城下のとある錬金術師の工房からは、しばしば悲鳴や歓声が漏れ聞こえる。
工房の主は世界でも有数の実力を持つ錬金術師なのだが、チャレンジ精神が旺盛でいつも新しいことに挑戦しては失敗と成功を繰り返しているためだ。
工房の主の名前はクルト。総白髪に眼帯という奇異な風貌の年若い少年である。といっても、それを補って余りあるベイビーフェイスと人懐っこさで、城下の女性と一部男性によってファンクラブが作られるほど人気がある。
さて、今日はと言えば、かの錬金術師の工房からは盛大な悲鳴が漏れ聞こえてきていた。
「なんっでなんだよ!」
クルトは工房で頭を抱えていた。
工房の真ん中に陣取った黒々とした大きな錬金釜は、ついさきほど綺麗に真っ二つに割れてしまったのである。
63年モデルのシュテファン式錬金釜。象が踏んでも壊れない、百年錬成しても大丈夫、というのが謳い文句だ。壊れたという話は聞いたことがない。
錬金術師であるクルトの大事な相棒だったのだが。
「…………そんな無茶な練成をしたのかね、クルト」
頼んだ品の進捗具合を確認しに来ていた王宮の魔術師アーデルベルトが呆れ顔で呟く。長い藤色の髪をかき上げながら、彼はつくづくと割れた錬金釜を眺めた。
「綺麗に割れているな。お前のことだ、ヒビが入っているのに気付かずに使い続けていたのではないのかね?」
「んなこた! ねえ、よ。……多分」
ふてくされた顔で言い返すクルトだが、語勢がすぐに弱くなった。心当たりはなきにしもあらず。さらに言うなら似たような前科がなくもない。昔馴染みのアーデルベルトには何かと知られたくないことまで知られている。
「うっせえよ。魔法と違って錬金術は勢いってのが大事なんだよ、勢いってのが」
そっぽを向くクルトを見ながら、ここで反省を促すのが年上としての役割なのだろうかとアーデルベルトは一瞬悩んだが、それよりも先にすることがあると思いなおして説教を延期することにした。
「しかし錬金釜が壊れてしまったら錬成もできないだろう。期日は三日後だ。できるのかね?」
もっともな指摘に、クルトは言葉を詰まらせた。
それを見たアーデルベルトが眉をしかめる。
「今回の依頼主が誰か、分かっているのだろう?」
腕を組んで厳しい表情をするアーデルベルトに、クルトはうめいた。が、唐突に彼は閃いた。
「まだ予備の錬金釜が一つある! それを使うぞ! なら余裕で間に合うって! さすが俺!」
「…………ならいいのだが」
何故かものすごく嫌な予感がしたアーデルベルトは、次善の策を考え始めたのだった。
そしてその予感はものの数十分後に的中することとなる。
王都の外れにある世界一の素材屋という看板がかかった店がある。
ここの店主に頼めばこの世で手に入らぬものはない。魔法、錬金術、料理、工芸など様々な分野の素材を、それがどんな貴重なものでも期日を守ってしっかり調達してくれる評判の店だ。
その素材屋に一人の少年が騒々しく駆けこんできた。いわずもがなだが、クルトである。
「キョーチキョーチキョーチ! 大変だ!」
「俺は大変じゃない」
カウンターの奥でコレクションの整理をしていた店主キョーチこと恭一は視線を上げることなく言った。
「俺は大変なんだって!」
唾を飛ばしながらカウンターへと突進してくるクルトに、いつものことだとは思いながらも恭一は鬱陶しそうに一瞬だけ視線を上げて戻した。そして再び視線を上げた。人はこれを二度見と言う。
若いくせに総白髪というクルトだが、彼が髪を染めている姿を恭一は一度も見たことがない。彼はいつも肩につくくらいの髪を後ろで一つにまとめている。
それがどうしたことか、現在クルトの頭は七色のアフロへと変わっていた。しかも煌めくラメ付き。どう見ても変な人である。眼帯の代わりにヒゲ眼鏡でもかけたら宴会芸におあつらえ向きになるだろう。
「確かに大変だな、頭が。大丈夫か?」
「大丈夫じゃねーんだよこれが!」
「確かにな。だが直す薬はないぞ」
「今必要なのは薬じゃねえんだ!」
「そうかもしれないな」
残念ながら突っ込み役が不在のために、二人の会話の齟齬を指摘する人間がいなかった。
というか、
「クルトさん、ついに狂いましたか? 随分とおめでたい頭をしていますね。それとも大道芸人にでも転職したんですか? よくお似合いですよ」
ゆらゆらと尻尾を揺らしながら便乗して毒を吐くのは自称恭一の一番弟子、人猫族の少年ルッツである。年齢的にはクルトの方が二つ三つは年上のはずなのだが、子供っぽい彼はルッツが絡んでくると必ず喧嘩を買ってしまう。いわゆる犬猿の仲だ。
「んだとこの留守番! 喧嘩売ってんのか?」
「事実を言ったまでですが?」
クルトが睨みつけると、ルッツは冷笑しながらも尻尾の毛を逆立てた。
あわや乱闘が始まるかという雰囲気の中、遅ればせながらアーデルベルトが店へとやってきた。
「キョウチ、至急仕事を頼みたい」
すぐそばで火花を散らす年若い少年たちには目もくれず、アーデルベルトは疲れた顔で店主に話しかけた。
「63年モデルのシュテファン式錬金釜と60年モデルのボニファティウス式錬金釜がある練成をしたら壊れた。というか、ボニファティウス式は爆発した。代わりの壊れない錬金釜の調達か、あるいは原因究明に助力願いたい」
「…………先にパーマ直し薬とか調達してやろうか?」
「いい、今は触れてくれるな……」
げっそりした様子でアーデルベルトは言う。彼の長い藤色の髪は、今やウケ狙いかと思うくらい強烈なパーマがかかっていた。縦ロールどころかドレッドヘアーに近い。
魔力と言うのは髪にたまると言われているため、王宮魔術師のアーデルベルトはいくら悲惨な髪型になろうとも簡単に散髪するわけにはいかないはずだ。
「とにかく、時間がない。クルトの錬成の期限まであと三日しかないのだ。私の髪はその後に頼む」
悲壮な顔で言うアーデルベルトを不憫に思った恭一は、ようやく話を聞く体勢になったのだった。
ちなみに錬金釜の持ち主であるはずの七色アフロはといえば、未だにルッツと口論をしていた。
「……あれはどうする?」
恭一がクルトを顎で指して言うと、アーデルベルトは深くため息をついた。頭痛をこらえるようなしかめっ面でクルト達の方を振り返る。
「クルト、ここに何をしに来たのか覚えているのなら早々にその口喧嘩を止めることだ」
「あぁ!?」
喧嘩がヒートアップしていたクルトは眼光鋭くアーデルベルトを睨みつける。七色アフロなのでその迫力は半減していたが。
逆にルッツは一気に冷静になったようで、アーデルベルトを見た後に顔を伏せて謝罪の言葉を口にした。落ち込んだようにぺたりと耳を伏せる。
ルッツの肩が震えているのは怒りでもなく泣いているわけでもなく笑いを堪えているからだろうが、アーデルベルトは気付かないふりをした。人を指さして爆笑した奴よりはよほど礼儀正しい。
なにしろことの原因のクルトはアーデルベルトの頭を見た途端、自分の七色アフロを棚に上げて腹を抱えて笑い転げたのだ。
思い返して不愉快になったアーデルベルトは未だ興奮状態のクルトに向かって雷を落とした。魔法的な意味で。
二十代であるにも関わらず苦労性のせいか老成していると言われるアーデルベルトだが、存外大人げない面も持ち合わせているのである。
「……くっそ、アーデルベルト! 何しやがる!」
持ち前のしぶとさで復活したクルトが怒鳴る。あわや乱闘かと思われた時、
「おやおや、クルトさんもアーデルベルトさんも髪型を変えられたんですか〜? 素敵ですね〜」
店の奥からのんびりとした声がかかった。
「トニさん、本気ですか?」
帳簿整理から戻ってきたトニは、思わずルッツの本音が出た質問にきょとんとした顔で首を傾げた。
「え〜? 個性的で素敵じゃないですか〜? 僕も髪を伸ばしたら挑戦してみたいですね〜」
本人の性格同様ふわふわとした天然パーマの金髪をトニが触る。
「止めろトニ。お前のファンが泣くぞ」
「またまた、何言ってるんですか、キョイチさんってば〜」
トニはころころ笑う。
天然って怖ぇ、と恭一は思った。トニがそういった暴挙に及んだ場合、ファンクラブの八つ当たりが彼に向ってくることは想像に難くない。負けることはなくとも、精神的に参る。
「あー……仕事の話だったな」
すっかり毒気が抜かれたのか、クルトはばつが悪そうにしながらも本来の目的に話を戻したのだった。
初めて聞く単語に、恭一は目を輝かせた。
「ヴンダーリング? なんだそれ」
俄然興味をもったらしい恭一にアーデルベルトは苦笑した。
「ヴンダーリングというのは――」
「身につけると体が痩せる指輪だぜ! ただし練成がめっちゃくちゃ難しいから、作れるのは俺みたいな凄腕の錬金術師だけだ。すげーだろ?」
アーデルベルトが言いかけたのをクルトが割り込む。
「女性が喜びそうな指輪だな」
クルトの露骨なアピールをさらっと流した恭一は、指輪の効果に感心した。
このファンタスティックな世界においても、女性は痩せている方が美しいという風潮がある。といっても、恭一がかつていた日本でいうところの標準体型ぐらいが理想とされている。過分に痩せた女性は食事もままならぬ貧乏人と見られるためだ。
なんにせよ、そんな指輪があるのならば、日本や某肥満大国に売りさばけばさぞや大儲け出来ただろうなあと思った恭一だった。
そんな恭一の考えを見透かしてか、アーデルベルトがしかつめらしい顔で言う。
「キョウチ、勘違いをしているようだが、痩身効果が出るのは魔法で太った場合のみだぞ」
「は?」
言われた意味が分からず恭一は首を傾げた。
「ああ、あの指輪なんですね〜」
「あれは錬金術でできるものだったんですね」
恭一とは反対に、トニやルッツは合点がいったとばかりに頷いた。
「ああ。事情が事情だ。あまり公にはしたくない故にクルトに秘密裏に頼んだのだが……」
「ちょっと待て。確認させてくれ」
うっかりおいてけぼりにされそうな気配を察した恭一は慌ててストップを掛けた。
「その指輪って有名なのか?」
「なんだよキョーチ、そんなことも知らないのかよ。だっせぇ」
クルトが笑う。
「悪かったな、物知らずで」
誰しも知っているようなことを知らなかったとはとんでもない失態である。好奇心旺盛で知りたがりな恭一は仏頂面で言う。
「マスターはこの世界で育った方じゃないんですよ。知らなくても仕方ないでしょう」
「子供のころに読むような童話だからな。知らなくても不思議ではない。大人げないぞクルト」
ルッツとアーデルベルトが恭一を庇う。クルトは一向に悪びれた様子もなく椅子の上でふんぞり返っている。
恭一がひそかに依頼を断ろうか、あるいは吹っ掛けてやろうかと思っている間にも、青筋を立てたルッツが腰に佩いた剣の柄に手を掛けたが、
「ロマンチックなお話なんですよ〜。意地悪魔女と金のエルフの王子様っていう童話なんです〜。今でも人形芝居の演目としては人気で〜、ほら、この前キョイチさんが女の子をデートに誘おうかって言ってた人形芝居がそうだったじゃないですか〜」
トニの言葉に空気が凍った。フリーフォールも真っ青な速さで周囲の体感気温を氷点下にまで落としたブリザードの発信源は恭一である。トニの空気の読まなさっぷりは時として窮地を救い、時として地雷を踏みぬく。
その場に居た面々には恭一からカビやキノコが果ているような幻覚が見えた。体感気温は氷点下なのに空気はじめじめしている摩訶不思議。
「ははは、そういうこともあったなあ」
恭一が言う。顔が笑顔なのに目が死んでいる。
「バーバラちゃんを評判の人形劇に誘おうと思ったらどっかの誰かさんにチケット取られた挙句にバーバラちゃんも取られちゃったんだよなあー、あっははははは!」
空虚な笑い声が店内に響く。心当たりのある一名は思わず目をそらした。
「……ごめん、俺ちょっとロッケンタールの湖の底でたそがれたい気分になったからちょっと出かけてくるわ」
「わ、悪かった! 謝るから止めてくれキョーチ! 悪かった、俺が悪かったー!」
立ち上がって店を出て行こうとする恭一にクルトがしがみつく。かのロッケンタールの湖の底に行かれてしまっては、クルトの年収一年分が軽く吹っ飛ぶくらいの特上の護衛を雇わなければ迎えにもいけない。そもそも店にいないときの恭一を捕まえるのは至難の業だ。膨大な魔力を使って彼は転移魔法を連発している。後を追跡するのすら困難なのである。
「はーなーせ! 彼女いない歴がそのまま年齢の俺の気持ちがお前らみたいなイケメンに分かってたまるか!」
魂の叫びに思わず全員が顔をそむけた。恭一の顔立ちは日本でもこの世界でも可もなく不可もなくという評価である。つまりモテる要素はない。逆にここにいる恭一以外のメンバーは女性に言い寄られることが日常茶飯事という世の男性にとっては目の上のたんこぶ的存在である。
恭一も決して性格や顔が悪いわけではないのだが、こちらの世界ではいかんせん純粋に運が悪い。彼の周囲にやたらと美形が集まるため、大抵の女性の好意はそちらに向かうのだ。
「分かった、今度可愛い子紹介するから! なんなら惚れ薬も練成してやるから!」
「そんな紛いものの愛は欲しくねえんだよ! 俺は運命の出会いを求めてんだよ!」
その上無駄に本人がドリーマーなせいもあって彼女いない歴は継続中である。人生に肝要なのは諦めと妥協だと彼が気付くのはいつの日か。
結局、世界中のカップルの仲を引き裂いてくると言う恭一を宥めることに成功したのはその十分後だった。
さて、話は本題に戻る。
「――意地悪魔女と金のエルフの王子様というのは、魔女の呪いによってエルフの王子の婚約者が醜い姿に変えられてしまうという話だ。魔女の呪いはいかな魔法使いも解くことができず、エルフの王子は様々な苦難を経たのちに、唯一呪いに打ち勝つ魔法の指輪を手に入れて魔女の呪いを退けるという筋書きになっている」
アーデルベルトが真面目くさった顔で説明する。
「魔法の指輪とは言っているが、元の指輪は錬金術でないと生み出せねえんだ。それに魔法を付与して完成する。作り方が載ってる本は世界に数冊しかないような稀覯本ばっかりだ」
クルトが補足した。
異世界からの渡来人である恭一には全て初耳の話であるが、おとぎ話というのはどれも似たようなものだなと思った。
というか、話の流れから推察すると、
「呪いで醜い姿にって、もしかして呪いで太ったのか?」
するとアーデルベルトが重々しくうなずいた。
「ああ。エルフは特に体のラインが崩れることを嫌う。老化以外ではな。ゆえに苦労をしてでも、呪いを解く必要があったというわけだ」
「普通にダイエットしたらいいじゃん」
しごくもっともな考えだ。
「それが出来たらわざわざ王子が苦労する必要ねえだろ。節食しようが絶食しようが徐々に太る、そういう呪いだったんだよ。俺だったら絶対ごめんこうむるね!」
クルトが恐ろしそうに身を震わせる。女好きのクルトは人一倍容貌には気を使う伊達男なのである。
チェリーパイを誰かに食わせとけよ、と恭一は思ったが口にしなかった。異世界では通じないジョークだ。
「心配しなくとも普段からだらしない生活をしているクルトさんなら、そのうち自然と太るんじゃないですか? その髪型で太ったら人気のピエロになれますよ」
ルッツが鼻で笑う。
「うるせえよ留守番が! 喧嘩売ってんのか!」
「なんでしたらクルトさんの月収二月分で買っていただけますか?」
またもや喧嘩を始めようとする二人に、それぞれの保護者二人がため息をついた。
アーデルベルトが恭一は視線を交わす。恭一はうなずくと、
「二人とも『静かにしろ』『大人しくしろ』」
問答無用の超強力魔法に、うるさい二人はなすすべもなく声と体の自由を奪われる。
その様子を確認した恭一は長くため息をついた。
「で、今回はその指輪を練成しようとして何故か錬金釜が壊れたってわけだ。原因は分かってないんだな?」
「ああ。クルトも頭を抱えていた」
「ふうん。以前に練成した人は?」
「現在手を尽くしているが、文献以外残っていない」
恭一は顎に手を当てて考え込んだ。
クルトは見た目や態度は幼いが、錬金術にかけては天才的な才覚と知識がある。そのクルトが分からないのであれば、それは相当な難題だろう。恭一は錬金術を究めるつもりはまだないので、そちらの方面は明るくない。ならば自身の得意分野から攻めるだけだ。
「とりあえず錬金釜の調達だな。今回壊れた錬金釜ってのはなんだったっけ?」
恭一は『コレクションカタログ』と書かれた本を手元に引き寄せながら尋ねる。
この『コレクションカタログ』は、彼が今までコレクションした物の記録が記されている魔法で作られた本だ。備考として恭一の収集した情報も書き込まれている。見た目は豪華な装丁の本だが、中身はパソコンのようにデータベース化されており、四次元本とでも言うべき仕組みでページ数が無限に増やせる。情報量はちょっとした図書館レベルである。音声入力、条件検索可能の優れモノ。パソコンの形にしても良かったのだが、それではロマンがないと思った恭一があえて本という形にしている。
「63年モテルのシュテファン式錬金釜と60年モデルのボニファティウス式錬
釜だ」
「了解。えーっと、『錬金釜』を『強度別』に降順に並び替えっと……」
恭一が本を開くと、ページが独りでにめくれ始めた。そしてページが発光し、恭一しか読めない字が浮かび上がった。
しばらくそれを読んでいた恭一だったが、鼻の頭をかくと本を閉じた。
「えーっと、知恵の蔵知恵の蔵」
恭一は本棚にある『知恵の蔵』と書かれた本を取り出す。
こちらは恭一が今まで見聞したことを記録した本で、こちらもやはり中身はパソコンよろしくデータベース化されている。
「そうだな……キーワード検索で『錬金釜』、関連度の高い順で……絞り込み検索で――」
このファンタジー世界において、現代日本的なデータベースの概念はない。そのため他の面々は恭一が言っていることは何となく分かるものの、どういう仕組みなのかはよく分からなかった。この技術を教えてくれと再三色々な人間から言われているが、恭一は黙秘を貫いている。沈黙は金、情報も金だ。
「あー…………お?」
眉を寄せて文字列を追っていた恭一だったが、やがてある項目を見つけて表情を明るくさせた。
「……いい知らせと悪い知らせがあるがどっちからにする?」
「いい知らせ!」「悪い知らせから頼む」
恭一が魔法を解いたためにクルトも元気よく意見を主張したが、
「じゃあ悪い知らせから」
「俺の意見は無視かよ!」
クルトが吼える。恭一はクルトを一瞥して肩をすくめた。
「俺はアーデルベルトから依頼を受けた。アーデルベルトの意見を優先して当然」
「ちぇっ」
クルトがふくれっ面でカウンターに突っ伏する。その子供じみた仕草にアーデルベルトはため息をついた。彼はこの性格のせいでいまいち王宮の重臣たちからの信頼が薄いのだ。なんだかんだで彼の世話役を押し付けられているアーデルベルトからすると、その点が惜しい。
「悪い知らせだが……俺はクルトの持ってた釜以上の強度の錬金釜を知らない。丈夫さで言えば、特に63年モデルのシュテファン式錬金釜に比肩する錬金釜は皆無と言われてるらしい。クソ高いけど買い直した方がいいんじゃないか?」
その言葉にクルトがうめいた。プロ御用達の錬金釜は、庶民の家を数軒購入可能なほど高価である。
「で、いい知らせだが、錬金釜が壊れたこと原因らしきものの候補がいくつか見つかった」
「ほう。何だ?」
アーデルベルトは身を乗り出す。クルトも体を起こした。
「錬金釜が壊れる原因にはいくつか系統があるんだが……よくあるのは老朽化、耐久度の低下だ。要するに寿命だな。あと物理的に壊れた場合。高いところからおっことしたり、大規模な爆発に巻き込まれたりした場合に壊れる。これはまれだな。で、後はこれ以上にレアケースがほとんどなんだが、アーデルベルトが言ったみたいに錬金釜が爆発したってなるとケースもかなり絞り込める」
恭一が指を動かすと、いくつもの文字が空中に浮かびあがり、皆に見えるように整列する。この文字は公用語なので、クルトやアーデルベルト達にも読むことができた。
「俺は錬金術については詳しくないが、クルトなら分かるんじゃないか?」
その言葉に奮起したクルトは、目を血走らせながら文字列に目を走らせた。
そして数分後、
「最悪だ…………!」
クルトは再びカウンターの上に突っ伏した。
「どうした」
嫌な予感を覚えつつアーデルベルトが尋ねると、クルトは突っ伏したまま返事をしない。
「おい、クルト」
恭一も声をかける。
と、クルトが緩慢な動きで顔を上げた。
「……錬金釜が壊れたのは、組み合わせが悪いからっぽい」
「組み合わせ? 材料が違っていたのか?」
アーデルベルトが眉をしかめた。しかしクルトは首を振る。
「材料というか……多分、姫に原因があるっぽいというか……」
クルトには珍しく歯切れが悪い。ついでに言うなら彼の顔色も悪かった。そしてそれを聞いたアーデルベルトの顔色も悪くなった。
「姫って……テオか?」
「あれは一応王子だっつの」
恭一の発言にクルトが突っ込みを入れる。某女装王子が本日は不在のため、彼の不敬な発言を咎める人間はいなかった。忠誠心の薄い臣民たちである。
深くため息をついたアーデルベルトは、眉間のしわを深くしながら言った。
「キョウチ、ここから先は他言無用で願いたい」
「おう」
その瞬間、世界中の魔法使いが束になっても解けないであろう防音結界が恭一の店に張り巡らされたのだった。
なんだかんだいいつつも、恭一は冒険や厄介事に首を突っ込むのが好きなのである。面白そうなこと限定だが。
さて、現在恭一が店を構えている国には、何人かの王子王女がいる。恭一と近しいのは女装王子ことテオだが、その他にもすでに国外に嫁いだ王女もいれば、国内で貴族の娘と結婚して王の補佐をしていたりと様々だ。
現在ハイティーンのテオが末の王子ということから推察できるように、王子王女というのはすでにみんな結構な年齢だったりする。上はすでに三十路を迎えているそうだ。王妃一人で全員産んだのだから大したものである。
話は逸れたが王子王女の年齢だ。
この世界では一般的に、貴族は二十歳を迎えるころには婚約者が決まっていることが望ましいとされる。特に女性の場合、二十歳を超えてしまうと嫁の貰い手が一気に減ってしまうらしい。ゆえに恭一が良いなと思った美人貴族は大抵婚約者がいるか結婚しているという不遇があるのだがそれは別の話。
とかく結婚の早い貴族女性では、二十五を過ぎたら完全にいかず小母扱い、もしくは売れ残りと判断されてしまうわけだ。王族も例外ではない。
ところがどっこい、現在テオの姉に当たる王女は、今年で二十五を迎えるというのに未だに独身なのである。恋人はいない。婚約者も当然いない。
「ハイデマリー姫には少々性格に難があるのだ。それゆえ嫁ぎ先が見つからず、本人も焦っていなかったというのもあって今まで未婚のままできたのだが、つい先月に南方の国の王族が姫を見初めて、婚約を申し込んできた」
苦虫をかみつぶしたようにアーデルベルトが言う。
「へえ、そりゃめでたいな」
恭一は感心して言う。肖像画で見た感じ、国王夫妻は美男美女。テオもかなりの美人だし、件のハイデマリー姫も相当な美人だろうと思った。外国の人間が一目惚れをしてもおかしくないだろう。
「たださー、その南方の王族ってのが結構な遊び人らしいんだよ。ハイデマリー姫に惚れる前はあっちこっちの女どころか他の国の王族にも粉掛けてたって話だ。それは構わねーんだけど」
「いいのかよ」
恭一は思わず突っ込んだ。しかしクルトは気にせず続けた。
「粉掛けられてた女が結構本気になってたらしくってな。王子の婚約者であるハイデマリー姫に呪いをかけた。それが――」
「太る呪い、ってことか」
恭一の言葉にクルトとアーデルベルトが疲れ切った様子で頷いた。
特にアーデルベルトの落ち込みようがひどい。
「姫を見初めてくれるような人間など滅多にいないだろう。ようやく、ようやく嫁いで下さると思ったのだがな……」
苦悶に満ちた声は、彼の不遇を物語るようである。なんとなく聞いたら愚痴が長くなりそうなので恭一はスルーしておくことにした。
「それで、クルトの言う問題ってのは?」
恭一が水を向けると、クルトはひどい顔で笑った。
「指輪を錬成する時には姫さんの血を使うんだけど…………」
クルトは手で顔を覆ってカウンターに肘をついた。
「あの戦闘狂の筋肉姫が……!」
七色アフロが震える様子はかなりユーモラスであったが、恭一は場の空気を読んでシリアスな表情を崩さなかった。
「あ〜、もしかしてハイデマリー姫って、南方の格闘大会で優勝された方ですか〜? 国王陛下に似てましたし、気品ありましたもんね〜」
トニが思いついて言えば、クルトとアーデルベルトはぎくりと体を強張らせた。
「え? 優勝したのはハインリヒって奴だろ? 筋骨隆々の大男だったぞ」
恭一が驚いて訂正する。痛いのが嫌いな恭一は、格闘大会に参加こそしなかったものの慰安旅行がてらにトニやルッツたちと見物には行っていたのである。
「え〜? キョイチさんも彼女とすれ違ったじゃないですか〜。ルッツ君も見ましたよね〜?」
と、トニがルッツを見る。ルッツは眉根を寄せて不本意そうではあったが頷いた。
「見た目では非常に分かりづらかったですが……女性だったと思います。見た目が男性なので男性名を名乗っていると思っていたんですが……」
「嘘だろ?」
恭一は目をむいた。
「だって、こんな感じだったぞ? 大会の後に女の子から告白されまくってたぞ?」
空中に恭一の知るハインリヒの全身像のホログラフィーもどきが浮かび上がる。魔力が有り余っている恭一は割とこういう無駄なところに魔法を使う。
さて、件のハインリヒはといえば、身長は一メートル八十センチを超える長身で、プラチナブロンドの髪を短く刈り込んでいる精悍な顔つきの美丈夫だった。言われてみれば国王に似ていなくもない。
体格で言うと筋骨隆々と言う表現が相応しく、むき出しの腕は松の根のように筋肉が盛り上がり、長く伸びた足は丸太のように太い。鎧ではなく武闘家のような格好をしており、チャイナ服のような緑色の上着と薄茶のズボン、革のブーツを履いている。服の上からでも分かる盛りあがった胸が女性の象徴に辛うじて見えなくもないが、九割九分の人間は胸筋だと思うだろう。
「どう見たって男だろ。人違いじゃないか?」
恭一が言うが、アーデルベルトも来るとも冷や汗を流して明後日の方向へと目をそらしていた。
「…………おい」
恭一は果てしなく嫌な予感を覚えて尋ねた。
「まさか、本当にこの男にしか見えない奴が……」
「……ハイデマリー姫だ」
アーデルベルトが絞り出すように言う。
一瞬黙り込んだ恭一は、ハインリヒ改めハイデマリー像を見て、再びアーデルベルトたちに視線を戻した。眉間に深い皺を刻む。
「これ、性格どころか容姿がアウトだろ。っていうかこれ男だろ。実は染色体XYだろ。血液検査しとけマジで」
「性格にも難があるのだ」
「駄目駄目じゃねえか! 格闘家の姫っつったらアリーナ姫みたいなのがせいぜいだろ。筋肉達磨の上相手の返り血浴びて高笑いする奴が姫だって分かるかボケ教育係に責任取らせろ」
「教育係はとっくの昔に逐電している」
アーデルベルトは諦観のにじむ声で言う。
「ちなみにアリーナ姫とは誰だね」
「壁をぶちぬくお転婆姫だ」
よく考えたら城の壁をぶちぬく女をお転婆程度で済ませて良いものか。
それはともかく他人事ながら恭一は不機嫌になっていた。お姫様という幻想を見事に壊されたための八つ当たりでもある。そしてハイデマリーが男の自分よりも可愛い女の子にモテていたことに対する僻みでもある。
「もしかして、南方の王子の方はあの大会で姫に好意を持たれたんですか?」
ルッツが尋ねると、アーデルベルトは疲れ切った顔で頷いた。
「格好良かったですものね〜」
「対戦相手を血で真っ赤に染めていましたね」
トニはニコニコ笑うが、相槌を打つルッツの顔は微妙に引きつっている。ちなみに恭一やルッツはハインリヒ改めハイデマリーのオーバーキルっぷりにどん引きした口だ。会場でたまたますれ違うことになったとき、恭一などは内心逃げたくてたまらなかった。
「くそっ、あんな肉食系が姫だなんて俺は認めたくない……」
恭一は拳を握りしめた。彼の中でお姫様に対する幻想が木端微塵になっていた。
「蓼食う虫も好き好きってことだ。お前の嫁になるわけじゃないんだから流せよキョーチ」
あまりの恭一の荒れっぷりにクルトが呆れて言う。先ほどの自分の態度のことは忘れたらしい。
恭一も一通り感情を吐き出して気が済んだのか、気まずそうに居住まいを正すと実物大ハイデマリー像をかき消した。
「それで、錬成が失敗した理由はなんだっけ?」
恭一が尋ねると、クルトも腹をくくったのか正直に言った。
「錬成材料の中には『乙女』でないと相性が悪いもんが入ってるんだ。ユニコーンとかいろいろな」
「確かに見た目からして乙女じゃないもんな」
恭一は力強く頷いた。そんな恭一の様子にルッツは何かを言いかけて止めた。どの道何を言ってもハイデマリーに対する不敬だ。
「や、そっちじゃなくて、業の方」
合点がいったのか、アーデルベルトが頭を抱えて呻いた。
「姫は戦いが好きなんだよ。で、あんまり人間を傷めつけたり殺したりすると、体内に業がたまる。普通の女の子なら平気なんだが、姫のはけた外れにたまってる可能性が高い。だから材料同士が反発を起して錬金釜が壊れた」
「ふうん」
恭一は腕を組んだ。業というのは日本で言う穢れのようなものだろうと推察する。
「王族の姫さんなら禊ぎぐらいしてそうなもんだが」
「ハイデマリー姫が面倒くさいと嫌がるのだ」
「んでもって清めた端から返り血浴びるんだよあの人」
「駄目駄目だな」
恭一は呆れ切ってため息をついた。
「んじゃ、新しい錬金釜調達して姫さんの血を清めたら万事解決だな」
「ああ、そうだな。で、キョウチに頼みがあるんだが――」
クルトはカウンターに身を乗り出した。恭一は身を引く。
「強力な聖水と63年モデルのシュテファン式錬金釜の調達を頼む。特に聖水は魔王にも使えるくらい強力な奴、二日以内で。経費はこいつ持ちな」
と、アーデルベルトを指さす。
「待て、クルト。聖水はともかく錬金釜が壊れたのはそちらの事前調査不足だろう」
「違うね。元は姫に業を溜めた状態でいさせた王宮側の手落ちだろ。俺は二つも錬金釜壊されたんだぞ? 商売あがったりだ! それぐらいつべこべ言わずに出せよな!」
二人が醜い争いをしている間、恭一はコレクション用の本から目当てのページを見つけ出していた。マジックスモークを煙らせながら商品を取り出す。
「んー、アーデルベルトには普段から世話になってるしな。今回は格安で売ってもいいけど」
そう言って恭一は超強力な聖水をカウンターの上に置いた。
「錬金釜は重いからクルトの工房に届けるとしてー、合計でこれくらいだったらどうだ?」
そう言って、恭一は売値をアーデルベルトに提示した。市場価格の70パーセントオフという破格の値段だ。
「感謝する。ぜひその値段で頼む!」
どこか血のにじむような声を聞き、恭一は中間管理職の悲哀を感じた。
大体クルトのしでかしたことの尻ぬぐい役はアーデルベルトである。さらに言うならしょっちゅう市井にまぎれて遊び回る女装王子のお守り役も彼である。気苦労が多いのでそのうちハゲるのでは、と恭一はひそかに心配していた。
「あとは…………お、最後の一個だな」
恭一は青味がかった薬瓶を取り出した。
「これはアーデルベルトにおまけ」
「何だね?」
質問に答えるより早く、恭一はその薬瓶の蓋を開けると中身をアーデルベルトの頭に振りかけた。
「五分置いてから櫛で梳け。そのドレッドが直る」
「……重ねて感謝する」
感極まった様子でアーデルベルトが言う。
「キョーチ、俺のは!?」
「自分で錬成しろ」
素気無く恭一が言う。
「ずっりぃ! なんだよその差は!」
クルトが不平を鳴らすが、恭一は気にした風もない。
「日ごろの行いの差だ。優遇してほしけりゃ、うちでの喧嘩をするのは止めろ」
「うっ、それはこの留守番も悪いだろ!」
大人げなくクルトがルッツを指さして喚く。恭一はやれやれと肩を落とした。
「そうだな。そしてお前も悪い」
恭一の言葉にクルトは口をつぐんだ。ルッツもしょんぼりしている。
しかしここで反省しても次に活かせないのがこの二人だということを恭一もアーデルベルトも身をもって理解していた。保護者は大変だ。
この辺の共通点が恭一がアーデルベルトに甘い理由でもある。但し彼単品の際は厳しくなる。イケメンに対する僻み補正である。
さて、その後ヴンダーリングの完成を見届けた恭一は、自身のコレクションであった超強力聖水を補充しに行くべく旅に出た。ルッツは例のごとく例によって留守番である。
かの聖水は世界一高い霊山の頂上付近の泉で取れるのだが、恭一はその帰りに魔法で機体を作って一人鳥人間コンテストをしてハーピーに振られたり、着水したついでに魔法を使って海底旅行に切り替えて人魚に振られたり、はたまたそのまま突き抜けて地中に傷心旅行へと旅立ったりと大忙しだった。
そういうわけで、ルッツからの緊急コールで店に帰った時には件の依頼から二週間以上経過していた。
切羽詰まった押し掛け弟子の様子に大急ぎで戻ってきた恭一は、すっかり憔悴した様子のルッツに目を瞬かせた。
「ルッツ、何があった?」
いつもなら元気な尻尾もだらりと垂れ、オレンジの毛もつやがなくなっている。目にも輝きがない。
「じ、実は、ここ数日マスターにお客様がいらっしゃてたんですが……」
「キョウイチが帰ってきたというのは本当かえ!?」
息をせきって女装王子ことテオが駆けこんでくる。
普段ならば完璧メイクの崩れないプラチナブロンド縦ロールのはずの彼が、目の下のクマ隠しもできていない、髪も乱れている状態である。ドレスも皺が目立つ。その尋常でない様子に恭一は嫌な予感を覚えた。
「どうしたテオ。緊急の依頼か?」
「そ、そのようなものじゃ……」
肩で息をするテオに、トニが慌ててお茶を出す。少しぬるいそれを一気に飲み干したテオは、恭一の肩をがっしりと掴んだ。
「キョウイチ、そなたは、ハイデマリー姉様と話したことがあるのかえ?」
連日寝不足なのか血走った目をしているテオに若干引きながら恭一は頷いた。
「格闘大会の時に一言二言交わしたと思うが、それがどうかしたのか?」
恭一はハイデマリーと遭遇した時のことを思い出しながら言う。
確かすれ違いざまに何故か褒められたので、精一杯格好をつけて謙遜しておいたはずだ。大会で可愛らしい女の子から黄色い声援を浴びていた男に対するせめてもの対抗心だった。哀れである。
テオは土気色の顔でうわごとのように言った。
「姉様が、南方の王族との婚約話を蹴った」
「はあ?」
言われたことが理解できず、眉をしかめる。
「行かず後家なのを貰ってくれるってんだろ? 何が不満だったんだ?」
「そ、それがじゃな、いいか、よく聞くのじゃキョウイチ」
低い声音でテオが言う。その迫力に思わず恭一は唾を飲む。
「――姉様は、結婚相手にお主がよいと指名された」
恭一の思考が一時停止した。
結婚相手とは何か。指名とは何か。チェンジは可か? そもそもこの国は同性での結婚はOKなのか?
ハイデマリーが女であるという事実をすっかり忘却している恭一である。
そんな彼の思考を断ち切ったのは、雄々しい足音だった。
てっきりしょっちゅう彼を冒険者にならないかと誘ってくるヴォルフかと思ったが、入口に見えた人物を見て絶句した。
「テオ、キョウイチ殿から手を離せ」
男にしてはやや高いが、女にしては低すぎる声が店内に響く。腹の底から出ているのか、無駄に響く。見かけは男、性別は女という噂のハイデマリーだ。
ルッツはハイデマリーの姿を認識した途端、物陰に隠れてしまっている。よほど怖い思いをしてきたらしい。
唯一トニだけが平時と変わらぬ様子だが、トニの評価ほど当てにならないものはないと先日の一件で恭一は再確認したばかりである。
ハイデマリーはカツカツと靴を鳴らして恭一に近づいてくる。テオは慌てて恭一から離れると、ハイデマリーに場所を譲った。
「キョウイチ殿」
ハイデマリーは未だ事態に頭がついていっていない恭一の手を取ると、ひざまずいた。
ちなみに本日のハイデマリーの服装は貴族の子息といった感じである。服の上からでもその逞しい肢体がわかるが、高そうな服に負けない気品漂っている。町でナンパをすれば、庶民の女性から貴族の女性まで百発百中を狙える色気もある。ありていに言うと非常にいい男っぷりだった。さらに言うならまかり間違っても女性には見えない。
「唐突な申し出で済まない。貴殿に結婚を申し込みたい」
まさかのプロポーズに恭一は気絶しかけた。
非常に美しい女性からのプロポーズである。ただし女性的な美しさではない。恭一の人生史上初めてのことだが、何故かちっとも嬉しくない。原因は言うまでもないが、気分的には男に告白された気分である。しかも自分よりイケメン。宝塚とかいうレベルを超えて、これは普通に男にしか見えない。
「わ、悪いが……」
男はちょっと、と言いかけた恭一は口をつぐむ。
ハイデマリーの斜め後ろにいるテオが、殺気のこもった目で恭一を睨んできているからだ。その顔には『姉様の乙女心を踏みにじったら殺す』と書いてある。見た目からして漢であるハイデマリーのどこが乙女か。
しかし恭一が皆まで言わずとも彼女は察したらしい。陰のある表情を見せたがそれは一瞬のことで、すぐに男らしい笑みを見せた。
「そんな顔をしないでほしい。いきなりの申し出で受けてもらえるとは思っていない。だが、私も諦めが悪いものでね。必ずキョウイチ殿を振りむかせてみるよ」
普通の女性に言われたならば恭一は歓喜しただろうが、なにぶんハイデマリーは見た目男性である。恭一からすれば男に迫られているようにしか思えない。しかも屈強な男達を血祭りに上げる狂戦士である。
かなり怯え気味の恭一の予想と反し、ハイデマリーはそれだけ言うと爽やかなイケメンスマイルを浮かべて退去の挨拶をして颯爽と帰っていった。
肩すかしをくらった恭一はしばし呆気に取られたのだった。
「つまりどういうことだ?」
恭一は残ったテオとルッツに尋ねる。何がどうなってこうなったのかさっぱり見当がつかなかった。
テオはどこか憔悴した様子で恭一を見る。
「キョウイチ、お主心当たりがないと言うのか?」
「ない。全くない」
きっぱりと恭一が言い切る。
嘘をついていないと分かったのだろうテオはじとりとした目で恭一を睨んだが、やがてやれやれといった調子で教えてくれた。
「キョウイチ、お主格闘大会の直前にアルタートゥムドラゴンを退治したそうじゃな」
「アルタートゥムドラゴン?」
恭一が首を傾げる。テオは信じられないといった顔で恭一を見た。
「知らぬのか。古代種のドラゴンじゃ。見た目こそ大人しいが、人を食らい、羽に毒を持つ」
「古代種のドラゴンねえ」
恭一は首を傾げた。格闘大会前後にそんなことがあったろうか、と。
そこにルッツがおずおずと口を開いた。
「あの、マスター。それは恐らくマスターがフシギバナと呼んでいた生き物のことではないかと」
「……マジで?」
恭一が絶句した。大会の時の記憶がまざまざとよみがえる。
そう、確かに恭一はアルタートゥムドラゴンを倒していたのである。本人はそれをドラゴンだとすら認識していなかったが。
アルタートゥムドラゴンというのは、体長1メートル程の青っぽい皮膚のドラゴンである。ドラゴンの割に擬態して獲物をおびき寄せるという習性をもち、その背中にはラフレシアのような巨大な花と葉がある。といってもそれは毒を持つ羽の擬態であり、短時間であれば空を飛ぶことも可能だ。以前はたくさんいたという話だが、現代では超がつくほどの希少種。つまり知っている人間が少ない。ゆえに恭一も知らなかったのだ。痛恨のミスである。
「心当たりがあるようじゃな」
テオが我が意を得たりとばかりに頷く。恭一はいささか面白くなさそうな顔をしたが、沈黙を貫いた。
「あのドラゴンはひどく凶暴で腹を空かしている個体であれば人を襲って食らう。しかしドラゴンゆえ強くてな。腕に覚えのある傭兵でも十人近くはいないと退治は難しい。お主がおらねば格闘大会どころか辺りは血の海の大惨事もありえたじゃろう」
発覚した衝撃的な事実に恭一は再び絶句した。彼としてはポケモンにそっくりなモンスターが襲ってきたので退治して保存魔法をかけた上でコレクションにした、くらいの認識だった。
世界一と名乗るぐらいには超越した実力を持つ恭一だが、元々強かったわけでも修行して実力で強くなったわけでもないので本人は意外と臆病である。特に自己防衛については十重二十重に魔法をかけるほどのチキンっぷりだった。その防衛魔法にかかれば町のチンピラだろうが屈強な戦士だろうが古代種のドラゴンだろうが等しく行動不能になってしまう。そのため恭一には相対的な強さがいまいち分からないのである。
「別に人助けのためにやったわけじゃねえし」
微妙に照れながら恭一がそっぽを向く。そしてふとハイデマリーと会話した時のことを思い出した。
決勝の前のことだ。準決勝が終わり、決勝までしばらく時間が開いてしまうため、恭一達は物珍しいコロシアムの中をうろうろしていた。いつでも恭一についてこようとして来るルッツと、置いていくと間違いなく迷子か誰かに連れて行かれそうなトニも一緒である。
通路の向こうから歩いてきたハイデマリーに気付いたルッツがぴんと尻尾を強張らせた。準決勝でのハイデマリーの活躍をしっかり見てしまったルッツは咄嗟に恭一の背後に隠れていた。実を言うと恭一もどこかに隠れたかったが、ルッツが背中にいる上、ハイデマリーの周囲にはファンらしき女性がたくさんいた。下手な動きをするのも格好悪いと見栄を張ってしまい、背筋を伸ばしてそのまま歩く。トニはいつも通りだった。彼の天然っぷりはある意味驚嘆に値する。
さて、いよいよハイデマリーと恭一達がすれ違うと言う時、彼女の視線が恭一を射た。思わず足を止めた恭一に、周囲の女性のことを一顧だにせずハイデマリーはこう声をかけた。
「貴殿は相当の実力者とお見受けする。この大会に出場すれば優勝も狙えるだろう。何故出場されないのだ?」
真摯な問いではあったが、なにぶん状況が状況だった。ハイデマリーの周囲の女の子は、恭一に対して思い切り胡乱げな眼差しを向けている。何しろ恭一の見た目からしてハイデマリーに負けている。体格でも顔でも。
ここで引いたら男がすたる、と恭一は精一杯クールな表情を作って言った。
「俺は自分が強いとは思わないし、自分の力をひけらかすつもりはない」
ともすればハイデマリーが自意識過剰の目立ちたがり屋だという批判にも取れた。そのことにいち早く気付いた周囲の女性陣から殺気が飛び、恭一は内心で自分の言葉のチョイスの悪さに泣いた。本当は単に、自分の力は自称神様から貰ったギフトであって自分の実力ではなく、ゆえに自慢するようなものじゃない、と言いたかっただけなのだ。
「……そうか」
ハイデマリーは意味深に呟くと、ふっと笑った。
「いつか貴殿と手合わせできることを願っている」
「ご免被る」
内心ではかなりビビりつつ僻みつつ、恭一は素っ気なく言ってその場を離れた。彼に続いてルッツが一礼して離れた際とトニがにこやかに別れの挨拶をした際に黄色い歓声が上がったことに若干恭一がふてくされたのは言うまでもない。彼は壊滅的にモテない。
「――つまりあの人は俺がフシギバナを倒してるのを見てたんだな?」
回想から意識を戻して若干不機嫌になった恭一が確認する。
「フシギバナではなくアルタートゥムドラゴンじゃが、ハイデマリー姉様がお主の活躍を見ておったのは確かじゃな。見ている人は見ているということじゃ」
どうせなら可憐で可愛い女の子に見ていてほしかった、と恭一は思った。心底思った。彼は壊滅的に女運が悪い。
テオはその縦ロールの髪を手で整えながら言う。
「ハイデマリー姉様は常々自分より強い男でなければ結婚相手には認めぬとおっしゃっていてな」
「いねえだろ」
間髪いれず恭一が突っ込む。ハイデマリーは格闘大会において他の追随を許さぬぶっちぎりの実力で優勝していた。東西南北様々な国から強者が集まる格闘大会であれなのだから、ハイデマリーの身分に釣り合うような王侯貴族でそのような猛者がいるとは思えない。
「それゆえに姉様は今まで結婚を見送っていらっしゃったのじゃ」
そう言うと、テオはそれはそれはもう可愛らしい顔で笑い、恭一の肩を掴んだ。
「キョウイチ。お主は姉様の初恋の人じゃ。まさか純情な乙女心を踏みにじる真似はしまいな?」
肩を掴む手が万力のように恭一の肩を掴む。恭一は痛みに顔を引きつらせた。
「テオ、俺は姫さんとは身分が釣り合わない」
「お主なら問題ない! むしろお主が婿に来てくれるというのなら、我ら王族は諸手を上げて歓迎しようぞ」
「俺が大問題だ!」
痛みに耐えかねた恭一がテオの手をはねのけ、距離を取った。
「俺よりイケメンの男と結婚しろ!? 冗談言うな!」
「姉様は女じゃ!」
「つかお前ら王族性癖が倒錯しすぎなんだよ! 王子が女装して王女が男装してお前ら何がしたいんだ!」
「それは今は関係なかろう! お主以外に誰が姉様を倒せるというのじゃ!」
「倒してどうする! いい加減にしないとお前の縦ロールむしって俺のコレクションにすんぞ!」
「お主、我らを敵に回したらどうなるか分かっておるのか!?」
「分かんねえなあ。その時はこの国から出ていくだけだ! 俺はどこでも暮らしていける!」
「マ、マスター落ち着いてください」
ルッツがオロオロとして間に入る。
「とにかく! お前が何と言おうと俺は断るつもりだからな! 今日はもう『帰れ』!」
「待つのじゃ、キョウイ――!」
テオの言葉は恭一の強制帰還魔法によりかき消された。
静かになった店内で、恭一は鼻息荒くカウンター内の椅子に座った。
「ったく。冗談じゃない!」
「マスター…………」
常にない恭一の様子に、ルッツはどう声をかけるべきか迷った。
ハイデマリーのことを聞いたクルトが冷やかしに来て恭一の八つ当たりを一身に受けるのはその数分後である。
さて、強硬な態度でテオを追い出した恭一だったが、翌日から彼は非常に悩むことになった。
毎日のようにハイデマリーが店を訪れるようになったのである。
といっても、ストーカーのような粘着性もなければ押しつけがましい強引さもない。あえて言うなら礼儀正しく爽やかに図々しい。
「キョウイチ殿。北方から届いた珍しい鉱石を持ってきたのですが、一緒にお話でもいかがですか?」
「西方の珍しい書物です。よろしければ読んで感想を聞かせてください」
「馬で半日ほど行ったところに、美しい湖があるのです。よろしければ来週、一緒に遠乗りに出かけましょう」
あくまで爽やかに恭一の好むツボを抑え、あくまでも礼儀正しい。がたいが良いため多少圧迫感はあるものの、必要以上に近付いてこないし、恭一が嫌がれば無理強いは決してしない。
テオのように自身のバックボーンをちらつかせたり脅してくるようならば恭一も反発しただろうが、ハイデマリーが礼儀正しい客人として来たならば話は別だ。そして生物学上彼女は女でもある。しかも思いっきり好意を示されているので、ややお人好しの気がある恭一は素気無く扱うのに抵抗があった。たまに向けられる熱っぽい視線には辟易してはいたが。ハイデマリーのせいではないが、条件反射的に鳥肌が立つのだ。
ハイデマリーは友達付き合いをするならば、非常にいい人間だった。武術馬鹿だとばかり思っていた恭一の予想を裏切り、教養深く話術も巧み。礼儀正しく身のこなしも華麗だ。性格もさっぱりとしていて明るい。さらに王族としての教養はある癖に普段は庶民的嗜好。かなりイケメンなので微妙に反発心が沸きそうになるが、相手が女性だと思えば多少はましになる。
そう。恭一は彼女のことを嫌いではなかった。むしろハイデマリーは好感が持てるタイプだった。数週間の交流を経て、ハイデマリーからの手紙をちょっぴり喜んでしまう程度にはハイデマリーのことを好きになっていた。あくまでも友人として、だが。
といっても、このまま押されていけばなし崩しで恭一がお婿入りする日も近いだろう。
「マスター、マスター、しっかりしてください! ハイデマリー姫は戦いになれば敵を血祭りに上げる人ですよ!? 相手のあばら骨折って高笑いする人ですよ!?」
ハイデマリーからの手紙を楽しそうに読む恭一に、ルッツが半泣きで訴える。彼は恭一が留守にしている間ハイデマリーとテオからダブルでプレッシャーを受けていたため、彼らに対する恐怖がひとしおである。
「でも普段はいい奴だしなあ」
恭一は困ったように頬をかいた。
ハイデマリーの凶暴な面を恭一とて忘れたわけでもないが、ここ数週間はただただ誠実な好意を向けられているばかりなのでついつい絆されそうになっていた。というか、かなり絆されている。
未だに結婚相手としてはノーサンキューな恭一ではあるが、そのうちハイデマリーの気持ちが冷めて友人として付き合っていけないかなーなどと甘い考えを抱いていた。恋する乙女からするとひどい態度であるが、色々と経験の少ない恭一はその辺には気付いていない。
手紙を読みつつのんびりとお茶を飲んでいると、店の入り口のベルが鳴った。
「キョウイチ殿」
「マリーか」
現れたハイデマリーに恭一は笑顔を見せる。ハイデマリーも満面の笑みを浮かべた。あくまでも爽やか肉体派好青年にしか見えない顔だったが。
と、
「邪魔をするぞ!」
どすどすと足音を響かせて店にやってきたのは腕っこきの冒険者であるヴォルフだ。彼はしばしば恭一を冒険者にしようと誘いにやってくる。ここ数週間ほどはギルドからの依頼のため遠方へ行っており、顔を見せていなかったのだが、どうやら帰ってきたようだ。
「俺様と組むつもりになったか、キョ――」
言いかけて、ハイデマリーの存在に気付いたヴォルフはその瞬間、雷に打たれたかのような表情で固まった。字幕をつけるならば「ウォーター!」であろう。姫川亜弓の方の。
不審な態度のヴォルフに恭一が声をかけるよりも早く、彼は恭一ではなくハイデマリーに近付き、その手を取った。
「何と美しい……! 貴女のお名前を伺ってもよろしいか」
恭一は手に持っていたティーカップを取り落とした。中のお茶がこぼれたのでルッツが慌てて布巾を持ってくる。
ハイデマリーはヴォルフの唐突な申し出に目を白黒させながらも、恭一の知己と悟り、礼儀正しく笑顔で挨拶をした。
「ハイデマリーと申します。失礼ですが、あなたは?」
「ヴォルフ・アイゼンシュタットと申します」
その名を聞いて今度はティーカップを片付けようとしていたルッツがカップを落とした。
「ヴォ、ヴォ、ヴォルフさんって貴族だったんですか!?」
驚愕で目を丸くしてルッツが言う。アイゼンシュタットという名字はこの国には一つしかない。アイゼンシュタット公爵家だ。まさか世界をまたにかけて活躍する冒険者が高位の貴族の坊っちゃんだとは誰も思うまい。
しかしヴォルフにはルッツの声も届いていなかったらしい。
「ハイデマリー嬢、あなたに実に似つかわしい名前だ。大輪の薔薇のように気高く美しい貴婦人」
やたらと情熱的にヴォルフがハイデマリーを口説き始めたのだった。
恭一とルッツは固まった。
さて、石化がようやく解けた恭一は、ヴォルフがそういう趣味の人間かと誤解しかけたが、ハイデマリー嬢と呼んでいるということは女性だとはっきり認識しての言動だろうと気付いた。
とはいえ、ルッツと恭一は、目の前で繰り広げられる光景が見てはいけないもののような気がして目をそらした。性別的には間違ってないが、見た目的にはどっちも筋肉隆々の青年なのでアウトである。
「いや、その、私は……」
正面切って本気で口説かれたハイデマリーは顔を真っ赤にさせながら言葉を詰まらせた。今まで本音の透けて見えそうな貴族的な社交辞令や女性からの愛の告白はあったものの、武に目覚めて体を鍛え始めてからは男性に告白されたことは彼女にとって初めてのことだった。彼女が男とする挨拶と言えば、もっぱら戦闘前の挑発合戦であった。色々間違っている。
「キョウイチ殿……」
助けを求めるようにハイデマリーが恭一へとすがるような視線を向ける。それに気付いた恭一は、頭をかくとヴォルフへと声をかけた。
「ヴォルフ、いきなりだとマリーも戸惑ってるだろ。手を離してやれ。っていうかどういうつもりだ」
いやほんとマジで、と言いたいのを恭一は堪えた。
蓼食う虫も好き好きと言うが、色々突っ込みどころが多すぎる。
「この美しい貴婦人に愛をささやいているだけだが?」
「そ、そうか」
堂々と胸を張って言われてしまえばそれ以上言えない恭一である。人はこれをヘタレと呼ぶ。
しかしここで恭一を援護したのがルッツだ。
「ええと、つまりはハイデマリー様に一目惚れされたと?」
確認するように言うと、ヴォルフはそのワイルドな顔を少しばかり恥ずかしそうにそむけた。未だに手はハイデマリーの手を握ったままである。
「ああ」
どこに一目惚れする要素があったのだろう、と恭一達は思ったが、口には出さなかった。さすがにハイデマリーに失礼だ。
そこでようやく平静を取り戻したのであろうハイデマリーがヴォルフの手を振り払った。
「わ、私は、キョウイチ殿をお慕いしている! この指輪が証拠だ!」
顔を真っ赤にしてヴォルフから離れたハイデマリーは、自身の指にはめられたヴンダーリングを示した。
彼女にかけられた忌わしい呪いを解いたそれは、今なお彼女の指に燦然と輝いている。
ちなみにこの国では男性から贈られた指輪を身につけるということは、大抵は恋人同士か将来を誓い合った仲であることを示す。
「なんと! すでに婚約しているということか!?」
ヴォルフが勘違いをして戦慄いた。
正確に言うならヴンダーリングを錬成したのはクルトだし、呪いを解く魔法をかけたのはアーデルベルトなので、恭一はこれっぽっちも製作には関わっていない。
しかし恭一がいなかったら錬金釜破壊の謎も解けず、また聖水などの手配なども難しかったであろうことは事実であり、かつハイデマリーが恭一のことを知るきっかけになったものでもある。
好きな人が関わったものを身につけていたいというのは実に女性らしい乙女思考だ。
しかしヴォルフがそれで諦めるわけもない。というかヴォルフが言ったことは事実ではない。恭一は呆気に取られていたせいで反論できなかったが。
「ならば、力づくで奪うのみ! ハイデマリー嬢をかけて勝負だ!」
腹の底から響くような声でヴォルフが言う。
どうやって断るべきか、というかそもそも誤解を解くのが先だろうか、と恭一は迷いながらヴォルフを見た。
彼が口を開く前にハイデマリーがそれを制する。
「キョウイチ殿が出るまでもありません」
そう言うと、どこか野獣を彷彿とさせる笑みを浮かべてヴォルフに言う。
「私は私より弱い男を認めない。私を奪いたいと言うのならば力を示せ」
するとヴォルフもにやりと笑った。
「ならばハイデマリー嬢、勝負!」
なんでそうなる! という恭一のツッコミよりも早く、ヴォルフとハイデマリーの拳と拳がぶつかり合った。その衝撃波で、壁に並んだ棚に陳列してある商品がバタバタと倒れた。目玉商品の人魚の涙(これ一つで庶民の家が一つ買える)が床に落下し、音もなく砕け散った。恭一が声にならない悲鳴を上げる。
「店内でやるな馬鹿! 『バトルフィールド展開』!」
途端に紫電が部屋の中を縦横無尽に駆け巡り、景色が変化した。
恭一達四人は軽く半径一キロはありそうな半円の空間に立っていた。地面には青々とした草が生え、空は明るく澄み渡っている。恭一が創造し亜空間だ。ここでいくら大暴れしようとも現実世界には影響がない。
二人は全く違う場所に一瞬で移動したにも関わらず動じた様子はなく、ハイデマリーがバックステップで素早く後退すると、ヴォルフがそのまま踏み込んで二撃目を打ち込む。衝撃波で数メートル離れているはずのルッツの髪が揺れた。
「ぬるいわ!」
すっかり狂戦士の顔になったハイデマリーはそのたくましい腕をクロスさせてヴォルフの拳を止めると、一気に腕をからめて体を引き、体勢を崩したヴォルフの頭に強烈な頭突きを見舞った。
ゴスっと重い音が響く。
「ぐぉっ!」
ヴォルフは一瞬苦悶に顔をゆがませたが、
「まだまだぁ!」
すぐに体勢を整え、ハイデマリーに風を切る音の聞こえる強烈な蹴りを繰り出した。ハイデマリーはそれをいなしてヴォルフの腹に拳をめり込ませる。
「ははは、この程度で私に挑むとは笑わせる!」
ドガ、ボコ、メキ、と聞こえてはいけないような重い音が亜空間に響き、血しぶきやら汗やらが飛び散る。いつかの格闘大会を彷彿とさせる、しかしそれよりも格段に激しい戦いだった。
「おい、二人とも止めろ!」
恭一が声を掛けるが、
「血がたぎる!」
「ははははは! 愉快だ、実に愉快だ!」
と、戦闘狂の二人にはまったく聞こえていないようである。
「どうしてこうなった……」
恭一は頭を抱えた。
女をめぐって男同士が戦う話は聞いたことがあるが、女をめぐって男女が戦うとはこれいかに。しかも男が求婚者で女は被求婚者である。
二人の様子を見ると、檻から解き放たれた野獣のように生き生きとしながら殴り合っている。顔だろうがボディだろうがお構いなしだ。服が破れていたりあちこちから血が滲んでいたりと二人ともかなり凄まじい様相になっている。時折血しぶきが恭一達のところにも飛んできた。
「マスター……僕気絶していいですか」
「ああ、お前は何も見なかった」
律義にお伺いを立ててから顔面蒼白のまま気絶した押し掛け弟子を支えると、恭一はそのまま彼を元の店へと送り返した。そのうちトニが気付いてルッツをどこかに寝かせてくれるだろう。
後は目の前で高らかに笑いながら殴り合っている二人をどうするべきか、と恭一は遠い目をするのだった。
さて、魔法を使えば強制的に二人を止めることもできたはずだが、恭一はそれをしなかった。何故かといえば経験則だ。下手にここで止めると大変なことになる。主に恭一が。
これはもう二人の気が済むまでやらせて決着がつくまで待つしかないだろう、とそこかしこに地面を割ってクレーターを作っている二人を見守ることにした。言っておくと、恭一の作った亜空間の地面は簡単に割れたりクレーターが出来たりするほど柔くない。
片や世界中で引っ張りだこの冒険者、片や世界的な格闘大会でぶっちぎり優勝するほどの猛者。規格外の二人の実力は拮抗していた。
目をぎらつかせて地面を割っているハイデマリーには、恭一の好んだ爽やかで礼儀正しく穏やかという人物像を完膚なきまで破壊するに十分だった。
ああ、うん、やっぱりないな、と恭一は内心で一人ごちる。もし結婚などということになれば、カカア天下どころの話ではなさそうだ。夫婦げんかで死ねる。
そしてしばしの時が流れ、戦いにもようやく終わりが見えてきた。
「ぐっ……はっ……」
ヴォルフが苦しげに膝をつく。口の端からは血が流れ、何本か骨も折れているようだ。服には血がにじんでいる。
「どうやら勝負あったようだな」
高圧的にハイデマリーが言う。彼女の拳はヴォルフの血で染まっていた。
「まだ……まだだ……!」
すでに限界が近いであろうヴォルフは、それでも諦めずに立ちあがろうとする。
ハイデマリーは無情にもヴォルフの体を蹴り飛ばした。なすすべもなくヴォルフは吹っ飛ぶ。
「マリー!」
さすがに恭一が咎めるように声をかける。
ハイデマリーは少しだけ恭一に視線を向けたが、すぐにヴォルフへと視線を戻した。
ヴォルフは血反吐を吐きながらも再び体を起そうとしていた。
「ヴォルフももう止めろ! 勝負はついてるだろ!?」
痛いのが嫌いな恭一にとって、他人が怪我をする様子も見ているだけで痛くて嫌だ。
しかし恭一の制止もヴォルフには通じない。
「諦める……わけには……いかん!」
やおら咆哮を上げたかと思うと、再びヴォルフはハイデマリーに襲いかかった。
振りかぶったヴォルフの拳が自然体で立つハイデマリーへと近づく。
が、何故かハイデマリーが動く気配はない。
そしてヴォルフの拳がハイデマリーに届くほんの数センチ手前で止まった。
「ヴォルフ……?」
恭一が声をかけるが、ヴォルフは無言のまま動かない。
眉を寄せて恭一がヴォルフに近寄って見ると、彼は立ったまま気絶していた。
お前はどこの少年漫画の登場人物だ! と恭一は心中で突っ込んだことは言うまでもない。
さて、勝負がついたということで恭一はハイデマリーとヴォルフの治療をした。もちろん魔法である。彼に医療知識はない。店に戻ってルッツが再び卒倒しても困るので、血も清めて服も元に戻しておいた。猫人族のルッツは鼻が利くため、そういった臭いにも敏感なのである。普段ならば平気なのだが、今はタイミングが悪い。
怪我を完治させてしばらく経つと、地面に寝かされたままのヴォルフが目を覚ました。恭一とハイデマリーがヴォルフの顔を覗き込む。
「……負けたのか」
ゆっくりと身を起したヴォルフは無念さをにじませて呟く。
「いや、お前は頑張ったよ」
っていうか頑張りすぎだよ、気絶する直前まで動くってなんだよ、お前どこのバトル漫画出身だよ、と恭一は思ったが口には出さなかった。異世界では通じない突っ込みだ。
「ハイデマリー嬢」
ヴォルフがハイデマリーに顔を向ける。ハイデマリーは緊張した面持ちでヴォルフと視線を合わせた。
「大変お強い。ますます惚れ直しました」
お前はマゾか、と口に出そうになった恭一だったが、すんでのところで飲み込んだ。戦闘狂の考えに共感するのは恭一には難しそうだ。
ついでに言うなら戦闘中と戦闘前後のテンションの差にもついていけない。二重人格かと疑いたくなるくらいだ。特にハイデマリーは。
さて、そんな熱い告白を受けたハイデマリーといえば、こちらもまた戦闘中のバーサーカーモードとは打って変わって乙女らしく顔を赤らめている。熱烈な告白に乙女心が揺れているようだ。重ねて言うと揺れているのは乙女心である。
「マリー、俺が言うのもなんだがヴォルフはいい奴だぞ」
恭一が言えば、ハイデマリーは一瞬悲しげな表情を浮かべたが、やがてすっくと立ちあがった。
「私より強くならねば、認めるつもりはない」
ヴォルフがぐっと拳を握る。
「だが――」
そう言うと、ハイデマリーは不敵に笑った。
「再び挑戦するつもりがあるなら、いくらでも待ってやろう」
何かを吹っ切れたような、清々しい顔だった。
さて、その後元の場所に帰った三人だったが、ハイデマリーは意外なことを言った。
「私はこれから修行の旅に出ようと思います」
雄々しく笑う彼女に、恭一は驚いて目を丸くした。
「ヴォルフには勝っただろ?」
するとハイデマリーは首を振る。
「しかし無傷とは行かなかった。世界は広い。私より強い人間ももっといるでしょう」
「ならばその修行、俺様も同行しよう」
ヴォルフが言う。
「好きにしろ」
ハイデマリーはぶっきらぼうに言うが、その言葉はどこか柔らかい響きがあった。
国を担うはずの貴族の子息と王女が修行の旅に出てもいいものなのかと内心で首をかしげつつ、恭一は自商品の中からいくつかのものをピックアップした。
「餞別だ。持って行け」
そう言って渡したのは強力な傷薬。背熱帯の奥地で取れる貴重な傷薬で、恭一の魔力も付加してあるため非常に強力なものだ。
「ああ、ありがたく」
「感謝します、キョウイチ殿」
受け取った二人は、力強い足取りで店から出て行ったのだった。その姿はまるで、今から戦場に向かう二人の戦士のようだった。
恭一は深く考えないようにした。
それからヴォルフとハイデマリーの修行の旅が始まったのだが、深くは語らないでおこう。
ただ言えるとすれば、過酷な修行によって時として訪れる命の危機を力を合わせて乗り越えていった二人の間には確かな絆が芽生え、恋へと発展していったということぐらいなものだ。
彼らが修行の旅に出てから半年少しが過ぎて、二人が恋人同士になったという手紙が恭一の元に届いた。少しだけ複雑な気分になった恭一だったが、素直に祝福のメッセージを送った。
それから時折ヴォルフやハイデマリーから手紙が届いたが、どうやら二人は上手くいっているようだった。
そして一年以上時が過ぎ、ヴォルフ達が王都へ帰ってくることになった。
素材屋の店のベルが鳴る。
「らっしゃ……ヴォルフか! 久しぶりだな!」
恭一は驚いて立ちあがる。
久しぶりに会った友人はいっそ憎らしいくらいに以前よりもさらに精悍さと渋さが増し、いい男っぷりに磨きがかかっていた。どんな激しい修行をしてきたのか、傷跡もたくさん増えている。
「おお! 久しいな。俺様に会えなくてさびしかったか?」
「んなわけねえだろ」
恭一は顔をしかめて言い返す。そしてふと気付いて首を傾げた。
「ヴォルフ、その人は……?」
恭一の視線の先には、大層美しい女性がいた。
プラチナブロンドの豊かな髪が波打ち、多少日焼けはしているものの引き締まった顔立ちは非常に整っており、高貴な美しさがあった。また、すらりと伸びた肢体とシンプルでやや緩いデザインのドレスが相まって、街を歩けば誰もが振り返るであろう美しさがある。
一言で表現するなら、べらぼうな美人だった。
恭一に視線を向けられた女性はたおやかに微笑んだ。
「キョウイチ殿、お久しぶりです。ハイデマリーです」
「…………………マリー?」
恭一は我が目を疑った。
確かに声はハイデマリーに似ている。彼が覚えているものよりも少し高いが。
「せっかくの美しい髪だから伸ばしてみろと俺が言ってな」
ヴォルフは誇らしげに笑う。
「お腹に子供がいるのが分かったので、激しい運動を控えていたらすっかり筋肉が落ちてしまいまして」
激しい爆弾発言を次から次へと投下され、恭一は頭がショート寸前になっていた。
普通筋肉が衰えると脂肪になり変わるのだがそれ以前にあの筋骨隆々の男にしか見えなかったのがどうしてこんな美女なるのか。
「っていうか、子供?」
「ああ」
「そうなんです。順番は逆になりましたが、落ち着いたし結婚式も挙げようと」
照れ照れとしながら二人が応える。
「ハイデマリー姉様が帰ってきたとは真か!?」
「テオ様! お待ちください!」
「アーデルベルト! 俺まで巻き込むな!」
どこで情報を聞きつけてきたのか、テオが転げこむように店内へと駆けこんできた。それを追いかけてアーデルベルトと、彼に連れてこられたクルトも一緒だ。
そして店内になだれ込んできた三人は、ヴォルフとハイデマリーを見て目が点になった。
さらにその騒ぎを察してルッツやトニも掃除から戻ってきた。
彼らはひとしきりハイデマリーの変貌に驚いた後、妊娠という事実を知って祝いの言葉をひとしきり彼らに送ったのだった。
「ならば結婚式を上げましょうぞ! 姉様の結婚式です。盛大に国民で祝いましょう!」
興奮したテオが嬉しげに言う。恥ずかしそうに笑うハイデマリーは頬に手を当てる。彼女の指には既にヴンダーリングはなく、代わりにヴォルフの指にあるものと同じ指輪がはめられていた。
「ハイデマリー様はすっごくお美しくなられましたね〜」
「女性って変わるんですね……」
にこにこと笑うトニとは対照的に、ルッツは人体の神秘に遠い目をしていた。アーデルベルトはうれし泣きしていた。
「キョーチ、惜しいことしたな?」
クルトが意地悪くニヤニヤしながら声をかけてきたので、恭一は無言でクルトの髪が七色アフロになる魔法をかけておいたのだった。
逃がした魚は大きいということを知った恭一は、二人の結婚祝いを盛大にすることを約束しつつ、その日の夜は枕をぬらすこととなった。
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