ごく普通の家事手伝いは、ごく普通の仕事を任され、ごく普通の報酬を受け取りました。ただ一つ違っていたのは、仕事場所は異世界だったのです――
などというセルフナレーションを付けてみた私は、ごく普通とは言い難い異世界召喚の際に勇者一行から受け取った報酬で、ちょっとした小金持ちとなっていた。未だにごく普通の奥様になれないことは甚だ遺憾である。
さて、人間お金があると趣味の幅も広がるというもので、現在私は実家を増築して大きくなったダイニングにちょっとしたバーを作っていた。
自宅でカクテルを作るというのは、ちょっとした夢だった。嘘である。親の希望だった。熱烈なプッシュだった。
その熱意に折れた私は、私の持つ宝石の出所や時々行方不明になることを見逃してもらうことにした。
我が親ながら、娘が時々ふらりと消えては宝石を持って帰ってくることに疑問を覚えなかったのだろうか。金の力って考える力を奪うんだな。
それはさておき、テレビのお供にとシェーカーを振ろうとした瞬間、今ではすっかり慣れてしまった感覚が体を襲った。
「……なんで?」
気がつくとテレビのチャンネルが切り替わったかのように周囲の様子が様変わりし、陰鬱な城の中に立っていた。嗚呼デジャブ。
しかし目の前に立っていたのは見慣れた勇者ご一行ではなく、モノクルをかけた知らない中年男性だった。耳が尖っていて豪華めなマントを羽織っているため、ドラキュラ伯爵みたいだ。肌もやや紫がかっているし。フォン・クロロックさんですか?
「ようこそ、お待ちしておりました先生」
ドラキュラは膝をついて深々とちょっぴり頭頂部が薄い頭を下げる。何が薄いとは言わない。武士の情けだ。
それにしても、前回よりも待遇いいかもしんない。
「ええっと、一体どういうことでしょう?」
とりあえず現状確認現状確認。
私の問いかけにドラキュラは丁寧な物腰で説明し始めた。
「貴女様には魔王陛下の――」
そこでドラキュラは言い淀んだ。
「ちょっと待ってください」
思わず私は声を上げた。
「魔王陛下……って、もしかして魔族の王である魔王陛下ですか」
「左様でございます。もしかしなくとも魔族の王であらせる魔王陛下でございます」
全身からさっと血の気が引いた。
もしかして私が勇者一行の食事係をしてたってばれてる?
もしかして報復ですか。でも食事係より勇者にしようよそういうのは!
と、今にもぶっ倒れそうな私に構わず、ドラキュラは続けた。
「貴女様には、魔王陛下の食生活を中心とした生活習慣の矯正をお願いしたく……」
「…………ん?」
私は首を傾げた。
「もう一度お願いします」
「貴女様には、魔王陛下の食生活を中心とした生活習慣の矯正をお願いしたく……」
一言一句違わず丁寧に復唱してくれたドラキュラには悪いが、いまいち理解できない。現実逃避しているせいかもしれない。
つまり……どゆこと?
私がさっぱり理解していないことに気付いたのか、ドラキュラは非常に沈痛な面持ちで言った。
「百聞は一見にしかずと言いますし、一度魔王陛下を見ていただけたらお分かりいただけるかと。申し遅れましたが、わたくしはウォルターと申します」
ドラキュラ改めウォルターに案内されて城の中を歩く。
魔王城というだけあって、石造りの城はカビ臭く薄汚れており、いかにも不気味な空間である。
私が内心でびくびくしているのに気付いてか、ウォルターは少々大袈裟に眉をしかめた。
「いやはや、お見苦しい限りで申し訳ありません。メイドの掃除が行き届きませんで」
「え、掃除しないのが理由なんですか」
「以前はもっと綺麗な体裁を保っていたのですが……」
ってことはメイドの職務怠慢が原因なのか。魔族でも綺麗好きなんだと思うと不思議な感じだ。
「ああ、こちらです」
そう言ってウォルターが立ち止まったのは大きい鉄製の扉の前だった。
「陛下、失礼いたします」
ノックもそこそこにウォルターが部屋の中に入る。意外とフランクだ。返事を待たなくてもいいのだろうか。
中に入った私は思わず眉をしかめた。
これまた暗くて薄汚れた印象のある部屋の中には胸やけしそうなくらい甘ったるい臭いと酒の臭いが漂っていた。
部屋の最奥部に鎮座しているのが恐らくは魔王だろう。
「うわぁ……」
黒い服やマントを押し上げる見苦しいまでの見事な脂肪。油ギッシュで出来物だらけな不健康そうな色をした肌。伸ばしっぱなしのやや青紫がかった黒髪。周囲には食べ物やら酒が溢れかえっている。
これが俗に言う百貫デブってやつですか……
「ん? おい、ウォルター。なんだその人間の女は」
某芸人のごとく妙に甲高いキンキンした声の魔王がぎょろりとこちらに目を向ける。
「はっ、この方は陛下の食生活を中心とした生活習慣の指導をしてくださる先生でいらっしゃいます」
とても丁寧な物腰だが、私が断るという選択肢は消されているようである。
「ふん。どうせまた食事をするなだの糞まずい飯を食えだのと言うのだろう。追い返せ」
「わたくしめがお呼びいたしましたので。今回はまず陛下にご挨拶をと先生がおっしゃったので」
慇懃に嘘をつくウォルターはもしかしたら狸なのかもしれない。
しかしここは魔王の城で私を呼んだのは魔王の部下。逆らうのは得策ではない。視線で促されたので私は流れに逆らうまいと頭を下げ、
「お初にお目にかかります、魔王陛下。私は――」
「名乗りはいらん。どうせ他の連中と同じようにすぐ辞めていく奴の名前を聞いても無駄だ」
ばっさりと切り捨てられ、内心でイラッとしながらも私は口をつぐんだ。
一体これまで何人先生とやらが逃げ出したのやら。
「では陛下、わたくしと先生はこれにて失礼させていただきます」
「ああ、早く去ね」
しっしっと手を振る魔王に一礼すると、私はウォルターと共に部屋を出たのだった。
***
さて、応接室らしきだだっ広い部屋に場所を移した私はウォルターから詳しい話を聞くこととなった。
「――魔王陛下は十年ほど前に魔王に就任なさったのですが、数年ほど前から仕事が辛いとおっしゃって、八つ当たりのように過食されるようになったのです」
ウォルターはハンカチで目元を抑えながら語る。
いわゆるストレスによる過食というやつか。魔王も大変のようだ。
「それまでは見目麗しい凛々しいお姿だった魔王陛下も、何年もの過食が続いた結果、あのようなお姿に……」
あそこまで行くと、本当に元の姿が見目麗しいものだったかいささか怪しいものである。
っていうか、りっちゃんたち勇者一行が魔王倒したんじゃなかったっけ。十年前に就任して今に至るってことは、もしかして魔王って世界に何人もいるの? 魔王って自称なの? 地域別なのかな。
でも下手に聞くとやぶへびになりそうだ。
「他の連中と陛下がおっしゃってましたが、私の他にも?」
「はい。魔族の者が。ただ、陛下には合わなかったらしく」
うーん。ダイエットとか食生活の矯正って、素人には難しいもんなあ。日本でダイエット特集がしょっちゅう組まれているのもその辺が理由だろうし。
かくいう私もダイエットに挑戦しては失敗している人間である。毎日運動を続けるのも、食事の量を減らすのも大変だ。あと甘い物の誘惑。
最近は小金持ちになったのでエステを利用しているためそれほどでもないが、それでも食生活の管理には気を使っている。
「陛下の体重は日に日に増加し、今や移動が面倒くさいからとあの部屋からすら出られない状況です。あのようなお姿では部下の士気も下がります。というか使用人たちが愛想を尽かして現在もかなりの数が辞めているのです。早々に魔王様が元の凛々しいお姿に戻られなければ魔族が反旗を翻すやもしれません! 陛下の教育係であるわたくしの力が及ばないばかりにそのようなことになれば、先代の魔王陛下に申し訳が立ちません。先生、どうかお願いです。先生のお力添えを!」
紫色の手が私の手を掴む。
しかし言っておこう。
「私、人間ですよ?」
「存じ上げております」
「私、異世界人ですよ?」
「そちらも存じております」
「あちらの生活もあるんですけど」
「先生の世界との行き来はお任せください」
「報酬あります?」
「ご用意しております」
「私、プロじゃないですよ」
「大丈夫です」
何が大丈夫なんだろう。
それにまだ不安がある。
「でも私、慣れた食材じゃないと料理しにくいんですけど」
「それならばご安心ください!」
ウォルターは胸を叩くと満面の笑みで告げた。
「異世界からの壁を越えた人間には、一つ能力を付加することができます」
どこかで聞いたようなことをウォルターが言う。
今度こそ期待していいよね?
ドキドキする私にウォルターは告げる。
「貴女には、空間を貴女のご自宅の冷蔵庫と自在につなげる能力を付加しました」
「範囲狭っ!」
しかもうちの冷蔵庫にピンポイントですか。
とはいえ、それが可能ならば便利なことだ。取り出しバッグならぬ取り出し冷蔵庫。うちの冷蔵庫限定ということは定期的に食材補給に帰してくれることは間違いなしだし。
なんだかウォルターの髪の毛がはらはらと抜ける幻覚が見えて気の毒になったし、引き受けてもいいかもしれない。
「分かりました。やれるだけやってみましょう」
私が言うと、ウォルターの紫色の顔が輝いた。背後に花すら飛んでいそうだ。色的にはラベンダー辺りか。
「ありがとうございます、先生!」
ウォルターの薄い後頭部が目にはいる。本当に苦労してるんだなあこの人。
そして、羽ばたけ! 第二回異世界召喚in魔王城が始まったのだった。
***
さて、まずは事前の調査が大事である。
そもそも魔族の食事など私は知らない。人間と同じでいいのか、まずそこが重要だ。
というわけで、まずは魔王の普段の食事を見せてもらうことにした。
「…………これは今日の食事ですか?」
「いいえ、これは本日の昼食です」
英文法の例文ような会話をしながら、私は自分の目を疑った。
厨房にある台の上には大きなお皿がひい、ふう、……十三枚。その上には山盛りの料理。中華料理の円卓もかくやという感じである。
材料は肉、肉、魚、肉、ちょっと野菜、肉、肉。つまり肉。山盛りの肉。
十三皿のうち十枚がこってりとした肉料理、たまにある野菜は全て揚げられており、残りの三枚はデザートらしきお菓子である。これまた焼き菓子やらクリームを使った菓子やらカロリーが高そうだ。
幸いと言うべきか、教えてもらった限りだと人間の食事と内容にさほど差はないようである。高カロリーなだけだ。少し味見をさせてもらったが、味が濃い以外はやはり普通である。
「これを一食で?」
「時間にすると、おおよそ二時間ほどでしょうか」
食事時間長いよ。どこぞのダスダス言ってる大統領か。
「一日二食?」
「いえ、三食に加えて午前と午後に間食、そして夜食を」
つまり一日六食か。
ほぼ一日中食べてることにならないだろうか。
私は料理が運び出されるのを見ながら考えた。
ダイエットで摂食制限を行った場合、高確率でリバウンドが起こる。
元々人間の体というのは体内に取り込んだもののエネルギーを全て吸収するわけではない。しかし食事量が減った状態が続くと体が飢餓状態であると判断し、食物からの栄養吸収率を引き上げるのだ。これが最初のダイエットの停滞期となる。下手にこの時に食事量を戻すと、栄養を以前にまして摂取する結果となり、強烈なリバウンドで体重が戻ることがあるのだ。
といっても、この食事量はどう見ても食べすぎである。しかも栄養が偏っている。魔王の肌が荒れていたのもこれが原因だろう。いや、魔族の生理学なんて知らないんだけどさ。
今後の方針としては、栄養バランスの取れた料理を今の量から少しずつ様子を見て減らしていくようにしよう。
これはかなりの長期スパンになりそうだ。
いっそ脂肪吸引でいいんじゃない? ということは考えないようにしよう。食生活を中心とした生活習慣の改善ってウォルターに頼まれているし抜本的な解決にならない。
「陛下に好き嫌いは?」
「肉がお好きだと」
「嫌いなものは?」
「野菜はあまりお好きではないようです」
いかにもな偏食っプリである。っていうか、亜鉛不足になってないかな、魔王。
「でも数年前までは普通の食事だったんですよね。その時は野菜を残されていたんですか?」
「いえ、その時は普通に召し上がっていました」
ってことは、食べられないことはないのか。
「それからお酒を召されますので、そちらもなんとかしていただきたいと……」
「マジですか」
そういえば、部屋に酒瓶が転がっていたような。
「中毒にはなってませんよね」
「恐らく」
アルコール依存症を直すのは素人には無理よ、ウォルター。
そしてアルコールも太る原因なのよね。
「ところで、先ほどから気になっていたのですが……先生が手にもっていらっしゃるのは一体?」
と、ウォルターが私が持つシェイカーを見ながら言う。なんだかんだで作りかけのカクテルの入ったシェイカーを持ったまま来てしまった。私の手で温められてぬるくなってそうだ。
「これはカクテルを作るシェイカーです。来る前に何か軽いものを作ろうと思っていて……あ」
私は口を押さえた。
ここに来る直前に作っていたカクテルはそう、シンデレラだ。
「陛下はいつごろお酒を飲まれるんですか?」
「そうですね……食事の前にも後にも最中にも召し上がります」
つまりずっと飲んでるわけか。
とりあえず、ややぬるくはなっているだろうが私は持っていたものをウォルターに差し出した。
「とりあえずこれ、陛下に飲んでいただいて味がどうか伺っていただいても?」
シンデレラとは甘口のノンアルコールカクテル。つまりはソフトドリンクである。オレンジジュースとパイナップルジュースとレモンジュースをシェークして作ったものだ。
ジュースなのでカロリーが高いことは高いのだが、アルコールを飲みすぎると肝臓にも悪いのでまだジュースの方がましだろう。糖尿病の心配が無きにしも非ずだが、今までの食生活で大丈夫だったならまだいけるはず。日本人と違って欧米人は糖尿病になりにくいとか聞いたことがあるし、見た目的に魔族はモンゴロイドじゃないし。
魔王が辛口好みだった場合はノンアルコールビールでももってくるとして。
「かしこまりました」
それからいくつかのヒアリングをした後、私は空間を自宅の冷蔵庫をつないだ。幸いと言うべきか、うちは大所帯である。冷蔵庫の中身は常に満杯状態に保たれている。
まず最初の仕事は夕食作りである。目標はデザートを除いて十皿大盛り。
伊達に育ち盛りの男連中に日々の料理を供していたわけではないというところを見せてやろうじゃないか! と意気込みながら私は魔王のダイエットレシピを考え始めた。
そもそも魔族は人間とは体の仕組みが違うのでは? という疑問は考えないことにした。日本式でレッツごり押しだ。だってりっちゃんたち勇者一行が日本式で行けたのだ。ならば魔族だっていけないはずがない。それが嫌なら別人に依頼しろってだけの話だ。
私としての問題点は魔族の厨房レベルがいかほどのものかというところだったが、その辺は便利な魔法とやらが活躍してくれているおかげで調理には不自由なさそうだった。かまどは魔法で火力調整が可能だし、包丁やボウル、泡だて器なんかの形状も変わらない。多少困ったのはオーブンの温度調整くらいなもんだろう。度量衡が違うためだ。摂氏と華氏ですら互換に戸惑うと言うのに、異世界の文字を読んで度量衡を換算できるはずもない。
ただ口頭で言えばウォルターのかけてくれた翻訳魔法によって自動翻訳がなされたためなんとかなった。魔法さまさまである。
さて、今後の計画やらレシピの考案やらしつつ夕食を作っていると、あっという間に夕食の時間がやってきた。
飲み物については「悪くない」とのお言葉をいただけたようなので、食中の飲み物もノンアルコールカクテルで行こうと思う。
今回は初回ということで豆腐ハンバーグやこんにゃくなどを使ったカロリー低めの料理に加え、昼に魔王が食べていたのと似たような肉料理、それから野菜炒めや冷凍食品ではあるがピラフなどを出してみた。それから野菜たっぷりの濃い味スープ。冷蔵庫の中がすっかりさびしくなってしまったので、帰ったら即刻スーパーに行かねばなるまい。
「さすが先生、お見事です」
と、ウォルターが目を細める。彼の背後には厨房の料理人である肌が青色の魔族たちが複雑そうな顔をしていた。そりゃそうだ。知らない人間に自分のテリトリーに入られたら微妙だろう。が、今のところ妙な嫌がらせをしてくることもないし、こちらを注視していはいたがまあ許容範囲内だ。手伝ってくれたしね。
「いえ。厨房の皆さんの手があったから出来たことです。とりあえずはこれを陛下が気に入るかどうか、ですよね」
いささか疲れながら私は言うと、ウォルターはにっこり笑った。
「よろしければ、先生も陛下と共にお食事をされては?」
え、嫌だ。魔王ってなんか怖いし。
「そんな、私なんかがそんな差しでがましい真似できません」
オブラートに包んで言うと、ウォルターはさらに嬉しそうな顔をした。
「なんて先生は謙虚な方なんでしょう。先生が引き受けてくださって、本当に感謝しきりです」
騙してるみたいでごめんね、ウォルター。
とは言うものの、魔王の反応を見ないことには食事の作りようもない。今後の献立や方針のこともあるので、魔王の食事時に同席することになった。
「……何だこれは。野菜ばかりではないか」
「健康のためでございます、陛下。それに肉料理も用意しておりますゆえ」
ウォルターが慇懃に答えている。
肉しか食べないって随分メリケンな食生活(勝手なイメージ)だ。
「まずかったらその女を即刻追い出せ」
魔王は不機嫌に言う。別にこちらとしては一向に問題ない。首をはねろなんて言わないあたり、魔王というのも意外に優しいのかもしれない。
さて、魔王はまず高級牛肉ミンチと豆腐を使ったハンバーグにフォークを突き刺した。ナイフで大ぶりに切り分けると、それをパクリと食べる。キノコ入りデミグラスソースなので割と濃厚な味付けだと思うのだが……
「ふん。悪くないな」
ぶっきらぼうにだが、魔王が言う。掴みは上々のようだ。
それから魔王は肉料理、野菜料理、スープ、ピラフと次々に平らげた。デザートのスイートポテトと寒天ゼリー、それから蒸しまんじゅうも気にいってもらえたようだ。
そういえば、昼食の時に疑問に思って聞いてみた。どうして料理を一気に運びこむのかと。だって、そうしてしまうと料理が冷めてしまう。
ところがここは魔法の世界。魔法を使って料理を常に出来たてそのままの状態で保つことができるんだそうだ。そういえば前回の勇者たちも朝食の準備をした後に料理に何か魔法をかけていた。魔法って便利だね。
***
さて、夕食の後に一旦日本に帰った私は、大急ぎでスーパーとドラッグストアへと向かった。きょうびは二十四時間営業というありがたいお店も多く存在するが、魔王の夜食の時間というのは時間が決まっているのだ。
スーパーとドラッグストアで買い物した食材をしこたま冷蔵庫に詰め込んだ私は、米を担いで色々なボトルの入ったケース引っ提げ、サプリメントと自分の調理器具を詰め込んだリュックを背負って右手の指輪をいじった。
この指輪というのは、異世界と私をつなぐ道具である。ウォルターからもらったもので、指輪にはめてある宝石を決まった順序で押すとウォルター側に信号が送られる。それを受信したウォルターが私をあちらに呼ぶという仕組みらしい。逆にウォルターから信号が送ることもできて、その時は私が可否を伝えることもできる。これさえあればトイレ中や入浴中に呼び出されて赤っ恥をかくこともないというものだ。
以前の勇者一行の時も似たようなものを貰っていたが、こちらの方が高性能である。さすがは魔王。
というわけで。二十一世紀の日本の食材を引っ提げた私は魔王の夜食作りに乗り出した。
そうそう、以前勇者ことりっちゃんに呼び出された時に分かったのだが、日本の品種改良された食物というのは異世界において大変美味らしい。
基本的に天然の魚介類を除いて現代日本にある食材というのは長い時間をかけて品種改良をされている。例えばトマトに砂糖をかけて食べるという風習は、まだトマトの味が今ほど甘くなかった時の名残だ。
ところが現代ではメロンぐらい糖度の高いトマトや甘い玉ねぎ、ピーマンなど品種改良の成果は驚くべきものである。
品種改良というのは気の遠くなるような努力が必要だ。しかし一旦成功してしまえばその恩恵を現代の技術力によって享受できるというわけだ。そして私達の舌は肥えてゆく。
つまり何が言いたいかというと、現代ではおいしくないと言われているダイエット食品やトクホでも異世界に行けば美味になるのである。
ローファットのバター、ローファットのミルク、ローファットのチーズ、他多数。
それだけではない。某マイクロなダイエットとかおからとかコンニャク、寒天、豆乳、ダイエット茶、ナタデココその他諸々。
日本では早々に見向きもされなくなったダイエット用食品も、異世界へと行けば普通に美味な食材となるのだ。
「おい、次を寄こせ」
「もうゼリーは品切れです」
カロリーゼロのゼリーっていまいち味が薄いと思うのだが、魔王はお気に召したようだ。有名なコンニャクのゼリーにしようかと思ったのだが、最初からあの美味を覚えられても困るのでまだ温存している。
「使えん奴だ。酒を寄こせ。まずかったらタダじゃすまさんぞ」
「シャーリー・テンプルです」
これまた糖分ゼロのジンジャーエールとグレナデン・シロップをステアしたものを魔王に渡す。
正確に言うと酒ではないが、ウォルターから聞いた感じ魔王はザルのようだし、酒っぽい口当たりなら問題なさそうである。前のノンアルコールカクテルも大丈夫だったし。
「ふん……量が足りんぞ」
空になったグラスを魔王が掲げる。
「追加でお作りします」
これも割と気に入ってもらえたようである。
炭酸飲料だと飲んだら体の中で炭酸ガスを出して満腹感を感じるようになるので、その辺も有効活用していきたい。
時折ファ●バーミニやチョ●ラBBスパークリングなど食物繊維や美容用の飲み物も出す。栄養補助食品の中でも割と美味しいものなので、魔王も普通に飲んでいるようだ。
お肌や体質の改善にはビタミンは欠かせない。
ダイエットもそうだが、綺麗に痩せないと凛々しいお姿(ウォルター談)にならないもんね。
夜食にダイエット用ローカロリーおやつを一通り出した私は、翌日の仕込みを済ませると、日本の自宅へと帰った。
魔王城に泊ってもよかったのだが、調べ物をしたかったのである。そしてインターネットでいくつかのウェブサイトを閲覧すれば、大体知りたいことは知れた。
まずはアルコールがなぜダイエットに悪いのか。
まず第一に言えるのは、酒のアルコール度数が高いものほど高カロリーだからである。
さらに酒を飲むとつまみをつい食べ過ぎてしまったり脂肪の代謝が悪くなったりするのも問題だ。ダイエットと美容の肝である代謝が悪くなるようでは今後に障る。
さらには依存性もあるので、飲みすぎるとアルコール依存病になることもある。そうなったら頭痛やら不眠やら手足の震えやら、ひどくなったら幻覚や被害妄想なんかにとりつかれる場合もある。そうなったら魔王の仕事どころか一般的な生活すら送れない。アルコール依存病は本人の意志ではいかんともしがたいものなので、未然に防止するに限る。
さらに寝酒などの習慣が身につくと熟睡するのが難しくなり、いくら寝ても体がだるいような感覚にとらわれる。
魔王がストレスで過食に走ったというのなら、快眠は欠かせないはずだ。
体調不良はかなりのストレスになるものだし。
また、ダイエットに運動が良いことは確かだが、人間が運動し始めてから体内に蓄積された脂肪を燃焼し始めるまでおおよそ三十分はかかるのだという。つまり、継続的な運動を三十分以上続けて初めて体内の脂肪が減り始める。
……やってられるか!
一般人だって三十分以上のジョギングは厳しいものがあるのに、あの引きこもり魔王様が運動? ありえない。っていうか、あんな肉団子状態で動いたら床に深刻なダメージがいきそうだ。
そもそもあそこまで太っていたら少し運動しただけでもマタ擦れが起きて大変なことになるだろう。膝にも負担が大きく掛かりそうだし。っていうかあの横幅で部屋の扉から出られるのかという疑問もある。
そこでまず目をつけたのがストレッチという方法だった。
ストレッチによって血行を促進し、代謝を高めるのだと言う。それによりダイエット効果もあるし、寝る前にストレッチをすると安眠にも効果があるとか。今日は無理だから明日からだな。特に女性だと運動より十分なストレッチをした方がキレイな体になるらしいが、魔王には関係ないだろう。
キレイな魔王さんは好きですか? ……何一つ商品が売れなさそうなキャッチコピーだ。
思いついて魔王の一食分のカロリー計算を試みようとしたのだが、面倒くさすぎて諦めた。つまりは適正な量に戻せばいいんだよね!
バクバク食べて太ったのだ。適正な量に戻せば自然と適正体重に戻るはず。
ともかく目指せ、劇的ビフォーアフター。
…………でもこのダイエット計画、何カ月かかるんだろう。
その時はちょっぴり先行きが不安になっていた私が度肝を抜かれるのはその翌日のことである。
ついでに言うと、魔王が痩せて指導力取り戻したら人類ピンチじゃないの? ということをその時の私は全く気付きもしなかったのだった。