彼は優しいご主人様

ベンジーのなぜなに生物学

※時間軸としてはティエラが来る何年か前の話し。


 *****


「そういえば、前から疑問に思っていたことがあるんだがな、ベンジー」
「なんです?」

 一通りの報告を聞き終わり、雑談をしていたグレンがふと呟く。

「亜人の種族名ってあるだろう」
「ありますねえ」
「セラピア族やらドワーフ、ノーム、人狼、土蜘蛛、あとジュイジャ族やらシーリンの血族とか」
「ええ、それがどうかしましたか?」

 ベンジーに促され、グレンは顎に手を当てながら続けた。

「種族名が違えば違う種族だとは聞いたんだが、海エルフと森エルフって、違う種族なのか?」

 日本語で言うところのウミネコとヤマネコであれば鳥類と哺乳類という越えられない壁がある。
 海エルフと森エルフで言えば、身体能力が違うし体の色素なども大きく異なっている。となれば、違う種族なのだろうかとも思うのだが、エルフという共通項があるので気になったのだ。
 グレンがそういうと、ベンジーはははあと言って不服そうに肩をすくめた。

「グレゴリー君、君は亜人学の授業を履修してなかったんですね」
「必修じゃなかったからな。というか、あの授業を履修する方が珍しいだろう」

 グレンはベンジーから視線を逸らす。
 そも亜人蔑視の風潮があるのだ。進んで学ぼうというのは大抵は奇人である。グレンも大概変人奇人の枠に収まる人間ではあるが、かつての大学時代、当時はよもや必要になるとも思わなかったので他の授業を優先して亜人学なるものは履修しなかったのだ。

 グレンの言葉にベンジーはやれやれと首を振った。

「仕方がありませんね。では僕がかいつまんで説明しましょう」

 そうもったいぶった口調で言うベンジーの顔はすっかり学者モードである。

「結論から言えば、海エルフと森エルフは同じ種族です。というか、そもそも二つとも正確な種族名を言うのなら『エルフ』が正しい呼称となります。森エルフや海エルフというのは区別をするための便宜上の呼称でしかありません」
「しかし見た目も特性も違うように思うが」

 身近な例でいえば、森エルフのティエラは華奢で力も弱く、全体的に色素が薄い。逆に海エルフのエイダは体つきがしっかりしており、怪力で、全体的に色が黒い。どれもそれぞれのエルフの種族的な特徴のはずである。

「と思うでしょう?」

 ベンジーがにやりと笑ってグレンに指を突きつける。

「これは亜人学の基礎の基礎ですが、亜人は他種族との間に子供をもうけることができません」
「ほう?」

 グレンは眉を上げた。

「しかし亜人と人間のハーフはいるだろう? テッドなんかクォーターじゃないか」
「はい。彼は人狼のクォーターですね。でも、あくまでも人間とのクォーターなんですよ。ちょっと待ってて下さい」

 そういうや否や、ベンジーは部屋を飛び出して行った。
 はてなとグレンが思って首をかしげていると、ベンジーは再度部屋の中に書類の束を持って飛び込んでくる。元気な男である。

「これは今僕が提唱している学説……といってもまだ仮説の段階ですが、そちらの概要になります」

 どうぞと差し出されて受け取った紙束は結構な量である。しかも細かな字で書かれているので思わずグレンはうなったが、一枚目をめくれば彼がかつて遠い遠い昔に習ったことがある気がするような説明図が出て来た。

「その名もズバリ、種族遺伝子論です」
「ほう」

 ベンジーは熱弁をふるう。
 亜人の種族が違えば子供ができないというのは古今東西の文献をひっくり返してもあっちこっちに足を運んでみてもそのように結論付ける他ない事実である。

 そこでベンジーが考えたことは、亜人には亜人特有の遺伝子がある、というものだ。それも、種族ごとに違うものが。
 これを種族遺伝子だと仮定し、これが違えば子供を成すことができないと仮定する。

「しかしここで例外があります。人間です。こちらは亜人の種族遺伝子と異なり、どんな種族とでも合う、特殊な種族遺伝子になっていると考えられます」
「その心は?」
「亜人と人間の間でなら子供ができるからです。ハーフ、クォーター、さらにその後も人間となら子供を作れます。これ、大事です。僕にとってもすごく大事です」
「だろうな」

 ベンジーの妻は亜人である。愛妻家の彼にしてみたら、結構な死活問題だろう。

「亜人と人間の夫婦で亜人が母親の場合、父親の場合、それぞれ女性の妊娠出産の例はたくさんあります。そこで二枚目の図を見て下さい」

 グレンは図に目を落とす。
 ●=人間、◇=エルフ、△=ドワーフの種族遺伝子と凡例にある。

「図を見たら分かると思いますが、純血の人間と純血の亜人の間に子供が生まれた場合、その子供は両親の種族遺伝子をちょうど一つずつ受け継ぐ形になります」

 ハーフエルフなら●◇、ハーフドワーフなら●△である。

「その子供同士の間に子供が生まれたと考えた場合、子供が引き継ぐ遺伝子が二番目の図です」

 ●●=可 人間
 ●△=可 ハーフドワーフ
 ◇●=可 ハーフエルフ
 ◇△=不可

「……この図を見る限りだと、ハーフ同士の子供は存外生まれやすそうだな」
「簡略図ですからね。注目すべきは、種族としての特徴が片方のみ残るか、あるいは人間の遺伝子が出ない限りは子供ができない、亜人の両方の特徴を受け継ぐ子供はできないということです」

 ベンジーは身を乗り出し、さらに熱弁をふるう。

「以前にお話しした白い花と赤い花の遺伝子理論のお話は覚えていますか?」

 ベンジーに水を向けられグレンはうなずいた。

「不完全優性による中間雑種というものだな。白い花と赤い花の間にピンク色の花が生まれ、ピンク色の花とピンク色の花の間には赤、ピンク、白の花が生まれる」
「そうです。そして亜人特有の種族遺伝子というのは不完全優性の性質があると考えられます。というのも、僕が実際亜人と人間のハーフの子供を現在で数百人確認しましたが、亜人の種族の特徴をすべて親と同等に受け継いでいるという子供はいなかったからです。二代目以降は全て種族特性が鈍っています。これは中間雑種と言えましょう。しかし面白いのは同種のハーフ同士の子供が生まれた場合です」

 さらにベンジーは別の図を示す。
 ハーフエルフの夫婦に生まれた子供を示す図だ。

 ●●=人間
 ●◇=ハーフエルフ
 ◇●=ハーフエルフ
 ◇◇=エルフ

「もし仮に交配の可否を決定づける種族遺伝子が一つしかないのであれば、2分の1の確率で先祖がえりを起こすはずです。しかしながら、ハーフの夫婦の子供を百人以上確認しましたが、完全な先祖がえりを起こした子供が生まれたのは片手で足りるほどの人数しかいませんでした。この事実からさらなる推測が生まれます」
「なるほど」

 グレンは顎を撫でながら考えを巡らせた。

「つまり、種族遺伝子はいくつもあり、違う種族の亜人ハーフたちはそのうちの一つでも違う種族遺伝子とぶつかれってしまえば子供はできない、よって、違う種族の亜人ハーフたちの間に子供を作るのは非常に困難である、ということだな」
「その通りです。もう少し母数が大きければ統計を取って種族遺伝子の数を推定できるのですが、なにぶんまだ信頼に足る数ではありませんからね」

 交通網がろくすっぽ発達していない世界で百以上調べれば十分ではなかろうかと思ったグレンだったが口にはしなかった。
 そして人間がどの亜人とでも子供を成せるというのが亜人蔑視の人間至上主義宗教観に多大なる影響を及ぼしているなと思いつつも、滅多な事を言ってしまえば教会から恐ろしい制裁が待っているため思いついても言えないのが悲しいところである。

「ここで話は戻りますが、海エルフと森エルフです。彼らは見た目や特徴がかなり異なるように思えますが、しかしながら双方の間に子供をもうけるのは非常に容易いのです」
「種族的な特徴は?」
「見た目で言えば海エルフの特徴の方が出やすいようです。ただ、基本的に色素が濃い人間の方が子供に影響が出やすいですからね」

 ベンジーの言葉にグレンは理解した。
 前世の例でいえば、東北の色白美人も九州南部の褐色美人も同じ黄色人種、モンゴロイドで日本人、という感じだろう。

「なるほど、きつい日差しを浴びる海辺と光が届きづらい森の中、それぞれ生まれ育った環境に適応するようにしたから見た目や能力に差異が出たが、元をたどれば同じ種族だったということだな」
「はい。そう考えればエルフの伝承で残る話とも合致しています」
「ふうむ」

 グレンは感心して唸った。
 世間一般の通説では、人間がどの種族とでも子を成せるのは人間が神に愛されし嬰児だからという聖書の一節がそのまままかり通っている。さらに言えば、亜人が違う種族の亜人と子を生せないのは神の戒めだとも言われている。その辺の聖書の教えが亜人蔑視につながっているのだ。さらに言えばすべての生命の誕生やら何やらの仕組みは神の領分であるので、大概の学者にはタブーと言われており、誰も手をつけたがらない。

 そういった誰もが思考停止をしてしまっている領域を改めて調査し、仮定やら論文やら書き上げるベンジーの生物学に対する熱意は脱帽ものである。

「なんにせよ、この屋敷にずっといればサンプルには事欠きません。ま、森エルフと海エルフが同一種族だっていうのはアルバート君とエイダさんが子供作れば手っ取り早く分かるんですけどね」
「……ある意味全く手っ取り早くないがな」
「はは、それは僕も同感です」

 グレンの苦笑交じりの言葉に、ベンジーは明るく笑って同意する。

「過去の婚約者との破談、年齢差、海エルフと森エルフ自体の確執、性格の違い。上手くいかない要素ばっかりで、ケルヒーナで言うところの役満貫ってやつですね」

 ケルヒーナとは麻雀に似たテーブルゲームのことである。

「いっそ業務命令出しちゃったらどうですか? デートに行って来いみたいな」
「おい、ベンジー」

 グレンが非難がましい口調で言う。

「それ今まで何回やったと思うんだ」
「ああ、そうでしたね」

 とっくの昔にやっている。と言うか、現在も暇さえあればやっている。
 それでも進まない二人の関係にグレンも若干諦め気味である。自分が生きている間にエイダの花嫁姿ぐらいみたいなーと思っているのだが。 

「せっかく僕がグレゴリー君から折檻されたら結婚できるっていう前例作ったんですから、使用人でもどんどん結婚してくれてもいいと思うんですけどね」
「誰しもが君みたいに図太いと思うなよ。っていうか人聞きが悪いことを言うのはやめろ」

 グレンの言葉にベンジーは不服そうな顔をした。

「仕方がありません。じゃあ次回はエイダさんに発破をかけてみましょう」

 俄然うきうきしだした友人を見て、この後アルバートに降りかかるであろう災難を予想し、グレンは心の中でそっと手を合わせたのだった。
 


 *****



 そして助ける気がないグレンである。


 ※農業開発史あたりの話でベンジーが結婚にまつわるエトセトラがあるわけですが、若干フライングネタバレで。
 ※アルバートの片思いは割と知っている人が多いので、グレゴリー邸使用人トトカルチョ(胴元ベンジー)で色々賭ける人がいる模様。
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