幼いころから、自分でも自覚できる程わたくしは可愛らしかった。
 輝く金の髪、絶妙に配置されたぱっちりとした紫色の澄んだ瞳、薔薇のような赤い唇、形の良い鼻、そして陶器よりも滑らかで白い肌。鏡の中のわたくしより可愛らしい子供なんて見たことがなかった。当然周囲はわたくしを褒めそやしてくれた。
 成長しても容貌が色褪せることはなく、さらには才能も春の花園のように次々と開花しはじめた。天は二物も三物も与えると言われるほどの美貌と才能を日々の努力で磨き上げた結果、周辺諸国では並ぶものがいないほどの八面玲瓏の才媛と言われるようになった。
 姫君らしく慈悲深い言動を心がけて、その心根までも美しいと言われるようになった。

 我ながら完璧な淑女に仕上がった。いえ、わたくしは完璧なの。生まれ持った完璧主義で最高の自分を作り上げたことに会心の笑みが浮かぶ。
 こんな良い姫、滅多にいないんじゃないかしら? うふふ、我ながらいい女だわ。

 社交デビューを果たしてからは、人脈を広げることに尽力した。わたくしの素晴らしさをアピールする人間は多い方が嬉しいじゃない。王族の姫ということもあり、出会う人々のほとんどがわたくしを称賛してくれる。ああ、なんて気持ち良いんでしょう。でもわたくしは王族としてでなく、一個人として称賛される方が嬉しいのだけれど。だからこそ才能を磨いたのよ。
 わたくしの悪口を言う人もいないこともない。時に真摯な指摘でもあるそれをわたくしは謹んで受け取っている。高位の人間にアドバイスをくれる人間などそうそういないもの。より高みを目指すわたくしとしては十分にありがたい。
 時に単なるやっかみやひがみで言う人もいる。わざとらしく陰口を叩く連中もいる。でもそれもいいのよ。負け犬の遠吠えほど耳に心地よく響くのだから。不敬罪なんて言葉が嫉妬のあまり頭からすっぽり抜けているおバカさんな負け犬の遠吠えを聞いているだけでお肌のつやが良くなりそう。我ながら趣味が悪いとは思うけれど、主義信条は自由なの。それにそんなこと露ほども表には出さないから問題なし。
 表面上には心ない言葉を言われてもいつも毅然としているお姫様と映るんでしょうね。そのおかげでわたくしの評判はますますうなぎ上り。ああいい気分。



 そんなわたくしも年頃になり、ちょっとばかり困ったことになった。

 結婚相手がいないのだ。

 そりゃもう出来のいい娘だったものだから、両親どころか兄姉弟妹みんなわたくしのこと大好きなの。だから悪い虫がつかないよう徹底的に排除。留学を許してくれたときだって王侯貴族だけが通えるようなかなりイイトコに限定されてしまった。まあその分施設も充実して教師の質も良かったんだけれど。
 でもそんな学院に来るような王侯貴族って大概婚約者がいるのよね。身分の高い連中ばっかりだから。そうじゃなかったら学業一筋の偏屈か、さもなきゃ寄るな触るな近寄るなってオーラ出してる女嫌いか。あ、ちなみに女嫌いっていうのは学院に来る前に社交界で貴族令嬢に迫られまくって嫌いになるっていうのが大多数なの。わたくしぐらいの美人だと男の方が寄ってくるけど、ちょっとした美人ぐらいだったら社交界にはありふれてるものねぇ。女性の方からぐいぐい行かなきゃ良い獲物なんて獲得できないわよね。
 まあそれはともかく、学院に行ってる間も浮いた話はなし。
 それ以降も求婚の申し出は掃いて捨てるほどあったけど、わたくしに釣り合う様な男って滅多にいないのよね。

 わたくしとしては好みの男なら誰でもよかったんだけど、うちの家族が張り切っちゃって。娘が大事っていうのもあるけど、外交上のカードとしても有効に使いたいっていうのもあるからね、王族だから。うちは優秀な兄がいるから後継者の分では問題ないのだけれど、それでも地盤を常に強化したいと考えるのは国政に携わる人間としては当然でしょう?



 そんな時だった。ウィルから相談を受けたのは。

 ウィルことウィリアムはわたくしが留学中に知り合いになった男で、当時から博識だし眉目秀麗でレティエイ王国の次期国王というかなりの好条件の男だった。現在では国王につき、弱小国だったレティエイ王国を大陸一の国に成長させたその活躍で諸国にその名をとどろかせている。でもわたくしの好みじゃないのよね。わたくしより背が高いし、普段は凛々しい面立ちなんだけれど、中身がいまいち。

 それはさておき、表面上は彼の友人として心配そうに彼の相談事に乗っていたのだけど正直に言って笑いをこらえるのに必死だった。

 だって、妻と仲良くなりたいとか妻が虐められてるみたいだからどうにかしたいとかって話を大真面目にしてくるんだもの!
 大陸一の美丈夫とか賢王とか戦場の獅子とか呼ばれている彼が今にも自殺しそうなほど思いつめた顔で相談して来たのがそんな内容で、思わずレティエイ王国の行く末心配しちゃったわよ。

 いやね、分かるのよ。そんな情けない内容だからこそ誰にも相談できなかったって。多くの貴族令嬢――あるいは令嬢に限らず――が関わっているのならうかつに周囲に公言すれば国家の一大事。さらにはわたくしも我が友人ながら何この不甲斐なさなんて内心で思っちゃったんだから、臣下にこんな相談した日には今まで築き上げてきた信頼が一気に瓦解しちゃうわよね。なぜかウィルはお国ではクールキャラで通ってるって話だし。でも誰か一人くらい気付きなさいよ、側近でも誰でも!

 思えばウィルは学院にいたころからヘタレだった。何故かウィルは周囲から勘違いされやすいという性質があったせいで色々大変だったみたい。表面上は隠してるから周りは皆勘違いしてたけど、うっかりわたくしが気付いて声をかけてしまったのが運の尽き。それ以降何かと頼られたのだ。もちろんわたくしは性格のよい貴婦人なので、快く彼の面倒を見てあげた。
 ……そのせいでわたくしとウィルが良い仲だとか誤解されたりもしたし。もしかして、学院で浮いた話が出なかったのってこのヘタレのせいかしら。今度彼の食事はカボチャ尽くめにしちゃいましょう。カボチャ嫌い(これも学院では隠していた)のウィルはこっそり泣くだろうけど、それぐらいはしてもいいわよね。

 さて、ウィルの話を色々と聞きながらわたくしは考えを巡らせていた。

 現在のレティエイ王国はウィルがどこにあるのか疑問なカリスマでまとめ上げているものの、先王の時点で存在したいくつかの貴族の派閥があり、さらには制した周辺諸国の代表が作り上げた派閥などがある。というのも、ウィルは敵には苛烈であると称されているが、領地争いに関わる戦争を制した後は実質融和政策をとっているためだ。
 そのため、王都で政治に携わる貴族の中には現在は統一された周辺諸国出身の者も数多くいる。
 そう、数多く。
 貴族っていうのは雑務は他人にさせて当然って考えが普通なのよね。地面に落とした物を拾うことすら従者にさせないと格好がつかないと思っているみたい。
 そういうわけだからよほどの貧乏貴族でない限り、王都に出てきている貴族は家族以外にたくさんの従者を連れてきている。
 勿論わたくしもたくさんの従者や侍女がいるし、仕事の大半はそういった者にさせるけれども、時として貴族同士の馬鹿らしい見栄を張った行動にうんざりしちゃう。
 話がずれたけれども、身内が周囲にたくさんいるっていうことは、その連中が口裏を合わせれば多少のことは誤魔化せるということにもつながる。王政の国で王妃いじめなんて正気の沙汰とは思えないけれど、鬱屈しやすい王宮で集団心理が暴走しているという可能性もある。
 ……というか、何故王妃のいる後宮まで単なる貴族令嬢の侵入を許しているのかしら。風通しが良いにもほどがあるでしょうに。理解しがたいわ。

 それにウィルの妻であるディアナ嬢といえば、あのブルネット伯爵家の人間。策謀にかけては右に出るものいないと一部の貴族では有名なあのブルネット家。いずれ縁を持ちたいと思っていたのだけど、今まで会う機会がなかったのよね。これをきっかけにブルネット家に恩を売るのもありかもしれない。彼女が手も足も出ずに本当に虐げられているのであれば。そもそも大陸一の国の王に恩が売れる機会はそうそうない。学生時代に売った数々の恩は別として。わたくしはあんな下らないことを恩だなんだと言うほどみみっちくなくてよ。

 ウィルのお悩みを解決しつつ、ディアナ妃と仲良くなる方法。ついでに言うとわたくしの結婚問題を解決に近づけつつ外交上有利になるカードを切る方法があった。
 簡単なことだ。

「ウィル。わたくしが貴女の国に参りますわ。そうしたらディアナ王妃様をお助けできるかもしれません」

 にこりと女神のような顔で笑えば、ウィルは一も二もなく賛成してくれた。

 男って単純。







 わたくしにふさわしい趣味のいい馬車に乗り、長期滞在を前提とした諸々の道具を引っ提げてわたくしはレティエイ王国の地を踏んだ。
 大陸一と呼ばれるレティエイ王国の王宮は、実に壮大だ。出来上がったのはつい数年ほど前のことではあるが、一流の建築家たちによって壮麗な建物となっている。この城の、というかこの国の王の王妃になりたいという考えが頭をよぎらなかったと言えば嘘になる。でもウィルの様子を見る限りディアナ王妃にべた惚れみたいだし、無理でしょうねぇ。それにウィルは私のタイプじゃないし。
 こんなにわたくしは美しいというのに、ウィルは一度としてわたくしをそういった対象で見たことはなかった。信じられないことにめったに褒めもしない。当人に自覚はないだろうけれど、ウィルは学者に近いと思う。知りたいやりたいということにだけ一直線だ。それ以外は目もくれない。周りの人間には分かりづらいというだけで。

 馬車から下りるのをウィルがエスコートしてくれる。非常に優しく手慣れたそれは、普通の令嬢ならうっかり自分に気があるのかと勘違いしそうなほど。でも数々の男を手玉に取ったわたくしからすれば、気持ちがこもってないのが分かる。というかむしろ、彼がわたくしに向けてくる感情はどちらかと言えば母親とか姉に向けるものだと思う。わたくしとしても新鮮な気分なので悪くはないのよ。悪くはね。でもわたくしは母性愛より自尊心の方が強いの。

 歓迎の宴を開くということで迎えてくれた人々に特上の笑顔で名乗れば、誰もが皆わたくしに称賛のまなざしを投げかけてくる。貴族令嬢は射殺さんばかりの嫉妬の視線を。なんて気持ちがいいのかしら。これよこれ。これが欲しいの。

 …………あら?
「ウィル、王妃様は?」
 尋ねると、ウィルはゆっくりとした動作で王妃が本来いるはずの場所を見た。わたくしが来たときからいなかったし、恐らく最初からいなかったのだろう。
「………分からぬ」
 相変わらずウィルはボンクラだ。でもなぜか運が非常に良くかなりの結果を叩きだすので、頓珍漢な事をやっても「何か深い意味があるんだろう」と勘違いされがちである。
「何日も前から知らされていた宴に参加しないとは、何たることだ!」
 大臣の一人が不愉快そうに言う。どこかで忍び笑いが聞こえた。
 ふぅん。誰かが王妃を妨害してここに来させないようにしてるのね。声の方向的に貴族令嬢たちで間違いないでしょうね。頭が悪いこと。
 ちらりとウィルを見れば、不愉快そうに顔をしかめていた。
 まったく、おバカさん。このタイミングでその表情をしたんじゃ、まるで王妃が来ないことを怒ってるみたいじゃないの。
 わたくしは内心でため息をつきつつ、表面上は綺麗な笑みを浮かべた。
「あら、もしかしたら具合を悪くされたのかもしれませんわね。よく王妃様が王宮の庭園やお茶会で顔色を悪くされているとネルマリアにも聞こえてきますもの」
 暗に他国まで王宮の王妃イビリの話が回っていると言われ、心当たりのある何人もの人間が顔色を変えた。わたくしは視線を走らせながらその顔をしっかりと覚え込む。
 権謀術数は貴族のたしなみ。使える情報はものにしておかないとね。
「わたくしはあくまで相談役ですもの。わたくしより王妃様のお体が大事ですわ」
 たとえ元の身分が高かろうと王妃より美人だろうとでしゃばりませんわよ、と主張することによって王宮でのわたくしの株が急上昇したのが分かった。

 うふ。この調子でどんどん行きましょう。
 協力してね、おバカさんたち?





 +++





 ヴァイオレット姫を後宮に迎える、ということで迎え入れる側としては情報収集が欠かせない。
 彼女がどう動くかによって、今後ブルネット家による王家反乱計画が大きく変わるのだ。
 陰謀において情報ほど大事なものはない。というわけで、ブルネット家の情報網はちょっとした国家レベルである。
 そのツテを使ってヴァイオレット姫の情報を集めた。
 ちなみに姫の評判をまとめて見ると、
『女神と見紛う美しさ、神に愛されたとしか思えない数多の才能、慈悲深く誰にでも優しい上に自分のことを鼻に掛けない素晴らしい性格』
 という感じになる。数多の才能というのは学問、音楽、芸術、あと武術と医術にも通じているとか。随分あちこちに手を広げている女性だ。
 普通に考えてそんな完璧な人間がいるわけがない。何かしら重大な欠点を隠しているからこそのこの評判だろう。何事も突き抜けてすごい人間というのは性格のどこかも突き抜けているものだから。
 我が兄弟達も私と同じ考えのようで、徹底的に彼女の周囲を洗ってくれた。

 そして、確証はないがなかなかに面白い情報を提供してくれたのだった。




 ついに待ちに待ったヴァイオレット姫の来訪の日、今日ぐらいは嫌がらせはないだろうという予測は外れた。予想以上に考えなしの奴がいたらしい。
 私は部屋の中でため息をついていた。着て行くためのドレスが破かれていたのである。正確に言うと、一部の縫い糸が切られており、来ている最中にあられのない姿になってしまうよう細工されていた。こんなのを着て行った日には笑い物になる上お針子の一族全員の首が切られてもおかしくない。
 他にもドレスはないこともないが、歓迎の宴の日に一度でも着たことのあるドレスを着ていくのはヴァイオレット姫に対して失礼にあたる。質素なドレスも同様。この日のために豪奢なドレスを仕立てたと言うのに。
 国民の血税をなんだと思っているんだろうというのは考えてはいけないことである。
 一応陛下からドレスや装飾品はたくさん貰っている。貰っているのだが、多分に嫌味を含んでいるというか……
「ディアナ様。ここはひとつ、ブルネット家に伝わるコルセットの魔術を使いましょう」
 私の唯一の侍女であるエリーが手をわきわきさせながら言う。
「魔術と言っても要するに力技じゃないの」
「ですがそうでなければ入りません」
 そう。陛下が送ってくるドレスというのが常に私のサイズより小さいのである。特に腰回りは常に指一本どころか二、三本ぐらい細いので、コルセットでかなり頑張らないと入らないのだ。一時期太ったときも、痩せたときも、常に少し小さい。なんとも嫌味な男だ。暴言で傷つくほどのやわな精神は持ち合わせていないが、こういう地味な攻撃の方が腹が立つ。
 乙女ならきっと分かるはず。ウエスト周りが僅かに足りないドレスの忌々しさが!
 ようやく着れるようになったと思ってもドレスの流行なんてあっという間に変わる。袖を通すこともなく処分したドレスは数知れず。本当に憎らしい。

 おっと、そんなことを考えている暇はなかった。
 とりあえずコルセットの魔術(物理)でウエストを細くすると、気分が悪いまま豪華なドレスを身にまとう。  

 最初のドレスの異変に気付くのが遅かったため、必然的に本来の予定より大幅に押している。が、迎えに来る人間はいない。誰かが妨害工作でもしているのだろう。
 まあヴァイオレット姫を調べた感じ、理由があって遅刻したくらいじゃ怒りそうにはないが、自分の評判が上がるように持っていくだろう。最初から一本取られた。




 遅刻しながらもなんとか宴に参加することができた。あちこちから視線の矢が突き刺さる。内心では舌を出しつつも、表面上は青ざめて僅かに震えながら遅れてきた非礼を陛下に詫びた。次いで、陛下と談笑していたヴァイオレット姫に。すると彼女は艶然と微笑んだ。紫色の目が楽しそうに細まる。
「お初にお目にかかります、王妃様。わたくし、ネルマリアから参りました、ヴァイオレットと申します。体調が優れない中この宴に参加していただき、ありがたく存じます」
 うん? 私の遅刻は体調不良ということになっているのだろうか。
 僅かに不思議そうな顔をしてみせると、ヴァイオレット姫は心配そうに眉を寄せた。花の顔は憂い顔も美人だ。
「王妃様の顔色が悪うございますわ。それに先ほどから震えていらっしゃいます」
 頭の切れる彼女のことだから、天然発言ではないだろう。ならばこれは牽制か、それとも敵じゃないというアピールか。

 とかく、気弱で孤立している王妃がこうも心配そうにされてする反応など決まっている。
「お気づかい、ありがとうございます……!」
 瞳を潤ませて、感謝と憧憬をないまぜにしたような視線をヴァイオレット姫に向ける。声を微妙に震わせるのも忘れてはいけない。

 と、陛下が無遠慮に咳払いをする。私はびくりと体を震わせて恐々と陛下に視線を移す。
 陛下はものすごーく不愉快そうな顔をしていた。
「ヴァイオレット」
 短く咎めるように名前を呼ぶ。どうやら私とヴァイオレット姫を近づけさせたくないらしい。まさか公の場でこうも分かりやすく牽制するとは。
「何かしら、ウィル」
 ヴァイオレット姫はきょとんとした顔で陛下に微笑みかけている。
 ふむ、ヴァイオレット姫が陛下を愛称で呼ぶという話は事実だったようだ。
「…………なんでもない」
 陛下は鋭い視線で私を睨みつけてからヴァイオレット姫に視線を戻し、言葉を濁した。
 その時ふと、艶然とほほ笑むヴァイオレット姫の表情に違和感を覚えた。





 +++





 ヴァイオレット様は噂通り、非常にお美しい方だった。
 馬車から降り立つ姿さえ気品にあふれ、この人こそ王妃にふさわしい人物だと感じた。
 金の髪は太陽の光を結ったよう。凛とした瞳はアメジストよりも輝き、肌はお召のシルクのドレスよりも滑らかに見えた。

「――ヴァイオレットと申します」

 女性にしてはやや低めだが、耳にするりと入ってくる美しい声だった。微笑む様子は、清楚な中に妖艶とした魅力がある。
 視線があった瞬間、胸が高鳴る。
「さ、宰相のクラウ・ギル・コンティと申します」
 私が名乗るとヴァイオレット様は花がほころぶように笑った。
「まぁ! クラウ様のご高名はネルマリアにも届いておりますわ! ウィルからもたくさんお話を聞いていますのよ」
 ウィルという呼称にざわりとする。彼女が陛下と思っていた以上に仲が良いということを知り、なぜか胸が痛んだ。





 彼女の歓迎の宴、その席に王妃はいなかった。
「ウィル、王妃様は?」 
 不思議そうにヴァイオレット様が言う。
 実のところ、王妃が私的な行事をすっぽかしたり遅刻したりすることは珍しくない。彼女を良く思っていない人間たちが妨害工作をするためだ。陛下はそれらを黙認している節がある。
 が、これはネルマリア国とも関わりのある公式行事。王妃が自主的に遅れたにしろ、誰かの妨害工作で来れないにしろ、それ相応の責任は取ってもらおう。
「………分からぬ」
 陛下は感情を込めずにヴァイオレット様に対して答えた。
「何日も前から知らされていた宴に参加しないとは、何たることだ!」
 大臣の一人が顔をしかめて吐き捨てた。この大臣は元々王妃を良く思っていない人間だが、今日来たばかりのヴァイオレット様を前にその発言をする無神経さに腹が立った。


 それではまるで彼女が王妃に歓迎されていないようではないか。ヴァイオレット様が悲しまれたらどうするつもりだ!


 そう考えてから愕然とする。自分の思考回路が理解できなかった。

 大臣の言葉に続き、忍び笑いの声が聞こえた。あいつらが関係しているのだろうか。八つ当たり気味にそいつらを睨みつける。証拠集めもしておこう。

 ちらと陛下を伺うと、不愉快そうな顔をしていた。礼儀を欠いた王妃の行為に腹を立てているのだろうか。はたまたそれを仕組んだ連中に?
 しかしそんな空気を変えるようにヴァイオレット様が口を開いた。
「あら、もしかしたら具合を悪くされたのかもしれませんわね。よく王妃様が王宮の庭園やお茶会で顔色を悪くされているとネルマリアにも聞こえてきますもの」
 その言葉に思わず私は凍りついた。王妃が王宮で快く思われていないことは知っているが、他国までその内情が漏れるとは……!
「わたくしはあくまで相談役ですもの。わたくしより王妃様のお体が大事ですわ」
 あくまで慎み深いヴァイオレット様は王妃が宴をボイコットしたとは毛ほども思っていないようだ。なんとお優しく純粋な方だろう。
 穏やかに微笑む彼女が天使のように見えた。




 その後、大幅に遅れて王妃は宴にやってきた。その身にまとったドレスは上質の物ではあるが、歓待のための宴で着るにしてはいささか貧相だった。
 非難がましい視線に王妃はうつむいていたが、やがて陛下とヴァイオレット様に非礼を詫びていた。
 仮にも一国の王妃が詫びる姿に、またしてもそこかしこから非難の声が上がっていた。
 しかしヴァイオレット様はそういったものを断ち切るようににこりと微笑んだ。
「お初にお目にかかります、王妃様。わたくし、ネルマリアから参りました、ヴァイオレットと申します。体調が優れない中この宴に参加していただき、ありがたく存じます」
 体調が優れないという言葉に、私は肝が冷える思いになった。彼女は王妃の遅刻の原因が嫌がらせであると知っているのだろうか。
 が、
「王妃様の顔色が悪うございますわ。それに先ほどから震えていらっしゃいます」
 確かに先ほどから王妃の顔色は悪い。しかしそれは、周囲からの責める視線に耐えられないからだろうと思えた。
 つまりヴァイオレット様の心配は、王妃に露骨に冷たい視線を送る人間に対する非難でもあった。
 そのことに恥じた幾人かが顔をそむけていた。

 しかしヴァイオレット様。王妃はブルネット家の人間です。ゆめゆめ騙されませんよう!
 そう声を大にして言いたいが、今この場で言うことはできない。やきもきしながらその様子を見るだけだ。
「お気づかい、ありがとうございます……!」
 王妃が感動した様子だった。それもヴァイオレット様に取り入るための演技かと思うと非常に彼女が胡散臭く見える。
 すると陛下がそれを咳払いすることで中断させる。 
「ヴァイオレット」
 陛下もやはり王妃とヴァイオレット様を近づけさせたくないのだろう。陛下はとても不機嫌そうな顔をしていた。
「何かしら、ウィル」
 けがれを知らないようなヴァイオレット様は無邪気に問い返している。
 結局 陛下は鋭く王妃を牽制するように睨んでから言葉を濁した。

 それからは陛下と王妃、そしてヴァイオレット様を交えての歓談を楽しんでいたようだったが、
「王妃様!?」
 ヴァイオレット様が唐突によろめいた王妃の体を支える。最初から顔色の悪いと思われていた王妃だが、今やその顔色は真っ青だった。どうやら本当に体調が悪かったらしい。
「すぐに救護室へ!」
 陛下が冷静に指示を出す。
 しかし倒れた本人がそれを拒む。
「部屋に戻れば……治ります……」
「そんな顔色で何を言う!」
 陛下が渋面を作る。
 が、なおもそれを王妃は拒絶した。

 そして意外な人物が間に入った。
「ウィル、彼女が望んでいるのだから、その通りにした方がいいわ。慣れた部屋の方が安心できるでしょう?」
 ヴァイオレット様の言葉に陛下は逡巡していたが、やがてそれを受け入れた。

 お優しいヴァイオレット様。
 彼女から心配そうなまなざしを受ける王妃に、憎らしい感情を覚えた。





 +++





 倒れた理由は情けないことに、コルセットの締めすぎだった。さすがにいつもより三割増しの締め付けは鍛えた体に負担がかかり過ぎたのだ。
「申し訳ございません」
 しおしおとエリーが謝る。笑顔でコルセットの紐を引っ張っていた時とは大違いだ。
「仕方がないことよ。悪いのはドレスに細工した人だもの」
 今回は私的な恨みも込めて犯人たちには倍返しじゃ済まないくらいやってやろう。

 部屋で休んでからしばらくして、人がやってきた。
「ごきげんよう、王妃様。御加減はいかがですか?」
 現れたのはヴァイオレット姫だった。供もつけずに、いや、恐らくは部屋の外に待機させているのだろう。これからの目的のために。
「ごきげんよう、ヴァイオレット様。おかげさまで楽になりました。感謝してもしきれません」
 もしかしたらやってくるのは明日かもと思っていたが、予想以上に早い。
 ヴァイオレット姫はエリーが退出したのを確認してから笑みを深めた。
「ブルネット家の評判は耳にしていましたけれど、どうやら事実だったようですわね」
「……不甲斐ない王妃で申し訳なく思います」
「ふふ、御冗談を」
 皆の前で見せるよりも悪戯っぽい笑顔。それが意味することぐらい私にだって分かる。
「来たばかりの人間だから分からないとお思いですの?」
「何をおっしゃっているのか私には分かりかねますわ」
 変わらず演技を続ける私に、ヴァイオレット姫は面白そうに笑った。
「わたくし、ウィルから問題解決を頼まれてこちらに来ましたの」
「問題、解決?」
 嫌な背中を伝う。
 どこまでばれている? 陛下は彼女に何を依頼した?
 演技は崩れなかったはずだが、ヴァイオレット姫は面白そうに目を細めた。紫の瞳はいよいよ面白そうに生き生きと輝いている。
 いくら真に迫った演技をしようとも、彼女を誤魔化すことは叶わないだろう。

 宴で話している最中、否、最初に言葉を交わした時からからかもしれない。お互いに分かってしまったのだ。

 あ、こいつ猫かぶってる、と。





 +++





 恋する男が盲目というのはまさに事実だと実感した。

 気弱ではかなげで神秘的で可愛らしくて以下略な美点の宝庫だというウィルの『可愛い可愛いディアナちゃん』はどう見ても見た目普通の女性だった。わたくしと比べたら誰しも普通レベルまで落ちてしまうのだけど、それにしても普通過ぎるのよ。可愛いというのは賛成だけど、あくまで普通レベルの可愛さよ。常にプルプル震えてるから小動物的な可愛さもプラスされるわね。

 でもでも、すぐに分かったのよね。
 この子、わたくしのお仲間だって。

 宴に現れた彼女は顔も青ざめて震えてたわよ。ウィルに対して怯えた態度だったし、優しく声をかけたわたくしに対してすごくうれしそうにしてたわ。

 でも、なんか違うって分かっちゃったのよね。
 生まれたときから猫かぶりをしてるわたくしからしたら、あまりにも自分に似た人間がいるから驚いた程。

 ディアナは気が弱くて儚い女性なんだ? 笑っちゃうわ。流石ボンクラのウィルといったところかしら。わたくしからすれば王妃は気が強くて計算高い、かなり図太い子よ。
 演技派であることは認めるけど、このわたくしの目をごまかすのは早いわ。






 気分が悪いと部屋に戻った王妃の部屋を訪ねてみれば、相手も分かっていたのか冷静に迎え入れてくれた。もちろん表面上は驚いた顔を作っていたけれど。私が従者を部屋の外で待たせていることを察し、彼女の侍女も退出していく。
「ブルネット家の評判は耳にしていましたけれど、どうやら事実だったようですわね」
「……不甲斐ない王妃で申し訳なく思います」
 お互いに立場が分からない以上、簡単には明かせないでしょうね。
 わたくしはすっと目を細めた。
「来たばかりの人間だから分からないとお思いですの?」
「何をおっしゃっているのか私には分かりかねますわ」
 わたくしの容貌をまともに見ながらとぼけるなんて芸当が出来る人は滅多にいない。
 普通に対応することこそ王妃が普通でない証左。
「わたくし、ウィルから問題解決を頼まれてこちらに来ましたの」
 その言葉に僅かに王妃の呼吸が僅かに乱れた。音にもならない程の弱弱しい呼吸。
 不思議そうな顔もしながらも、彼女の目は情報を集める者特有の抜け目ない目となった。

 面白い。わたくしも色々な人間と出会ったけれど、ここまで演技の上手い人間は珍しい。そしてかなり頭も切れるだろう。
 ウィルからの依頼の事を話して消される可能性も考えたが、わたくしが来てすぐに何かあれば真っ先に疑われるのは立場の危うい彼女。そんな浅慮なことはしないでしょう。

 彼女がこういう人間である以上、いじめに対するウィルの心配は杞憂だ。わざと泳がせているとしか思えない。となれば問題になるのはウィルと彼女をいかに仲良くさせるか。しかし宴で話してみて分かったが、どうやら彼女はウィルをそれほど好きではないみたい。
 一応ブルネット家の人間ということで不穏な動きも調べてみたけれど、今一番の大計画の要は彼女のようだし、彼女とウィルをくっつければ問題はほとんど解決するだろう。さすがにブルネット家の人間でも愛した夫を手に掛けるようなことはするまい。……恐らく。

 でもいくら相談役だからって、他国の王宮まで来て王妃と王の恋をひたすら助けるっていうのも退屈よねぇ。
 新しく手に入ったおもちゃでどうやって遊ぶべきかわたくしは悩んでいたのだが。

「……宰相のクラウ様をご存じ?」
 唐突に王妃が話題を変えた。
「ええ、存じ上げておりますが……?」
 若いのに国王の右腕として活躍している宰相だ。その上美形というのでネルマリアでも有名だった。
 いいわよね、デキる男。しかも根っからの文官なのに子供が見たら泣きだすくらいのいかつい顔。太い眉とか鋭い目とかが悪いのかしら。肌も髪も全体的に黒っぽいし。でも造形は悪くない。身長は低め。うふ。素敵。ダンスする時に身長差を気にしている男性って可愛らしくて好きよ。
「クラウ様はまだお若い方ですが、とても仕事のできる方なんです」
「ええ、周辺諸国にも聞こえていますわ」
 彼女の意図が分からない。
「また、陛下に強い忠誠を誓っていらっしゃるのです。それはもう、数々の縁談を断るのは陛下が理由なのではと噂されるほどに」
「まぁ……」
「クラウ様はその有能さもあって陛下と出会う前は大層プライドの高かった方だそうで、誰かに仕えるということすら意外だと言われていましたの」
 あら、それは初耳。
「陛下に当初お仕えし始めたころは、衝突が多かったと聞きます。それでも何度かの拳を交えた語り合いや日々の中で陛下と打ち解けていったと」
 ウィルもよくそういった臣下を捨て置かなかったわねぇ。拳の語り合いしなきゃいけないような臣下、うちなら文字通り切り捨てるわ。でもそれぐらい向こう見ずな矜持の高さ、いいわ。
「プライドの高いお方なので、陛下に『いかつい』とか『チビ』とか言われると顔を真っ赤にして怒るんですよ。それ以外の方だったら涼しい顔で受け流すことができるんですけれど」
「……それは普通逆じゃないのかしら」
 でももしかすると自分が認めた人間以外から言われても気にしないのかもしれない。
 あの取澄ましたいかつい顔のクラウ様が顔を赤くして怒っている様子を想像すると胸がときめいた。可愛いわ。
「ご本人は甘いお菓子と猫が大好きなのですけど、宰相としての威厳がなくなるからと必死で隠しているんですの。以前は拾った猫を運んでいるところをどうするのかと下女に尋ねられて猫鍋にすると言って誤魔化したり。城のものが本気にしてしまってちょっとした騒ぎになりましたの。あとご本人が本当は子供好きらしいのですけど、姪っ子に泣かれて以来かなり気にしているらしいですわ」
 どうしよう。クラウ様かなり好みだわ。ぜひともわたくしに惚れさせて振り回して弄びたい。弱みを握って押し倒して泣かせて懇願させてみたい。彼のそんな顔を想像するだけで体中がぞくぞくする。

 ふぅ、と王妃は悩ましげにため息をついた。そしてちらりとわたくしの顔を見る。

「他にも私、ご本人には言っていませんがクラウ様の弱点を握っておりますが」

 わたくしは彼女とがっちりと手を握り合った。





 +++





 ヴァイオレット姫がプライドが高いけど純情な男を調教するのが好きな隠れ鬼畜サディストで助かった……!
 彼女が帰った後、私はしみじみと思っていた。
 正直確証のない情報だったが、どうやら事実だったらしい。元々ご同類ってことである程度の親近感はあったし、私にとって邪魔なクラウ宰相を生贄に出来たのは幸いだった。どうぞ思う存分いたぶってほしいものだ。
 陛下からの依頼というのが気になるが、よく考えたら彼女が私にばらしたということは私にとってそれほど重要でないのだということがうかがえる。一体なんだったんだろう。調べておこう。

 ヴァイオレット姫が帰ってから程なくして、陛下がやってきた。
 相変わらず苦虫を十匹ぐらいかみつぶしたみたいな顔で私を見ている。
「…………具合は」
「おかげさまで、かなり良くなりました。ヴァイオレット様にもお見舞いの言葉をいただいて」
 このタイミングで来たということは、ヴァイオレット姫と私が会っていたこともばれているのだろう。私の部屋は特別厳重にしてあって会話の盗み聞きは出来ないようにしてあるし、人の気配もなかったし決定的な会話もなかったから大丈夫だとは思うが、この男のことだ。何の会話をしたかは大方察しているのだろう。

 私の言葉に陛下は眉間のしわをさらに深くした。
 というか、なんで陛下はここにいるのだろう。ヴァイオレット姫を歓待すべきじゃないのか? いや、でもさっき主役のはずの人間が来ていたしな……
 陛下はしばらく無言で私を睨みつけていたと思ったら、踵を返して無言で去ってしまった。


 どうやらヴァイオレット姫本人はともかく、陛下は彼女をかなり気にかけているようだ。
 男が美女に弱いというのは古今東西同じらしい。
 うらやましいことだ。性癖はともかくとしてあんな美人で有能なお嫁さん。私が男だったら何人も有能な美女を侍らせるんだけど。んでその優秀な美女を間諜にしてあちこちにもぐりこませる。
 …………美女を間諜にっていうのはすでにブルネット家でやってるけど。

 ある程度ヴァイオレット姫の協力みたいなものは取り付けられたし、厄介なクラウ宰相もなんとかなりそうだし、クーデター起こすならやっぱり一番の難関は陛下だろう。やたらと先手を打たれてしまう。ヴァイオレット姫が来てからも相変わらず監視の目は緩まず、警告を意味した贈り物は止まない。
 情にほだされにくい陛下の監視の目をどうやって緩めさせるか。
 やっぱり陛下が大事にしてるヴァイオレット姫と仲良くなることが近道だろう。いざとなったら彼女を人質にしよう。
 そのためにも今後も積極的にヴァイオレット姫と接触を図ることにしよう。





 +++





 奇しくも女性二人の利害が一致したため、国王陛下ならびにクラウ宰相、そして王妃とヴァイオレットの四人でのお茶会がそれから頻繁に催されることとなるのだった。


後書き

 ヴァイオレット様に関する時だけは宰相のクラウが乙女度2割増しになります。ウィルといいクラウといいこの後に出てくる近衛隊長といい、男性陣の謎ポエムを書いているときはすごく恥ずかしいです。
 ちなみにこのシリーズに出てくる女性で性癖以外で一番まともな常識人がヴァイオレットになります(当社比)。性癖や性格はアレですがパワフルで行動力があり根が善人で言動も善人、あれつまりこれって善人じゃない? という作品を展開させる上でいると助かる作者のお気に入りのキャラです。
[2013年 11月 20日]

inserted by FC2 system