彼は素材屋

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長い友とアーデルベルトの受難


 アーデルベルトは王宮勤め魔法使いである。有体に言うと超エリート。かなり偉い。有望株だ。
 しかし彼は同時にクルトの後見人でもあった。尻ぬぐい役とも言う。
 優秀な人材は宝だ。多少性格に難があろうとも、それを無視してでも確保しておかなければならない。そのため優秀な錬金術師を諸外国に盗られぬよう、またいらぬ問題を起さぬようにとお目付け役を仰せつかったアーデルベルトは、ひとたびクルトが問題を起せば飯時だろうが寝ていようが休日だろうが呼び出される。周囲の人間から苦情を言われるのも彼であれば、説教を食らうのも彼である。二十四時間年中無休。但し残業手当や深夜手当は出ない。苦労人である。


 さて、この世界では魔力は髪にたまると言われている。優れた魔術師の髪がひと房あればマジックアイテムが作れると言われているほどだ。魔術師にとって髪を切るとは術を使うと同義であり、大抵は伸ばしっぱなしである。アーデルベルトの髪も、売るところに売ればひと房で高価な宝石ぐらいの価値は出る。


 そういう事情を知っている素材屋こと恭一は危惧していることがあった。




 王都の外れには、世界一の素材屋と書かれた看板のかかる店がある。
 年若い店主と二人の従業員を抱えるその店は、その名の通り魔法、錬金術、料理、工芸などなど様々な分野の素材を調達してくれる。
 かの素材屋に頼めばこの世で手に入らないものなどない。どんなものでも必ず納期を守って調達してくれる、知る人ぞ知る優良店である。



 さて、そんな素材屋には、今日もにぎやかな来客が訪れていた。

「キョーチひっさしぶりー。ちょっと素材調達してほしいんだけど」

 白い髪を気だるげにかき上げながら、少年錬金術師のクルトが入ってくる。何故かその左手首にはロープが結ばれており、その端を彼のうしろを歩いているアーデルベルトがしっかりと握っていた。
 カウンターの奥でコレクションの整理をしていた店主こと恭一は来客に視線を向けると、思い切り呆れた顔をした。

「アーデルベルトも大変だな」
「うむ」
「なんで俺が悪いと思うんだよキョーチ!」
「それ以外に理由がない」

 憤然と抗議してくるクルトに恭一はきっぱりと言い切る。そしてアーデルベルトに向かって、

「リードか?」
「逃走防止用にな。納期が近いというのに工房から脱走ばかりする」

 答えたアーデルベルトは渋面である。恭一は同情めいた顔で頷いた。クルトは不満げに鼻を鳴らす。恭一は肩をすくめた。

「で、何の素材だ? 最近大口の依頼が入ったから品薄だが」
「用意できる分だけでとりあえずはオッケーだぜ。おいおい持ってきてくれたいいからさ」

 切り替えの早いクルトはにかっと笑うと、懐からくしゃくしゃになった紙を取り出した。

「ええと……薔薇蛙の油ひと匙だろー、空飛ぶ蛇の卵八つだろー、流れ星のかけら十個だろー、火焔茸の胞子をひと握りにオレネクスの花弁五十枚、あ、それから神泉の沸き水をバケツ一杯に人魚の魔石を七つ!」
「おい」
「待て」
   
 恭一とアーデルベルトの声が重なる。一瞬顔を見合わせた二人だが、恭一がお先にどうぞと目線で言ったのでアーデルベルトが口を開いた。

「どういうことだ、クルト。すでに依頼の品は八割完成していると言っていなかったかね? その品目は、錬成の初期に必要なものだろう」
「あれ、俺そんなこと言ったっけ? まあすぐできるって」

 クルトはへらへら笑う。アーデルベルトの額に青筋が浮かんだ。

「予定が押すのはしょうがないとしても、嘘の経過報告は止めたまえ。もし間に合わなかった時どう責任を取るのだ!」
「大丈夫だってー。俺天才だしー」

 怒鳴られてもクルトは一向に堪えた様子がない。いつものことではあるが。
 しかしそう分かってはいてもアーデルベルトの怒りは高まるばかりである。

 さらに、

「悪いがクルト。お前の言ってる素材、俺のストックにはない」

 と恭一が追い打ちをかける。

「げ、マジかよ」

 クルトの顔がゆがむ。恭一は肩をすくめた。

「マジだ。どれもこの近くで採取できるもんでもないし、その上空飛ぶ蛇の産卵期はつい一カ月ほど前に終わった。流れ星のかけらが取れるのは来月だ。オレネクスに至っては咲くのは半年後だしな。前々から言ってくれていたら十分に用意も出来たが、こればかりはちょっとな。随分と色々必要なようだが、そんな急な仕事だったのか?」

 随分無茶を言う依頼人だな、と言いかけた恭一だったが、それはアーデルベルトの落とした(魔法的な意味での)雷の音によってかき消された。

「おい馬鹿、店内で魔法使うなよ」

 非難がましい恭一の言葉は、店内の心配をしただけであって雷を食らった人物に対する心配ではない。そしてアーデルベルトの完璧な魔法の調整と恭一の張った結界により店内に被害はない。クルトを除いて。

「いってぇんだよ馬鹿! 何しやがる!」

 黒焦げになったクルトがアーデルベルトの胸倉をつかむ。頑丈な少年である。
 が、ほぼ同時にアーデルベルトもクルトの両肩をがっしりと掴んだ。

「クルト、貴様はいつこの依頼を受けた! 一年近く前だろう!? 準備できる時間は腐るほどあったのに何をしていた!」

 地獄の鬼もかくやという形相をしたアーデルベルトが万力のような力でクルトの肩を掴みあげる。クルトの顔は真っ青だ。

「わわわわ悪かったよ! 他のことが忙しくてつい後回しにしてて――」
「後回しに!? 誰から受けた依頼か貴様の頭はしっかり理解していなかったようだな!」

 クルトの言い訳も火に油を注ぐようなものである。

「落ち着いてください」
「これが落ち着いて――――」

 静かな声が掛けられて思わず怒りの形相のまま振り返ったアーデルベルトだったが、次の瞬間には石化したように固まった。彼に釣られるように声の方向を振り返ったクルトもピシリと固まった。

 彼らの視線の先、店の入り口から入ってきたのは上等のベストを着た五十そこそこの男性だった。彫の深い顔立ちは年齢を重ねていてもなお、というか年齢を重ねたからこその渋みも加わりかなりの美形である。その上気品も漂う、まさに紳士といった体の男性だ。瑪瑙の飾りのついた杖をつきながらゆっくりとカウンターへと近づいてくる。

「あれ、いらっしゃいませヨハンさん。お久しぶりです。いつこちらにいらっしゃったんですか?」

 来客に気付いた恭一は何故か固まったアーデルベルトたちを放置して挨拶をする。

「久しぶりですね、キョウイチ君。近くまで来る用事がありまして、折角だから寄ってみたんですよ。お元気そうでなによりです」
「そうなんですか。ヨハンさんもお元気そうで。いつぞやはお世話になりました」

 恭一は基本的に年の離れた年長者には丁寧な物腰である。不逞な輩は除く。
 
「いえいえ、大したことはしませんでしたよ。ところでこのお二人は……?」
「気にしないでください。いつものことです」

 硬直状態の二人を見て不思議そうにするヨハンに、恭一は笑顔で言う。真実であることがさらに救いがない。

「こっちの白髪が錬金術師なんですけど、仕事の納期が遅れてるとかで。それでよくこっちのお目付け役に怒られるんですよ」

 他人事なので気楽に笑う恭一だが、途端にクルトの表情が引きつった。

「白髪の錬金術師…………もしかして、あの有名な――」
「キョーチ! さっきの件、任せたからな!」

 ヨハンの言葉を遮るように叫んだクルトは、言下に駆けだして店内から逃げ去っていった。リードはいつの間にか外したようだ。

 ヨハンが件のクルトの依頼人であり、なおかつとある国の王族であるということを、アーデルベルトが彼に謝り倒し始めたことによって恭一は知る。


 なんだかんだで揉めたのだが、最終的に恭一が何とかするということで話はつき、ヨハンは帰っていった。
 静かになった店内で、アーデルベルトはぐったりと椅子に腰かける。ルッツはそれを気の毒そうに見ながら彼にお茶のお代わりを出した。普段はあまり出さない最高級茶葉だ。

「アーデルベルトさんも大変ですね。あんな人のお守りをさせられて」

 心底気の毒そうにルッツが言う。

「だな。納期破りは前からあったけど、今回のはさすがにねえわ。どんだけルーズなんだよ」

 恭一も呆れ果てた様子でため息をついた。恭一は生真面目ではないが普通に真面目である。こと、破れば他人に迷惑がかかるような約束は破らない。
 アーデルベルトは冴えない表情でお茶を飲んでいる。
 と、

「おーい。もうあの人帰った、よな?」

 諸悪の根源である白髪の隻眼錬金術師が何故か店の奥からひょっこり顔を出した。

「おい、すっとこどっこいぱーぷりん。どこから入ってきた」
「裏口からに決まってんだろ」
「クルト、そこに直れ。今日こそ貴様のその根性叩き直してくれる」

 アーデルベルトがどすの利いた声で言う。クルトは嫌そうな顔で踵を返しかけたが、

「まあ『椅子に座れ』」

 例によって例のごとく恭一の魔法によってクルトは強制的に椅子の上に座らされた。自分の意志では立つこともままならず、クルトはぎゃあぎゃあと喚くが、同情する人間は誰一人としてその場にいなかった。
 彼の前に仁王立ちしたアーデルベルトは、鬼の形相で語り出す。

「いいかね。他国の王族から依頼を受けるということは、国の威信が関わるということだ。お前は国一番の錬金術師だと我が国が推薦してあのお方も依頼を下さった。それを破れば国の威信が損なわれる。重大な外交問題に発展しかねないことがらだ。その責任がお前に取れるのか。そこを貴様は分かっているのか!」

 雷のように空気が震える怒鳴り声がアーデルベルトの口から発せられるが、クルトは首をすくめただけだった。

「悪かったって思ってるって。本当はもっと早くに作る予定だったんだけど、他のことで材料を使っちまって――」
「なら何故早くにそのことを言わない!?」
「言ったらお前怒るじゃん」
「まるで小さい子供の言い訳ですね」

 ルッツが呆れ果てたように言った。恭一も内心で同意する。
 白々とした空気になった時、店の入り口のベルが鳴った。

「あ〜、アーデルベルトさんもクルトさんもいらっしゃいませ〜。今日は何かのご依頼ですか〜?」

 買い物から戻ってきたトニが、ニコニコと笑顔で言った。彼は基本的に空気を読まない。
 ふと恭一が思いついて膝を叩いた。

「そうだ、トニ。今から言うクルトからの依頼の見積もり出してくれないか?」

 いきなりのことにクルトだけでなくアーデルベルトやルッツまでもがきょとんとした顔で恭一を見た。恭一は意地悪く笑う。

「かしこまりました〜。すぐ準備しますね〜。少々お待ち下さ〜い」

 トニはいつも通りの調子で言うと、店の奥へと入っていった。

「つか、見積もりってトニが出すのか? あいつで大丈夫なのかよ」

 クルトがいささか心配そうに言うと、恭一は鼻で笑った。

「安心しろ。お前よりよっぽど信用できる頭の持ち主だ」
「んだとコラ」

 かっとなったクルトは思わず立ち上がろうとするが、未だに恭一の魔法が作用しているせいで椅子がガタガタ揺れただけだった。
 
「まあ一度、自分がもたらした悲劇ってのを体感してみた方がいいだろ」

 素っ気なく恭一が言うのとほぼ同時に、トニが筆記具と見積書、そして分厚い帳簿を持って戻ってきた。

「はい、いつでも大丈夫ですよ〜」

 いつもの笑顔を浮かべるトニに、何故か嫌な予感をクルトは覚えた。
 たとえるなら、ライオンが狩りの前に毛づくろいをしている姿を見るような、そんな雰囲気だ。
 恭一は目を細めて口を開く。

「じゃあ言うぞ。お得意様特価で薔薇蛙の油ひと匙をブジットンに採取、空飛ぶ蛇の卵八つと流れ星のかけら十個をフォルコメン市場に買い付け、火焔茸の胞子をひと握りにオレネクスの花弁五十枚を北半球のアハト島に採取、神泉の沸き水バケツ一杯をザーゲ山へ採取、人魚の魔石を七つをピスキス村へ買い付け、以上。一週間以内の超特急便だ」

 恭一がつらつらと述べていくと、トニは普段のおっとりした様子とは打って変わって素早くペンを走らせていく。

「で、締めていくらだ?」

 恭一が尋ねると、トニは眼鏡の位置を直してにこりと笑った。

「はい。お得意様特価ですと、大陸最東端ブジットンと北半球アハト島、秘境ザーゲ山、海底ピスキス村への出張費が合計10万8千ゴルト、買い付け交渉費用が3万ゴルト、商品代金が80万2千ゴルト、超特急料金を加えまして、合計金額が、105万1700ゴルトになります」
「は……はあぁぁあ!?」

 クルトの叫び声が響いた。

「嘘だろ、ありえねえよ! 高すぎるだろ! 城一個買えるぞ!?」

 猛烈な抗議の声に辟易しながらも、恭一はトニに目で合図する。すると心得たとばかりにトニは分厚い帳簿をめくりだした。

「よろしければ見積もりの詳細と価格表を照らし合わせて説明いたしますよ〜。まずこちらがクルトさんのお得意様特価の価格表になるんですが〜、出張費につきましてはこちらの表にある通り、採取地域が遠かったり足を踏み入れるのが困難な地域は既定の出張費を頂くことになっているんです〜。今回は大陸最東端と北半球と秘境、それから海底への採取及び買い付けを含みますので〜」
「もういい止めてくれ…………大赤字じゃん……!」

 クルトは天を仰いでうめく。

 1万ゴルトあれば軽く一カ月は豪遊出来る程の金額である。100万あれば王侯貴族並みの贅沢だって可能だろう。

「ちなみに報酬っていくらなんだ?」

 恭一が尋ねると、アーデルベルトが肩をすくめた。

「90万ゴルトだ。元々今回の仕事は錬金術師に課せられた賦役のようなものだったから、かかる費用と合わせると僅かに利益が出るくらいになっている」

 実際問題、これほど切羽詰まった納期でなければ少なくとも素材調達の段階から足が出るということはなかったはずである。

「アーデルベルト! 王宮から金――」
「出さん」

 にべもなくアーデルベルトは断る。

「でもこんな大金ねえよ!」
「……クルトさん、ご自分で結構稼いでると前におっしゃってませんでしたか?」

 子供のように駄々をこねるクルトに、ルッツは冷ややかな眼差しが向けられる。

「俺は宵越しの金は持たない主義なんだよ!」

 やけっぱちのように叫ぶクルトに、お前は江戸っ子か、と恭一は心中で呟いた。

「大丈夫ですよクルトさん。当店では代金の分割払いも受け付けておりますよ〜? 毎月3万ゴルトずつお支払頂ければ、利息込みで36回払い、ちょうど三年で支払いが終わりますし〜」

 人のいい顔をしたトニはさらっと追い打ちをかけた。

「利息とるのかよ!」
「2万8300ゴルトだけですよ〜。一回ごとの支払いで割ったら800ゴルトもありませんし〜」

 ただし800ゴルトもあれば新しい服を何着か仕立てることができるのだが。
 クルトは顔をゆがめた。

「金が金を産むなんて神をも恐れぬ不逞な行為だと思わないのか!」
「利息と言っても回収に日数が掛る場合の回収の手間賃ですよ〜。こちらは仕入れにかかった費用を全額回収するのに二年も待たなければいけないんですから〜。それがお嫌なら一括でお支払いくださいね〜。あるいはひと月8万9000ゴルトで一年お支払いいただければ利息は1万6300ゴルトで済みますよ〜」

 ただし一回分の利息は1300ゴルトを超える高利率である。
 笑顔で切り返すトニに、クルト以外の人間は感嘆の息を漏らした。

「……トニさん強い」
「まあ財務会計に関しちゃあいつの右に出る奴はいないしな」

 ルッツの呟きに恭一が答える。
 普段ののんびりおっとりふんわりな印象に勘違いしがちであるが、トニは頑固な一面がある。こと財務関係においては自身の信念を貫く傾向があるため、買収や懐柔は意味をなさない。
 利息を取るという考え方は王都でもまた周辺諸国でも悪いことという風潮が強い。宗教的な理由が強いのだが、金が金を産むという仕組みを唾棄する人間は多いのだ。金貸しが盲人や未亡人など限られた人間にしか許されていない職業だからかもしれない。差別意識は強いものである。
 が、日本育ちの恭一からすれば、ジャ●ネット●カタじゃあるまいに、賦払いに利息がつかない方がおかしい。あるいは昔の呉服よろしく貸倒損失が発生する前提で高めの粗利率で売るという方法も考えたのだが、それでは現金払いしてくれる客に申し訳ない。それに素材屋自体が恭一の趣味のついでのようなものなので、儲けに走らず市場が価格崩壊しない程度でよいと考えている。
 というわけでトニと他少数の人間からしか理解してもらえない賦払いにおける利息を素材屋では絶賛採用中である。嫌なら余所を当たるか一括で払え、だ。

「で、どうする馬鹿クルト。納期は待っちゃくれないぞ。大人しく身銭を切るか、完遂を諦めるか、はたまた金が足りませんと王宮に泣きつくか。選べ」

 恭一が人の悪い笑みを浮かべながら言うと、うんうんと唸っていたクルトは自身の頭をかきむしってから言った。
 
「分かったよ! 買う! 分割だろうがくそったれた利息だろうが払ってやるよ!」
「よし、なら決まりだ。トニ、割賦契約書書かせとけ」
「かしこまりました〜」

 と、そこからはトントン拍子にことが運び、直後に恭一は素材調達の旅に出かけた。クルトが七転八倒していようがアーデルベルトがほっと胸を撫で下ろしていようが一切関知しないことである。
 さて、素材調達の旅はいつもなら一カ月ぐらいはのんびりするのだが、今回ばかりは大急ぎで各地を回らなければならない。
 クルトが納期を間に合わせなければならないように、恭一もヨハン相手に自分がなんとかすると約束してしまったからである。
 恭一の持つ規格外の魔力を持ってすれば北半球だろうが南半球だろうが音速を超える勢いで移動が可能である。というかワープポイントの座標さえしっかり認識していれば瞬間移動だって可能だ。面白くないから使わないだけで。旅の醍醐味は旅路にある。

 まあそういったわけで、恭一がクルトに言われた全ての素材を調達して戻ってきたのは依頼からちょうど一週間後のことだった。

 それからさらにクルトの尻を蹴飛ばしてせっつき、無事納期に間に合ったのがその二週間後のことであった。


 さて、その数日後に、アーデルベルトは素材屋へとやってきた。

「らっしゃい苦労人。また何か新しい依頼か?」

 巷で流行りの娯楽本を読んでいた恭一は本から視線を上げると笑った。

「いや、まあ、先日の礼、のようなものだ」

 やけに歯切れの悪いアーデルベルトは、珍しくガタガタと音を鳴らしながら椅子を引いた。どうやら疲れ切っているせいで行儀作法もどこかへ忘れてきたようである。

「キョウチのおかげでヨハン閣下の依頼は無事遂行できた。オリオージャから取り寄せた空兎の尻尾だ。受け取ってくれ」

 差し出された箱の内部にはベルベットが敷き詰められ、美しい空色の尻尾が鎮座していた。

「空兎っていうと、晴れの日に空を駆ける幻の兎か?」
「ああ。捕らえると尻尾だけ残してどこかへ消えてしまう謎の生物だ」
「トカゲっぽい生態だよな。サンキュ、ありがたく頂く」

 恭一は尻尾を手に取りながら笑う。これでまた彼の新しいコレクションが増えたことになる。

「ルッツ、アーデルベルトにお茶用意してくれ。この前買ってきた奴」
「はい、ただいま!」

 店の奥に声をかけるとルッツの元気のよい声が返ってくる。

「すまんな、キョウチ」
「気にすんな。珍品貰ったし」

 空色の尻尾を丁寧な手つきで撫でる恭一は上機嫌だ。

「今日はテオのお守りはいいのか?」
「さすがにテオ様も毎日城下に降りられたりはしない」

 世間話がてらに恭一が尋ねると、アーデルベルトは疲れたように自分の藤色の髪をかき上げた。
 ふうんと呟いた恭一はアーデルベルトの背後、店の入口へと視線を向けた。

「そうか。んじゃあれは誰だ?」

 恭一の言葉に振り返ったアーデルベルトは唖然とした。
 今まさに店内に入ってきたのは噂の女装王子テオと、頑丈そうなロープにぐるぐる巻きにされた状態のクルトだった。見知らぬマッチョがクルトを俵担ぎにして運んでいる。
 マッチョは店内に入るとクルトを床に下ろし、そのまま出ていった。

「誰だあのマッチョ……」
「久しいのキョウイチ。此度は手数をかけたようじゃな」

 恭一の呟きが聞こえなかったのか、テオはあでやかに微笑む。金髪縦ロールに整った小顔に芸術レベルの化粧、そして上等な深紅のドレス。どこからどう見ても美しいお姫様だが中身は王子様である。基本的にこの国の王族はおかしな性癖を持っていると恭一は確信している。

「ああ、クルトの件か? 別にもう済んだことだろ」

 あっさりと受け流した恭一だったが、視線はみの虫状態で床をうごめいているクルトに釘づけだった。魔法で縛ることはあっても古典的なぐるぐる巻きなど早々お目にかかることがないのだ。かなりシュールで面白い。

「済んだことではあるが、あれは一歩間違えれば外交問題に発展するところ、すんでのところでお主が食いとめたのじゃ。かなりの功績であるという自覚を持ってもよいものを」
「俺は俺の仕事をしただけだ。この国のためじゃない」

 恭一はあくまでも素っ気ない。下手に愛国心を見せるといいように利用されると知っているからだ。
 愛国心やら忠誠心、愛情、友情、そう言ったものは相手を格安で動かせるものだ。

「ふん、謙虚なものよ。こやつも少しはお主を見習ってほしいものじゃ」

 そう言ってテオは床に転がるクルトをぐりぐりと踏みにじった。クルトがくぐもった悲鳴を上げる。よく見れば猿ぐつわをされていた。

「二人とも、俺の店でそういうプレイは止めろ」
「ふが、ふごおおぉ!」
「……これ、どういう状況ですか」

 お茶の準備をしてやって来たルッツがどん引きした表情で呟く。改めて言うまでもなく教育上非常によろしくない状況である。

「そうだな……客が二人増えたから追加の分のティーカップ頼む」
「……はい、分かりました」

 何か言いたそうにしていたルッツだったが、大人しく恭一の言葉に従ってまた奥に引っ込んだ。 

「お前らもそういうプレイは自重しろ。女装プラスSM女王様とかどんなニッチな層狙ってんだよ」
「キョウイチ、エスエムとはなんぞや」

 テオが不思議そうな顔で尋ねる。相変わらず足はクルトの背中をふんづけたままである。
 恭一は視線を逸らした。

「とりあえず話があるんなら座れ。あとなんでクルトはそんな状態なんだ」
「ふん。今回の件をアーデルベルトから報告を受けた。こやつはもう一度キョウイチに自腹で買った詫びの品でも持参すべきじゃろうと思ってな。あとアーデルベルトのにも頭を下げろと言ってやったわ。が、嫌がったから強制連行じゃ。この状態で町を練り歩いてやったわ。軽薄な伊達男にはこういう扱いの方が利くと思わぬかえ?」

 立ち上がったアーデルベルトが椅子を引き、テオは勿体ぶった仕草でその椅子に座った。椅子ぐらい自分で引けと恭一は思ったが口には出さなかった。

「まあ市中引き回しみたいなもんだわな。そりゃいい薬になるか」

 恭一は背もたれにもたれながら同意した。

「でも情操教育上悪いから解除な」

 と言いながら恭一が魔法を使うと、ロープは自然に解け、猿ぐつわも消失した。

「はぁ。助かったぜキョーチ。ったく。王宮の連中ときたらひどいことしやがる」

 関節を鳴らしながらクルトが立ちあがった。床に転がされたものの、清掃が行き届いた素材屋では汚れなかったようである。

「元はと言えば自分のせいだと自覚してはどうだね」

 アーデルベルトが苦虫をかみつぶしたような顔で言うが、この程度の嫌味が身にしみるようなら今回のような失敗はしないのである。

「間に合ったからいいだろ!」  
「しかし間に合いそうになかったということが先方に知られておる。お主のそれは幼子にだけ許される言い訳じゃ。アーデルベルトの監督不行き届きがあったことは確かじゃが、そもそも本来成人しておるのだから仕事のスケジュールは自分で把握して動くべきであろう。クルト、お主アーデルベルトにもきっちりとした謝罪はしておらぬのだろう? 人としてどうかと思うがの」

 テオは手厳しい。こういうときにだけ王族の威厳を見せつける。他国民である恭一ですら思わず頭を下げたくなるような迫力だ。
 それでもクルトが何か反論しようとしたが、その前に恭一がぱんぱんと手を打った。

「そういう説教は王宮でやってくれ。うちは喫茶店じゃねえんだ」

 うんざりとした様子で恭一が言うと、追加のカップを持ってきたルッツが苦笑を洩らした。

「まあまあ、この方々の話が脱線してなかなか進まないなんていつものことじゃないですか」
「だから困るんだけどな」

 恭一からするとやたらとむさくるしい、しかし世のお嬢さん方には華やかな野郎たちのたまり場になってしまうせいで、しょっちゅう誰かのファンが覗き見しに来るのである。店のガラスに張り付いている不審者のせいで、ちゃんとした客が寄り付きにくくなってしまう。

 ルッツが人数分のティーポットに茶を注ぐ。リラックス効果があるリリリアという花の茶だ。香りはラベンダーに似ているが、味はハイビスカスに似た酸味がある。

「アーデルベルトさんも大変ですね。こんな人のお守り役じゃあ」

 ルッツは心底気の毒そうに言う。心なしか彼の茶を入れるときには一際丁寧な手つきのようだ。

「……もう慣れた」

 諦観のにじむ声でアーデルベルトが呟く。慣れたと言う割には今回の一連の騒動のせいか、やつれ顔である。

「こやつはクルトとの付き合いも長い。今回のような事態を想定できなかったのはアーデルベルトの失態でもあるのう。重臣どももこぞって文句を言いよる。難儀なことじゃ」

 とテオはまるっきり他人事のように言う。本当に難儀である。アーデルベルトが胃のあたりを抑えた。 

「……俺ずっと心配だったんだけどさ」

 恭一はアーデルベルトの藤色の髪を見ながらポツリと呟く。


「アーデルベルトって気苦労が原因でハゲそうだよな」


 空気が凍った。

 店内にいる人間全てが一時停止ボタンを押したかのように固まった。ルッツは手元を狂わせてソーサーにお茶をこぼしている。

 発言者の恭一も自分の失言に内心でどうしようかと必死で考えを巡らせていた。
 やがて一番最初に動きだしたのは一番のお調子者だった。

「はは、ありうるありうる。いっつも小言ばっかりのがみがみ親父だからな、怒り過ぎてハゲ親父になんのも時間の問題だろ」

 ゲラゲラとクルトが笑った。ルッツが眉をひそめた。

「クルトさん、失礼にも程がありませんか」
「ストレスの発生源ほぼお前だろ」

 ルッツと恭一から突っ込みが入るが、クルトが気にした様子はない。

「まあとにかく、魔術師って髪の毛に魔力が溜まるんだろ? あんまりストレスたまるとハゲるって言うし、クルトもアーデルベルトに迷惑かけんのも大概にしろよ」
「キョウチ、気持ちはありがたいが心配は無用だ」

 アーデルベルトが複雑そうな表情で言う。肯定するのも否定するのも微妙である。

「つーか、まだまだ大丈夫だろ? キョーチは心配しすぎだって。ほらこいつだってまだまだ――」

 と言いながら、いきなりクルトがアーデルベルトの前髪に手を差し込み動きを止めた。

「クルト? どうかしたのかえ?」

 テオが訝しげに問いかけると、クルトはそろりと手を抜いて神妙な面持ちになって深々と頭を下げた。

「悪ぃ、俺これからはもっと真面目に生きるわ」

 そんなにヤバかったのか!? とその場にいる全員が戦慄した。
 前線が後退しているのか。ヤバい位後退しているのか。はたまた兵力が圧倒的に不足してきているのか。
 放蕩者が服を着て歩いているようなクルトがそのような発言をするのはよっぽどである。

「おい、クルト」
「悪かったな! 今回のお詫びに、いい薬とか調合してやっからさ! まだお前も若いんだし間に合うって!」

 アーデルベルトが何か言いかけると、わざとらしい位明るい声でクルトが言う。ばしばしとアーデルベルトの肩を叩く空元気が痛々しい。

「馬鹿、クルトお前止めろよ! そういう気の遣い方の方が却ってヤバいんだって分かって傷つくんだからな!」

 恭一が慌てて制止するが、ある意味それが追い打ちになっていることに当人たちは気付いていない。
 テオは痛々しげにアーデルベルトを見やってから視線を外していた。ルッツはひたすらティーカップを注視していた。言わぬが花、沈黙は金である。僕はお茶を入れるのに集中していて何も聞いていませんでしたのポーズだ。

「馬鹿言えキョーチ! こういうのは早めに手ぇ打っとかねえと後でえらい目に遭うんだからな! 初期治療が大事に決まってんだろ!」
「治療とか言ってやんなよ! 不治の病みたいになってんじゃねえか!」
「ハゲなんて一回なったらそーそー治るもんじゃねえだろ! ハゲちらかした後じゃ遅いんだ! 現実から目ぇ逸らしてたってどうにもなんねえんだよ!」

 一応言っておくと二人ともアーデルベルトのためを思って言っているのである。一応。
 ただし彼らの応酬はアーデルベルトの心に深く傷を付けているのだが。

「まあ気にするでない、アーデルベルト。バッハシュタイン家は代々魔術師を輩出する家系。多少ハゲてもヒゲさえ生やせばなんとかなるはずじゃ。どちらも体毛ゆえ」

 慰めにもなっていない慰めをテオがする。

「何言ってんだか。ヒゲと頭髪じゃ量が違うじゃん。王族は代々フサフサの家系だから気楽だよなぁ」

 と、クルトが余計なことを言う。

「母方にハゲがいたら禿げるっていうけどな」

 恭一が現代日本で仕入れた知識を呟くと、僅かにテオの肩が揺れた。若干心当たりがあるらしい。
 が、すぐに気を取り直してテオは言う。

「多少髪の毛がどうこうなったところで男の価値がそう変わるものではあるまい? 顔形が崩れるわけでも白痴になるわけでもない」

 と、自信たっぷりに言い放つテオはぱっと見どう見ても男というより美少女である。
 恭一はテオの発言に嫌そうな顔をした。

「どうせお前らはハゲたって年取ったってイケメンなんだから女には不自由しないだろ。とっとと毛根が死滅すりゃいいんだ。ハゲろ。最高にダサく斑にハゲろ」

 先ほどまでとは百八十度転換した非道な発言である。
 生半可でない魔力の持ち主が言うとうっかり呪いが発動しそうな呪詛だ。もちろん恭一には良心もあればなけなしのプライドもあるのでそのような呪いは発動しなかったが。

 するとクルトがげらげらと笑った。

「もしかしなくともキョーチの家って代々ハゲなんだろ? はは、お先真っ暗だな」
「クルト、今なら無料でザーゲ山の頂上に連れてってやるぞ。現地解散な」

 恭一が無表情で言う。
 ちなみにザーゲ山は登った人間の半数以上が帰って来ないと言われる恐ろしい秘境である。

「キョーチ心狭ぇよ。そんなんじゃ女の子にモテねえぞ?」
「うっせぇ。っつうか、人のこと散々言ってるお前はどうなんだよ」

 と、恭一がクルトを睨む。するとクルトは両の手のひらを天井に向けた。

「さあね。親のことは分かんねえな。俺、捨て子だったし」
「え」

 思わぬ答えに恭一は意表を突かれた。寝耳に水である。

「悪い、変なこと聞いて」
「いや、別に? 気にしてねえし」

 申し訳なさそうな態度の恭一とは別に、クルトはどこ吹く風だ。

「親っつったら俺のこと拾ってくれた師匠か? あの人はフサフサだぞ。永遠の十八歳だし」
「クルトさんも誰かに師事していたときがあるんですね」

 ルッツが意外そうな顔をした。常に自信満々で傲岸不遜なクルトの態度からすると、そんなはずはないと分かってはいても誰かに師事するなんて姿は想像がつかない。

「ったりめーだろ。って言っても俺の師匠はさすらいの旅人で永遠の若人で千年に一人の大賢者様だぞ。そんじょそこらの奴とは格が違う」

 と、誇らしげにクルトは胸を張った。
 もしかして自信家のところは師匠譲りなんだろうか、と恭一は思った。

「クルトの師匠は錬金術だけでなく、魔術、医術、武術、戦術、霊媒術といったあらゆる方面に精通された生きた伝説。我が国としてもぜひとも引きこみたい人材じゃが、なにぶん自由人でな。養い子を確保するだけでギリギリだったわけじゃ」

 悩ましげにテオがため息をついた。

「へえ。なんて名前の人なんだ?」

 興味を持った恭一が尋ねると、王宮組は急に口をつぐんだ。
 恭一とルッツは顔を見合わせる。

「……いずれ世界をめぐるならキョウチも出会うことがあるだろう。その時になれば嫌でも分かるはずだ」

 と、アーデルベルトが重々しげに言う。

「ことわざで言うじゃろう。悪魔のことを言えば確かに現れると。あのお方の名前を出すと必ず現れる故、口にしてはいかん」

 と、テオはジプシーよろしくおどろおどろしい口調で言う。

「まあ俺も次に会うのは来年ぐらいでいいな」

 と、クルトも先ほどとは違って空々しい言い方である。

 一体どんな奴なんだよ、と恭一は心の中で突っ込んだが、嫌な予感がするのでそれ以上の深追いは止めておいた。

 が、それがまずかったのかもしれない。
 
「んで、やっぱりキョーチってハゲの家系なんだろ?」
「……クルトって意外としつこいよな」

 嬉々として訪ねてくるクルトに、げっそりとした様子で恭一はため息をついた。 一向に引きさがりそうにないクルトの様子に、恭一はため息をついた。

「……まあ確かに俺の親父は髪の毛に不自由な人だったが」

 身内なので若干言い方がソフトである。あくまで表現方法だけだが。

「俺はハゲる予定はない」
「ははっ、何だよそれ。遺伝って強いらしーぜ?」

 クルトは他人事なので呑気なものだ。
 藪蛇は避けたいアーデルベルトと君子危うきに近寄らずなテオとルッツは大人しく二人のやり取りを見ていた。
 
「俺はハゲない」

 恭一は力強く断言した。


「魔力で毛根が死なないよう強化するからな。俺の魔力をもってすれば、失敗するわけがない!」


 力強い宣言だった。内容はともかく。

 一瞬の沈黙の後、

「キョーチずっりぃ!」
「キョウチ、そんなことが可能なのか!?」

 特にアーデルベルトの目の色が変わった。

「しかしキョウイチ。お主は自身の肉体はいじらんと前に言っていなかったか?」

 テオが疑問を呈すると、恭一は鼻で笑った。

「確かにそういうことは言った。しかしあれは顔形や身長を変えたくないといっただけで、現状維持や肉体強化なら俺的には問題ない。これも健康のためだ!」

 力強く断言する恭一だが、言っていることは少々言い訳じみている。


 恭一にとって、魔法を使っての肉体改造は未知の領域である。失敗するのは怖いし、そもそもそれをしたら負けな気がするために自らそういった行為は禁じている。
 だがしかし、謎の生物の黒焼きやら謎の生物の血やら謎の物体のまじりあった異臭のする薬を飲むのは二十一世紀の日本人の感覚が断固として拒否していたため、恭一は常日頃から病気にならぬよう自らの免疫力や自然治癒力を体内に魔力を巡らせることで強化していた。恐らくはバイオハザードやパンデミックエンデミックの状態でもぴんぴんしていられるだろう。

 確かに件の毛根の維持というのも、どちらかと言えば肉体改造よりは健康維持に近いものではあるのだが。

「キョーチ、往生際が悪いんだよ。素直に育毛剤とかそういう薬とか使えばいいじゃんかよ。天才の俺が格安で作ってやるぜ?」
「やだよ。なんかそういう薬使ったら負けた気がするだろ。薬使った時点で自分がハゲって認めるようなもんだろうが。俺はハゲじゃないしハゲない。よって薬に頼る必要もない!」
「なんというか、魔力の無駄遣いじゃな」

 テオが呆れかえって呟く。すると恭一は鼻で笑う。

「俺が俺のために魔力を使うことに、なんの無駄があるって言うんだ。お前が国民の血税をその女装に使ってることを考えたら、俺の魔力の使い方なんて問題にもならないさ」
「これは女装ではなく変装じゃ」

 思わぬ飛び火にテオは顔をしかめた。

「キョウチ、その方法が上手くできるようだったら、私にも教えてくれないかね」
「ああ、いいぞ。任せろ」

 アーデルベルトと恭一は固い握手を交わした。

「取り繕ったってハゲはハゲだろ」
「クルト、喧嘩売ってんのか!」
「そもそも元はと言えば貴様の日ごろの行いがだな!」



 クルトの発言から再びヒートアップしてしまった恭一達を見て、人猫族であるがゆえに蚊帳の外のルッツはその耳をペタンと倒した。今日はもう閉店の看板を出そう、と店の入口へと歩いていく。

 と、店の表から買い物に出ていたトニが帰ってきた。
 トニは店内でぎゃあぎゃあと騒ぐ様子を見て不思議そうに首を傾げる。

「キョイチさんたち、どうかされたんですか〜?」
「まあその……将来的に頭髪がなくなったらどうなるのかという議論が展開していまして」

 改めて言うと非常に情けない議論である。というか、議論ではなく口論だ。

「へ〜、そうなんですね〜」

 分かっているのかいないのか、トニは楽しそうに相槌を打つ。
 ふと思いついたルッツは尋ねてみた。

「トニさんは将来そうなったらどうなさいますか?」

 するとトニはちょっとばかり考え込んだが、すぐに笑顔で言った。

「僕の遠い親戚にツルピカの頭の方がいるんですけど〜、その方が頭から背中にかけて、大きな絵を描いてるんですよ〜。そういうのにチャレンジしてみたいですね〜」
「……それ絵じゃないんじゃ」
「あれ〜? そうですかね〜?」

 無邪気に笑うトニにルッツは言葉を続けることができなかった。
 そんなことになったらトニさんのファンが泣くだろうなぁ、と思いつつ、

「それより、買い物片付けるの手伝いますよ」

 と話題を逸らすことにしたルッツだった。

 ルッツとトニが店の奥へと入る間にも、男達の熱い口論はまだ続いている。

 こんな議論で王族や王宮御用達の方々が熱くなっているんだから、この国は平和なのだなあ、とルッツは複雑な気分になったのだった。


 関係ないが、恭一の開発した魔力による毛根活性術はその後広く魔術師の間に取り入れられ、多くの魔術師を救ったという。毛髪的な意味で。


 今日も王都は平和である。


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