レティエイ王国を治めるウィリアム王は、大陸一の王さまとだとおもいます。

 なぜなら王さまは大陸一かしこく、大陸一じひぶかく、大陸一おうつくしいからです。パパよりもずっとずっとすごい人です。

 その大陸一すばらしい王さまには、お妃さまがいらっしゃいます。

 王さまとお妃さまはけっこんしたのに長いあいだなかがわるかったそうです。パパは王さまがお妃さまとけっこんしたのはきっとりゆうがあったにちがいないといいます。
 でもネルマリアからやってきたヴァイオレット姫がなかよしになるようお手伝いをしてくれたので、二人はなかよしになることができました。

 パパはヴァイオレット姫と王さまにお子ができたらいいのにと言っていましたが、わたしは王さまとお妃さまがなかよしになったのはとてもいいことだと思います。
 パパもよそのお姉さんたちでなく、ママとなかよくしてほしいと思います。



             ――レティエイ王国の大臣の娘が学校で発表した作文より。








 +++








 大陸一の賢王と名高いがその実ボンクラ天然おバカさんなウィルは、時々とんでもないことを言う。

「ディアナとの子供が欲しいんだ」

 いつも何枚もの猫を被っているわたくしでさえ、思わずお茶を噴き出しそうになるほどの破壊力だった。




「……ウィル。それはどういう思考を経ての結論なのかしら」
 ディアナとの子供ができるに越したことはない。何しろディアナは王妃だもの。その子供が男なら世継ぎ誕生でひとまずはこの国も安泰でしょうね。何しろ母親があのブルネット家の長女。その子供を容易に暗殺できるような状態にするわけがない。もしそのような状態に見えるとすれば、それはディアナによって幾重にも張り巡らされた罠に決まっている。
 わたくしが率先してお茶会を開いているせいか、以前よりはウィルとディアナの仲が良くなった。言葉を交わすことも多い。ごく普通の知り合いレベルの親しさであることは指摘してはいけないんでしょうね。言ったらきっと目に見えてウィルは落ち込んでしまう。慰めるのは大変だ。
 二人の距離が近くなったことである程度落ち着いてはいるけれど、未だにディアナを正妃から引きずりおろしてわたくしをウィルの王妃へとしようとする勢力がある。なにしろわたくしはネルマリアの王女。ウィルとの間に世継ぎができればネルマリアとの関係は安泰、血筋も高貴となること請け合いですもの。その上わたくしの優秀な能力と麗しい容貌、そしてウィルの容貌(優秀とは認めないわよ)を受け継ぐならば、大陸では並び立つものがいないほどの素晴らしい子供になること間違いなし。さらに加えてわたくし自身が諸国との太いつながりがあるので後ろ盾も強力になるでしょうし。
 でもそもそもわたくしがこの国に来た理由って、ヘタレすぎるウィルにディアナと仲良くなりたいから協力してほしいと頼まれてきたからというものなのだけれど。

 なんとか落ち着きを取り戻したわたくしはウィルの考えを読もうとじっと彼の顔を見つめた。
 ウィルはそりゃあもう照れくさそうに笑った。
「最近はディアナとも話せるようになったから、そろそろ子供が欲しいと思ったんだ」

 あらやだめまいがするわ。三段跳びも真っ青な発想の飛躍ね。踏むべき手順を知らないのかしら。いえ、知っていたらいきなり何もかもすっ飛ばしてディアナを王妃にするなんてするわけがないわね。

 あくまで表面上はにこやかな顔を保ちつつ、ウィルに助言をする。
「あなたとディアナ様の子供ならさぞや可愛らしくなるでしょうけれど、もう少しディアナ様と甘い時間を過ごした方がよいのではないかしら。まだ年齢的にも余裕はあるでしょう?」

 というか。

「せめて同衾してからそういう発言しなさいよ! あなたまだ子供をつくるどころか最近ようやく手をつないだばっかりでキスだってまだでしょこのお馬鹿!」
 ……などということは口が裂けても言えないのが淑女の悲しいところよね。

 本人は一緒に散歩して会話できるようになっただけでかなり嬉しそうにしているのだけれど、そんな様子じゃ子供ができるのなんて何年先になるのかしらね。
 っていうか、ウィルは子供の作り方知ってるのかしら? この頭の中お花畑のボンクラが、どうしてこのレティエイではクールな切れ者の王として通っているのか不思議だわ。どの辺がクールなの?
 少なくとも「ディアナと視線を合わせて会話することができた」という話を嬉々として一晩中わたくしに聞かせるような男はクールとは思わないわ。寝不足は美容の大敵だというのに。でも相談役という名目でこの国に招かれている以上、邪険に扱うわけにもいかないのが辛いところ。

「甘い時間、か」
 ウィルはどこかうっとりしたような口調で呟き、口元をだらしなく緩めた。きっと脳内でディアナとの甘い時間を夢想しているのだろう。
 まったく。どの辺がクールなのかしら。

 わたくしが内心で呆れていると、ノックの音がした。ウィルが入室を許可すると、宰相のクラウ様が入ってきた。
「陛下、そろそろお時間です」
「分かった。すぐ行く」
 ウィルは先ほどの妄想が尾を引いているのか、随分とにやけた顔をしてる。クラウ様は随分とウィルを敬愛しているようだけど、こういうところを見て幻滅しないのかしら?
「――お話のところ、お邪魔して申し訳ございませんでした」
 クラウ様が深々とわたくしに頭を下げる。何故か辛そうな顔だ。
 この方は最近会うたびにこういう顔をなさるのだけど、わたくし何かしたかしら? 計画や妄想はしてても、まだ実行に移した覚えはないわよ。
 わたくしが虐めて辛そうにするのならともかく、勝手に辛そうにされるのは心外だわ。

 一度ディアナに相談してみようかしら。








 +++








 ヴァイオレット様がいらっしゃってから、陛下は以前よりもずっと生き生きとしていらっしゃる。
 心優しいヴァイオレット様は、愛のない陛下と王妃の関係を憂い、何かとお二人との間を取り持とうとされる。なるほど相談役と呼ぶに実に相応しい心根の方だ。
 その健気さに陛下も思うところがあったのだろう、最近は王妃とも陛下は親睦を深めるようにしているようだ。

 しかしそれと同じくして、陛下がヴァイオレット様に様々なことを相談されるからだろう、陛下とヴァイオレット様の距離も近づいているようだった。陛下は政務の合間の休憩には必ずヴァイオレット様を呼び、人払いをして二人きりでお話をなさっている。もしかすると相談というのは単なる口実にすぎないのではないかと思うほどだ。
 また、しばしばヴァイオレット姫が率先してお茶会を開かれる時には陛下は必ず参加なさる。お二人が並んで座った時にはまるで一枚の絵画のような美しい光景となるのだ。

 それはお二人だからこそ生み出せるもの。

 お二人が仲睦まじくされている様子に嫉妬してしまう私は、なんと醜く浅ましいのだろうか。

 ヴァイオレット様にお会いする度思いが募り、お声をかけていただくだけで天にも昇る気持ちになる。
 しかしヴァイオレット様はあくまで陛下の近しいご友人だ。彼女が陛下を見るまなざしには大きな慈愛が見てとれるし、陛下から彼女へ向けられる視線には、全幅の信頼と愛情が見える。私の気持など迷惑なものでしかないに違いない。私の唯一の主である陛下を裏切ることにもなる。

 今日も陛下を呼びに行けば、ヴァイオレット様とお話をなさっている最中だった。
 ヴァイオレット様と話されている陛下の顔はとても幸せそうな顔をされていた。いつもの鋭さはなりを潜め、穏やかで甘い雰囲気をされている。きっと私が来るまでは、ヴァイオレット様と甘い語らいをされていたのだろう。

 私がヴァイオレット様にお会いする時は、必ずといっていいほど陛下も傍にいらっしゃる。今のように仲睦まじいお二人の様子を見ているだけで、キリキリと胸が痛むのだけはごまかしようがなかった。








 +++









 俺とクラウとは幼馴染で、性格は正反対なのに何かとつるむことが多かった。腐れ縁ってやつかもしれない。
 ひょろっこい見た目で気まぐれな俺と、いかつい見た目で頑固なクラウ。正反対の見た目と性格だったのが職業選択にも出て、俺は武官であいつは文官として働くことになった。
 しかしお互い方面が違えど優秀だったようで、若いうちからあいつは宰相、俺は近衛隊長となることができた。

 その優秀な宰相と名高いクラウが、最近かなりヤバくなってるらしい。

 噂を聞いて俺もあいつの様子を気にかけるようになったんだが……


 あれはヤバい。


 前々からね、俺も思ってたんだよ。あいつ陛下好き過ぎるだろって。
 当初こそケンケン言ってたけど、まぁ色々あってからは手のひら返したように陛下陛下って言うようになったし全幅の信頼寄せてるし。あのプライドが糞高いクラウが自分から膝折るとかマジで冗談かと思ったもん。

 縁談もずっと「仕事があるから」とか言って断ってたから、女官なんかの間では結婚して陛下との時間が減るのが嫌だからじゃないかって噂もね、ちらほらあったんだよ。

 まあ俺は幼馴染だし? あいつがそういう性的嗜好じゃないって信じてたよ。
 …………信じてたのに。


 三年前にブルネット家のディアナちゃんを陛下が王妃として迎えるって言った時のあの猛反対っぷりもね、きっとあいつなりに反対するまっとうな理由があるんだと思ってた。貴族の間の事情にいまいち疎い俺には分からないような何かが。
 ディアナちゃんが王妃になった後も陛下の前でだって慇懃無礼な態度を取るのも、あいつがプライドめちゃくちゃ高いからだと思ってた。ま、陛下も咎めなかったしね。陛下の考えることはどうにもこうにも先の先を見過ぎているせいで俺みたいな筋肉馬鹿にはよく分からないけど。
 
 けどさ、ネルマリア国からヴァイオレット姫が陛下の相談役として後宮に招かれてからのあいつの変貌っぷりは目も当てられない。


 あのいかつい顔が、乙女なんだ。
 顔赤くしたり目を潤ませたりして陛下見てんだよ。ない。色々あり得ない。
 で、ヴァイオレット姫と一緒にいるとこ見て、いっつも切なそうな顔してるわけ! 無理無理マジ無理。
 前までは出席なんてほとんどしなかった茶会も、陛下が誘うからかほいほい出て行くし。
 陛下とヴァイオレット姫が一緒にいるときに邪魔するかの如く毎回毎回訪れてるし! なんか最近ついに二人のお茶会風景描いた絵画買っちゃったらしいし!?

 ああああああ! あいついつからそんな男になっちまったんだよ!? マジありえねぇ!
 何? 陛下敬愛しすぎてそのまま突き抜けちゃったわけ? やっぱり今までディアナちゃんに冷たかったのってそういう理由!? ヴァイオレット姫と二人っきりになるのわざとらしいくらいに避けてるのって嫉妬で手ぇ出ちゃうからとかそういう理由!? 陛下逃げてマジ逃げて!



 俺が悶々と悩んでいると、ふと人が近づいてくる気配があった。
 顔を上げるとそこには褐色の髪をした身なりのいい少女がこちらを心配そうに見ていた。

「あの、どうかされましたか? ご気分が優れないんですか?」

 俺がいたのは城下の噴水広場。せっかくの休日だからと町に繰り出し王宮よりは人の視線が少ないと気を抜いていたが、気付けば周囲から結構な注目を集めていた。
 ヤバいな。

 俺に声をかけてきたのは控えめな声音にふさわしく、おとなしそうな容貌をした少女だった。はかなげで庇護欲をかきたてられる雰囲気だ。
 肉感的な女もいいが、こういう子も好きなんだよなぁ。
「友人のことでちょっとね」
「まぁ、大変ですわね」
 俺が軽く笑うと、少女は大層気の毒そうに俺を見た。そんな顔をされるほど俺は悩んでいたのだろうか。いや、悩んでるけど。人生でかつてないほど悶々としてたけど。
「私でよければ少しお話を伺いましょうか? 悩み事は人に話せば楽になるといいますし」

 ふわりと笑う少女になんとなく肩の力が抜けた。

「んじゃあ、ちょっとだけお兄さんの愚痴に付き合ってもらおうかな」
 俺がおどけた調子で言うと、少女はくすっと笑った。
 そうして俺たちは適当なカフェに移動した。少女はジュリーと名乗った。
 俺はジュリーに向かってクラウのことをぼかしつつ冗談を交えつつこぼした。彼女は些細なことでも素直に感心してくれたり笑ってくれたりするので非常に話が弾んだ。見た目からして恐らく年齢は俺より十は下だろう。しかし随分と大人びた雰囲気の子だ。

 一通り愚痴が終わると確かにすっきりとしていた。
 ふと気付くと、ジュリーは寂しそうな顔をしていた。
「どうかしたの?」
 俺が尋ねると、ジュリエッタは小さく首を振った。
「こんなに心配してくれるお友達がいるなんて、羨ましいなって思って」
「ジュリーだって友達いるだろう?」
 首を傾げて聞けば、彼女は寂しそうに笑った。
「今はちょっと、遠くにいるんです。王都には来たばっかりだから、友達いなくって」
「来たばっかり?」
「ええ」
 そう言うと、ジュリーは目を伏せた。
「私は家じゃあ落ちこぼれで。実家にいても役立たずだから……」
 ジュリーの目に涙が浮かんだかと思うと、それはすぐにあふれ出して頬を伝った。ジュリーがうつむく。
「王都に出て、遠縁の人の紹介があるから酒場で働いて来いって言われたんです……」
 ハラハラと落ちる涙に胸が締め付けられるような気分になった。
 ジュリーの身なりからして、結構な家の出身だろう。もしかすると貴族かもしれない。貴族ならば結婚適齢期かそれより少し幼いか。そんな少女にいきなり酒場で働けとは、随分と横暴なことだ。
 少しでも彼女の力になりたいと思った。

 うん、別に下心とかじゃないぞ。純粋なる厚意ってやつだよ。俺も彼女に助けてもらったし、うん、そうだその通りだ。

「どこで働く予定なんだい?」
 俺が尋ねれば、ジュリーはか細い声で言った。
「暁亭っていう酒場です」
「へぇ、そりゃいい酒場だ。安心して働ける」

 暁亭という酒場は王都でも有名な酒場で、比較的王宮勤めの人間が出入りする酒場である。安酒場ではないが、高級すぎない手ごろな値段設定になっている。そのため王宮勤めでも中堅の人間が好んで利用するのだ。
「……本当ですか?」
 ジュリーが顔を上げた。涙に濡れた顔にどきりとした。
 お、俺はクラウと違って変態じゃないぞ。変態じゃない、変態じゃないからな。女の泣き顔には男なら誰でもドキッとするもんだ。
「でも、心細いです」
 再び顔を曇らせたジュリーの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「なら俺が見に行ってやるよ! このディック様が嫌な奴がいたらぶっ飛ばしてやるから! な?」
 笑って見せれば、ジュリーの顔がぱっと明るくなった。
「本当ですか!? 嬉しいっ」
 そのとびっきりの笑顔にまた心臓がドキンとはねた。

 ……お、俺はロリコンなんかじゃないからな!








 +++








 妹のジュリエッタから手紙が届いた。

 最後に会ったのは確か去年の夏だったが、十四歳ぐらいで成長が止まった彼女はもう十九歳だというのに相変わらず少女のような容貌をしていた。恐らく一年経った今でも同じだろう。いつまでも若くありたいと思わないこともないが、ジュリエッタのそれは若いというより幼いなので羨ましくはない。

 ジュリエッタはブルネット家では使い勝手のいい人材である。幼い容貌と抜群の演技力でもって相手を懐柔して情報を聞き出すのだ。その反面、武術方面についてはからっきしで、護身術すらまともに使えないという欠点を持つ。まあその辺は護衛をつけるなり当人が知恵を絞り策略を練るなりすれば問題ない。いかな武力も智によって倒すことは可能である。

 さて、手紙によると、ジュリエッタは情報収集のために王都に来ているらしい。数年は滞在する予定だという。結婚適齢期過ぎないかお姉ちゃん心配しちゃう。あの子の見た目なら年齢詐称しても大丈夫そうだけど。
 それはさておき、ジュリエッタは王宮勤めの人間の出入りが多い酒場で働くことになったのだとか。彼女ならば上手いことやり遂げるだろう。何やらすでに近衛隊長のディックをたらしこんだ模様である。近衛隊長といえば、あの脳みそ筋肉の単純な奴か。戦の時の戦術や勘は一流、見た目は優男であるにも関わらず怪力の持ち主で剣術に長ける男だ。武官のノリか知らないが、やたらと熱血で単純でかなりお人好し。暑苦しい。宰相のクラウとは正反対の性格である。ジュリエッタのたらしこみやすいタイプだ。
 涙は女の武器よね、と彼女は素で言う。そして彼女の武器は容貌と相まって破壊力が高い。実にいいことだ。

 上機嫌で手紙を読んでいた私は、便箋の二枚目に目を通して固まった。
「あら、ディアナ様どうかなさったんですか?」
 侍女のエリーが不思議そうな顔で首を傾げる。
 私は二枚目の便箋に機密情報が書かれていないことを確認してからエリーに渡した。

 当初不思議そうな顔をしていたエリーも、読み進めるに従って表情が固まっていく。

 それもそのはず。手紙に書かれていものはなかなかに衝撃的な事実だったからだ。

「クラウ宰相が陛下に横恋慕!? クラウ宰相ってそっちの人だったんですか!? 前々から怪しいとは思ってましたけど!」
「思ってたんだ」
「だって二言目には陛下陛下っておっしゃってるし、聞くところによると湯あみも一緒になさってるという話ですよ?」
 まぁ仕事のために縁談も断ってるくらいの崇拝っぷりだからそういう話が出てもおかしくない。でも私の見立てだとヴァイオレット姫が好きなんじゃないかって思うんだけど。ヴァイオレット姫も結構モーション掛けてるからなおのこと。

 と、どさりと音がした。

 振り返ってみると、部屋の入り口で愕然とした様子のヴァイオレット姫が崩れ落ちていた。
「あ、あの、ヴァイオレット様?」
「……恋敵がウィル……恋敵が男……」
 ヴァイオレット姫の特技に解錠というのがあるため、彼女は時折こうやって気配を消しては忍び込んでくる時がある。どうしても聞かれたくない話の時はそれなりの処置をして入れないようにおくが、今回は特に何もしていなかったため入りこまれたらしい。王族の姫君がそれでいいのかと疑問に思う。
 それはさておき、タイミングの悪いことだ。どうやらさっきの話を聞かれたらしい。エリーがさりげなく扉に近付き鍵を締め直している。
「……先ほどの話、本当ですの?」
 普段の彼女からは想像もつかないほどの低い、地を這う様な声で確認された。実は別人でないかと思うくらいに恐ろしい顔つきになっている。
 気付けば彼女の手には短剣がある。いくら侍女兼護衛であるエリーがいるとはいえ、将軍レベルの人間とやり合える実力と言われている彼女を今敵に回したくはない。
「こちらをご確認くださいませ」
 エリーに目で合図すると、彼女はジュリエッタからの手紙をヴァイオレット姫に差し出した。これ以上自分の口で報告するのは恐ろしい。報告用の筆跡は変えてあるから、筆跡からジュリエッタのことが割れる心配もないし。
 十中八九、ジュリエッタに話をした近衛隊長の勘違いだろう。が、その分彼の名前をヴァイオレット姫に知られると厄介なことになる。そこからならば割と容易にジュリエッタの事を調べ上げられてしまうだろう。幸いにして二枚目の便箋には彼の名前は出ていない。王宮での認識としてこういう説が広まっているという風に書かれているだけなのは不幸中の幸いだろう。

 しばらく青ざめた顔でそれを読んでいたヴァイオレット姫だったが、やがて手紙をぐしゃりと握りしめた。
 心なしか肩がふるえている。
 殺気が膨れ上がっているような気がする。気のせいだといいんだけど。
「そ、それで、ヴァイオレット様は何の御用でいらしたんですか!?」
 話題をそらすように私が言えば、三秒程後にヴァイオレット姫がいつもの笑顔に戻った。
「わたくしとしたことが取り乱してしまって……お恥ずかしいですわ」
 取り乱すというレベルじゃなかった気がするが、指摘しないでおこう。
「今度またお茶会を開くので、ディアナにも是非参加していただきたくて」
 彼女はニコニコと笑う。伊達に猫かぶりを続けてきたわけではないらしく、先ほどの恐ろしい雰囲気などみじんも感じさせない。
「ウィルも参加しますのよ。……クラウ様も」
 最後の呟きは恐ろしく凄みのある声だった。
 クラウ死ぬかも。その方が私としては都合がいいけど。
「是非参加させていただきます」
 そして修羅場を観察させてもらおう。場合によってはそれを煽ることもやぶさかでない。

 私が承諾するとヴァイオレット姫はうっすらと微笑んだが、やがてため息をついて憂い顔となった。
 しばらく沈んだような顔をしたヴァイオレット姫は、再びため息を一つついた。その様子は世の男を魅了出来るほどの美しさである。
 ブルネット家直系の人間は、残念ながら代々容貌にはそれほど恵まれていないので、彼女のような人間を見ると羨ましく思う。

「ところで、話は変わるのですけれど」
「なんでしょう」
 ヴァイオレット姫は真面目な顔でのたもうた。
「ヘタレな男ってどう思いますこと? 夫にするとして」
 質問の意味が分からない。
 話の流れからすると、クラウ宰相のことだろうか。確かにヘタレかもしれないが。
 もしかして流石のヴァイオレット姫もクラウ宰相同性愛疑惑に心が折れたのだろうか。むしろ逆に燃えるかもしれないと思ったのだけれど。さすがに男に負けたとあってはプライドが粉々になってしまったのかもしれない。
 にしても『夫にするとして』とは微妙な質問だ。
「そうですね……私は殿方は頼りがいのある方が好ましく思いますね。陛下のような」
 お互い猫かぶりに気付いて親しくなったとはいえ、幾重にもかぶった猫を完全に取っ払うつもりはない。
 夫として聞かれたのならば王妃である私は貞淑な妻としての答えを出さねばなるまい。
「ディアナ、冗談とか建前とかはこの際抜きにしましょう。もし仮にあなたが未婚だとして、ヘタレな男ってどう思うか聞かせてほしいの」
 やけに鬼気迫った様子で尋ねられる。ぐいぐいとこちらに近付いてくるヴァイオレット姫に何やら気押されしてしまいそうだ。

 ここで正直な答えを言ってしまって、私に不利になる可能性はいくらでもある。
 しかし相談役という名の賓客である彼女は今のところクラウ宰相にご執心で、意外なことに王宮でのドロドロにほとんど関与していない。自分の足場固めをしただけだ。

 いくつか可能性は考えてみたが、彼女になら本音を話してしまっても構わないだろうと結論付けた。
「正直に言ってしまうなら、ヘタレは嫌いです。頼りないし、かっこ悪いでしょう? 私は祖父のような強くて賢くて行動力のある話術の巧みな人が好きです」
 それに加えて陰謀にロマンを感じる人ならなおいい。見かけなんて二の次三の次だ。
 ブルネット家は代々そういった人間が多かったせいか、専門家や技術者には事欠かない。私の母は庶民の女優だったし、祖母は凄腕の暗殺者だった。婿養子のおじさんは名だたる鍛冶屋だったし、従姉は医者と結婚すると言う。
「で、でもヘタレな男も可愛いと思うのよ」
 何故かヴァイオレット姫は食い下がる。
 クラウ宰相のこと遠まわしに馬鹿にしちゃったからだろうか。しかしまあ、本音を言えと言ったのは向こうだ。
「私はヘタレな殿方を可愛いとは思えませんし、そもそも殿方に可愛さを求めてませんので。中身の方が大事です」
 中身が伴っていなければ見た目が良くても単なる木偶の坊にしか過ぎない。
 そういった私の正直な考えだったのだが、なぜかヴァイオレット姫は頭を抱えて部屋を出て行ってしまった。
 もしかしてクラウ宰相に対する想いが冷めてしまったのだろうか。
「何だったんでしょうね?」
「うーん……」
 私はエリーと二人で顔を見合わせたのだった。








 +++








 なんだかもう頭の中がぐちゃぐちゃだわ。
 クラウ様がまさか、まさかウィルの事を好きだったなんて! 恋敵があんなヘタレなんて切なすぎるわ。わたくしよりあんな男のどこがいいっていうのかしら。

 ディアナがウィルとくっつけばクラウ様もどうにかできるかと思ったけれど、ディアナはヘタレは嫌いだと言うし……

 もういっそウィル暗殺しちゃおうかしら……








 +++








 昨日からヴァイオレットの様子がおかしい。
 俺を見る目がどうにも、こう、憎悪がこもっているような気がする。
 いや、心優しい彼女だからそんなわけはないと分かっている。きっと勘違いだろう。
 でも様子がおかしいことは事実だ。

 クラウに心当たりがないか聞いてみたのだが、あからさまに視線をそらされ逃げられてしまった。
 それを見ていた近衛隊長のディックがなんとも言い難い表情で俺を見る。
「陛下、どうぞあいつのことは放っておいてやってください。あいつも、ヴァイオレット様の事もあって色々と辛いんですよ。お願いします」
「……そうか」
 何かヴァイオレットとの間にあったのだろうか。
 そういえば、クラウはやたらとヴァイオレットの事を気にしている気がする。
 お茶会の時もヴァイオレットと話すときは表情が穏やかだ。

 もしかすると、ひょっとするんだろうか。

 確かにヴァイオレットは隣国の王族だから身分差がある。クラウにとってみれば実らない辛い恋だろう。
 しかしヴァイオレットには現在恋人という恋人もいなかったはずだ。
 それにネルマリアといえばヴァイオレットの他にも姉兄弟妹合わせれば十人近くの王子王女がいたはずだし、女性に王位継承権はないからもっぱら他国に嫁ぐと聞いた。それに、クラウだって王族ではないがこの国では立派な上位貴族だ。

 ならばもしヴァイオレットの気持ちさえ添えば、二人が結婚するということも可能ではないだろうか。

 もちろんヴァイオレットの気持ちが第一だ。人の気持ちがおいそれとどうにかなるわけがないということは日夜身にしみている。でも彼女はクラウのことをよく褒めていたし、よく話をしている。まるっきり脈がないわけではないだろう。

 長年の友人でもあるクラウの恋を応援したって罰は当たらないだろう。それに、友達でありディアナとの仲を取り持ってくれる恩人でもあるヴァイオレットにも幸せになってもらいたい。





 執務の合間の休憩に、庭園の東屋でヴァイオレットと話をすることにした。いつもはディアナとの事を相談に乗ってもらっていたのだが、今日は止めておこう。
 東屋のテーブルは小さく、互いが椅子に座れば密談にはもってこいな距離感だ。茶の準備をさせた後は人払いをし、彼女の本音を聞き出すことにした。
「ヴァイオレット。聞きたいことがある」
「何かしら、ウィル」
 微笑んで返事をする彼女は、やはりいつもより元気がない。
「宰相のクラウのことどう思う?」
 ガチャンと茶器が音を立てた。
「……どう、とは?」
 相変わらずヴァイオレットは笑顔だが、声がどことなく硬い。
「えーと、その、君はよくお茶会でクラウと話してるだろう? 結構仲がいいみたいだから……」
「ウィルに言われる筋合いはありませんわ!」
 突然怒ったようにヴァイオレットが立ち上がって声を荒げた。
 いつも穏やかな彼女がこんな風に怒るのは珍しい。
「あ、す、すまない。ちょっと聞いてほしいことがあって……」
 途端にヴァイオレットは俺を睨んだ。
「わたくし、その相談は乗りませんわよ! 聞きたくもありません! わたくしの前でクラウ様の話をなさらないで。不愉快ですわ!」
 そう言うと、彼女は走るように去っていった。
 えっと…………これはどういう状況なんだろうか。

 と、人の気配がした。
 見て見ればヴァイオレットが去ったのと反対方向に顔面蒼白のクラウが立っていた。

 …………どうやらさっきの会話を聞かれていたらしい。

「おい、クラウ」
 声を掛けるとクラウははっとした顔になった。
「し、失礼します」
 早口でそう告げると、クラウもまた逃げるように去って行った。

 どうすればいいんだろう……








 +++








 不愉快。
 聞きたくもない。

 ヴァイオレット様の言葉が頭の中をぐるぐると回る。
 あの言葉を聞いた瞬間、心臓が凍りつきそうなほどの衝撃を受けた。吐き気がするほど気分が悪い。

 陛下が何の話をしようとしていたかは分からない。
 しかしヴァイオレット様は私の話を聞くのは不愉快だとおっしゃられた。
 それが意味することなど火を見るよりも明らかだ。

 いつ彼女の不興を買ってしまったのだろうか。
 それとも、彼女は私の思いに気付いてそう言ったのだろうか。

 嫌なことばかりが頭をよぎる。仕事すらまともに手がつかない。全てのやる気がなくなってしまうようだ。呼吸をすることすら億劫だ。


 と。


「クラウ様、ちょっとお話が……」
 ブルネット家の人間である王妃が声をかけてきた。供もつけていない。何かあるのだろうか。
 このところブルネット家は目立った動きをしてはいないが、油断はならない。
 なけなしの虚勢を張って王妃と相対する。
「何か御用ですか?」
「ええ、ヴァイオレット様のことで」
 その名前につい反応してしまう自分がいっそ滑稽だった。

 あまり聞かれたくない話だから、と王妃は人気のない一室に私を連れて行った。
 部屋の中に人がいないことを確認すると、王妃はおもむろに口を開いた。
「実は、最近王宮で噂が流れているようなのです」
「ヴァイオレット様の話なのでは?」
 私らしくもなく、短気を起こす。そのことに王妃は驚いたようだったが、話を続けた。
「ええ。その噂がヴァイオレット様の耳に入ってしまったらしく……かなり気になさっているようで」
 王宮の噂などいい加減なものがほとんどだ。うわさ好きの侍女たちによって根も葉もない事柄が噂となる。
 しかし中には真実も含まれており、重大なものが含まれていることもある。
 それをヴァイオレット様が聞いたということだろうか。

 私が目線で王妃に話の先を促すと、彼女は言いづらそうにこう告げた。

「クラウ様が陛下に恋をしていると」
「………………………………………………は?」
「クラウ様が陛下に恋をしているので、その、ヴァイオレット様を恋敵として敵視しているという噂が広まっているようなのです。それも、かなり広範囲に。陛下を描いた茶会風景の絵画を買って部屋に飾っているという話も」

 頭が真っ白になった。








 +++








「ヴァイオレット様!」

 庭園で一人荒んだ気持ちでいると、背後から叫ぶような声が聞こえた。
 声だけで分かるけれど、今はあまり会いたくない人物だ。
「……何か御用ですの?」
 振り返ればそこには息を切らしたクラウ様がいた。
 常にない必死な様子に胸がときめく。
「あなたにお伝えしたいことがあります」
 そう言ってクラウ様は息を整えてわたくしを見た。
 いつになく真剣な様子に鼓動が高鳴る。
 やがて意を決したクラウ様は口を開いてこう言った。
「私は同性愛者ではありません!」
「……………………そ、そうですの」
 いきなりの告白に目が点になった。
 が、よく考えなくともそれがクラウ様に関する噂のことだと気付く。
 つまり、
「ウィルだから好きになった、と」
 性的嗜好の壁すら越えるなんて、深すぎる愛だわ……
「違います! 確かに陛下のことは慕敬してはおりますがそういう意味ではありません! 私が好きなのは……!」
 そう言ってクラウ様は視線を泳がせた。

 ……まさか。

「近衛隊長のディック様ですか!?」
「違います!」







 +++








 クラウ宰相の否定の叫び声を聞きながら私は笑いをこらえるのに必死になっていた。
 日ごろ聡すぎるくらいのヴァイオレット姫も、恋する乙女となってしまっては冷静な判断がつかなくなるらしい。あわやクラウ宰相への気持ちが萎えたかと心配したが、どうやらまだ望みはあるようだ。クラウ宰相を泳がせておくと色々と邪魔なので、しばらくはヴァイオレット姫と仲良くしていてもらおう。

 まあそれを別にしても、日ごろ取澄ました顔のクラウ宰相が慌てる様は実に面白かった。

「ディアナ、あの二人は上手くいきそうか?」
 間近からした声に肩がびくりと震える。気配には鋭い方だが、未だ陛下の気配を掴むのが難しい。
「ええ、あと少しのようです」
 私のお節介じみた行動は陛下に筒抜けだったようだ。
 陛下には今なお驚かされる。
「……いいのですか?」
 陛下はヴァイオレット姫を好いていると思ったのだが。相談役も私を引きずりおろすための布石だと思っていた。
 すると陛下は不敵に笑った。
「本人たちが良ければな。なに、悪い話でもないし」
 鷹揚に言う様は、王者の風格を感じさせた。

 私は隣りに立つ陛下を見る。
 ヴァイオレット姫のお茶会で話すことも多くなった陛下は、最近打ち解けてきたのか当たり障りのない会話ぐらいならばするようになった。彼女のおかげかは分からないが、私に対する態度も随分と軟化してきた。
 よいことだと思う。が、私も同じように絆されてきたのか、最近は反乱計画の変更を考え始めていた。
 先先代ほど暴虐なわけでなし、今の陛下を倒したところで再び群雄割拠の混沌とした時代になるだけだ。
 ならばいっそ、王妃としての権限を利用した方がいいのでは、と。

 もしかして、これも陛下の策謀なのだろうか? だとしたらつくづく大した男である。
「……どうかしたか?」
「いえ、何も」
 小さく笑ってヴァイオレット姫たちに視線を戻す。
 視線の先では、ヴァイオレット姫に思いつく限りの人物の名前を挙げられて半泣きで否定するクラウ宰相がいた。

 ……ヴァイオレット姫のあの顔、気付いてわざと遊んでるな。

 少しばかりクラウ宰相に同情した。








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 後に、クラウとヴァイオレットのこのやり取りは『庭園の告白』と呼ばれ、クラウ宰相には甚だ不本意ではあるが長く語り継がれることになる。

 余談ではあるが、近衛隊長のディックは後日何者かの襲撃を受け、全治二週間の怪我を負うことになる。
 唯一襲撃者が誰か気付いたディアナがヴァイオレットの実力に恐れ慄いたことは言うまでもない。


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