場にはいなくなっていた。

 なぜだ。なぜ王妃であるディアナが虐げられている。投げかけられていた言葉はすべて事実無根の暴言だ。

 なぜ。どうして。

 調べてみれば、ディアナに侍女が一人しかいないのは複数人が手を回したかららしい。たまに開催される集まりではディアナを延々と嬲っているという。
 このまま放ってはおけない。誰か信用できる人間を出来るだけ早く後宮に入れなければ。

 色々考えて、留学中に友人となったネルマリア国のヴァイオレット相談してみたところ、彼女が俺の相談役としてこの後宮にしばらくの間滞在してくれることになった。
 気風のよい彼女なら、ディアナとよい友達となってくれるはずだ。
 これが良い風になればよいのだが。










 +++










 ――正史によると、レティエイ王国のウィリアム王はその妃であるディアナと四人の子をもうけたという。
 また、名宰相と名高いクラウ宰相は降嫁したヴァイオレット姫と結ばれ、五人の子供をもうけ、そのうちの一人は成長した後王太子と結ばれたという。


後書き

 ディアナが夜会を抜け出して暗い所にいたのは、もちろん貴族たちの本性を探るためです。ウィリアムのことを言い当てた判断方法としては、
声が聞こえてくる位置→高身長
腹から出る張りのある声→日ごろから体を鍛えている
女性たちから逃げてきた→女性扱いに慣れていないが女性に囲まれる→高位の貴族かつ普段は仕事中心
喋り方、言葉選び→あまり自分に自信がない、貴族的な婉曲表現は苦手、不器用
という感じです。
王様モードの時と素の喋り方には高い壁があるようです。
[2013年 04月 27日]

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