モクジ

● 短編 --- 分岐点 ●

 中学の頃、同じクラスの奴に苛められていた。

 もともと中学に上がると同時に親の転勤の都合で違う県に引っ越したということもあってクラス内に知り合いはゼロ。内向的な性格も災いして友達が作れず、落ち込んでいるところをいじめっ子たちに目を付けられた。

 主犯のKは家が裕福で成績も割と良く、運動もそれなりにできて顔も悪くない、言ってみればハイスペックな奴だった。大抵の奴には明るく陽気に接していたからクラスでも中心的人物だし、教師受けも良い。逆に俺は家が貧乏で成績も運動も並みレベル。顔も普通。それほど社交的でもないから、クラスでは空気という感じだった。友達もできなかったからへたすりゃ一日中誰とも話さない、本当に空気みたいな感じだった。

 多分そんな俺がサンドバックにちょうどいいと思ったのだろう。Kとその取り巻き三人は俺が友達作りに失敗がほぼ確定した五月ごろからやたらと俺に絡んでくるようになった。
 やれ持ってる物が貧乏くさい、中古ばっかりで汚らしいとわざわざ目の前で指差されて笑われたり、俺のテストの誤答箇所をわざと大声で読み上げて笑ったり、すれ違いざまに足を引っ掛けようとしたり、俺の顔を見てわざとらしく忍び笑いをしたりと、とかく俺の一挙一動をあげつらって嗤うのが好きな連中だった。
 他にもKたちは肩を組むふりをして小突かれたり、足を踏まれたりと本当に小さい嫌がらせをしてきた。階段から突き落とすふりをされたり、脈絡なく軽く首を絞められたこともあった。

 何度か耐えかねて本気で切れて怒鳴ったことがあるのだが、そうすると俺が冗談の分からない奴だと馬鹿にされ、周囲の呆れを含んだ冷たい視線も俺に向けられることとなった。
 クラスの人気者と空気では、勝敗などはなっから決まっていた。
 屈辱と怒りで憤死しそうだったが、暴れ出したい気持ちを我慢している俺を見て、奴らはますますおかしそうに嗤っていた。

 ヘタれな俺は上手く反撃することもできず、日々耐え忍ぶしか道はなかった。小さなことだが毎日欠かさず続けられるいじめ行為はかなりのストレスだった。

 自分ではどうにもならないと悟った後には、教師に訴えたこともあった。だが、取り合ってもらえなかった。むしろ俺が逆に教師から説教されることになった。
『俺が若いころは、そんな感じで仲間とつるんでいた。お前は社交性が足りないんだ』
 と。

 Kたちのいじめ行為は、教師たちには仲の良い子供のおふざけとしか認識できないようだった。それどころか、余所から来てクラスで浮いている生徒を積極的に仲間に入れている親切な行為であるとすら思われている節があった。

 実際、大人になった今ならばそういった見方もできると納得できるようになった。
 だけれども、それは双方に共通の見識、合意があった上で成り立つことではないだろうか。少なくとも、あれは俺にとって苦しい苛められた日々だった。

 とは言っても、教師がそのような対応だ。クラスメートが止めてくれるはずもない。結局Kたちに苛められている間にも友達を作ることができず、どんどん暗い人間になっていった俺は親しくないクラスメートに助けを求めることができなかった。

 しかし二年になって担任が変わり、転機が訪れた。

 担任となったのは若い女性教諭だった。喋り方がはきはきしていて、非常に熱心で真面目な様子に見えた。
 相変わらずKとその取り巻きたちとは同じクラスで苛められていた俺は、もう一度勇気をふるって自分の窮状を担任に打ち明けた。この先生ならば助けてくれるのではないかという希望を持って。
 しかし担任は難しい顔をして、「しばらく様子を見させてほしい」とだけ言ってきた。

 半ば予想していたが、やっぱり駄目だったかと俺は気落ちした。

 ところがその半月後、六時間目のHRで担任がやってくれのだ。

 彼女はHRの冒頭で言った。このクラス内で苛めがある、と。
 どよめくクラスメート、そしていきなりの展開に心臓がバクバクとなっていた俺。怖くてKたちの様子を見ることもできなかった。
 手に汗を握りながら俺は担任の話を聞いた。彼女が喋ったことは、説諭というよりも熱い演説だった。


 ――いじめをする人というのはね、とても悲しい人なの。彼らこそ真に助けを求めている人間なのよ。だってね、彼らは他人に痛みを与えることで己の痛みから目をそむけなければいけないほど心が病んでいるの。

 ――他人をいたぶっている自分がどれほど醜いか気付けないほど彼らは追い詰められているの。

 ――人間ならば誰しもが持っている良心、学んだはずの道徳心を捨て去り、獣のような心になってしまうほどの辛さが、彼らに襲いかかっている。でもそうしたところで、彼らを追いつめている問題は解決しないわ。

 ――彼らのいじめ行為はSOSのサインなの。皆に救いを求めているのよ。皆、どうか協力して彼らを助けてあげて。


 そう、担任は盛大ないじめっ子擁護論をぶち上げたのである。

 彼女は演説の最中、幾度となくKやその取り巻きたちの目を見つめていた。いじめっ子たちが誰かということは、クラス中が理解していた。俺もクラスメートもちらちらとKたちの方をうかがっていた。

 Kは、演説の最初こそはつまらなさそうにしていたが、徐々に顔を赤く染め、ついには自分の様子を見てくるクラスメートや担任を睨みつけていた。取り巻きたちはうつむいていた。

 HRが終わると、担任は満足そうに笑って職員室に帰って行った。

 変な話だが、その日からクラスメートのKたちに対する態度が変わった。

 もともとKは人気者で誰とでも気さくに話している奴ではあったのだが、女子は以前よりも馴れ馴れしい奴が増えていた。「私でよかったらいつでも相談に乗るから」と言いながらKに抱きついたり手を握ったり、それを振り払われても慈愛の目でKを見る。あるいは、できの悪い子供に対するような大人目線というのだろうか、妙に上から目線の苦言を呈する奴が増えた。男子も馴れ馴れしい感じで「お前も大変なんだな」みたいに、俺は分かっているとでも言いたげに肩を叩いたり同情のまなざしを向けたりと、なんだかクラス全体がかわいそうなKを支えよう、みたいな雰囲気に塗り替えられていた。

 Kはそのクラス内の変化に当初は戸惑い、そしてかなり腹を立てていたようだった。俺に暴力などもかなり過激になり、それまでは悪ふざけという言葉でごまかせる範囲だったものが、明らかにごまかしようがない暴力という形に変化を遂げていた。
 だが不思議なもので、俺自身もKがかわいそうな奴だと思いだしていた。

 何でもできて顔もよくて家も恵まれている、そう思っていた奴が実は周囲に声にならない助けを求めている。

 そう思うと、何を言われても笑って流せるようになった。それは一種の優越感だったのかもしれない。俺はお前ほどに苦しくはない、俺は恵まれている、という。恐らくクラスメートもそんな感じだったんじゃないだろうか。それまでKから感じていた劣等感が担任の演説を境に一気に吹き飛び、よくわからないKに対しての優越感を皆が持っていた。それをKは感じ取っていたからこそ、余計に苛立ったのだろう。
 取り巻き連中は形勢の変化を悟ったのか、早々に俺のいじめから手を引いた。Kと同類と思われたくなかったのだと思う。

 そのうちKのいじめはなくなった。
 どういう心境の変化か、奴は前よりも真面目な努力家になった。さらには性格自体も変化があり、まさしく聖人君子のような性格に変わった。

 担任のたった一回の演説がクラスを変えたのだった。


 十年後の同窓会で、その時の担任が教祖なのだと、地元の新興宗教集団の幹部になったKから聞いた。
モクジ
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