モクジ

◆ 短編 --- 王国の惨劇 ◆

 シュレイトという大陸では、創世記以来、女に人権というものがなかった。
 というのも、男ならば全員が生まれながらに持っている魔力を女は持っていなかったからだ。魔力は神からの授かりものと言われ、故に女というものは神からの加護を授かっていないものだと蔑まれた。しかし男女の交わりがなければ子供は産まれず、滅びの道をたどるだけだ。
 よって、魔力を持たない女は子供を産む道具として扱われた。そして男には絶対に逆らわない奴隷として扱われた。世継ぎはすべて男児とし、いかに高貴な血筋であっても、女児として生まれたならば下々の女と同様に人ならぬ扱いを受けることが習わしであった。
 当然結婚などという概念はない。男は気に入った女を選んで孕ませ、男児を生ませる。
 見目が悪い女は野垂れ死ぬか、あるいは社会の最下層の男たちの慰みものになるかしかなかった。

 さて、そのような場所であるから、国々の王が世継ぎを生ませるときには愛情などという幻想は含まれず、より見目のよい、より能力の高い女を選ぶのが通例だった。
 中でもカーズスと呼ばれる国では、魔法で女を召喚して子供を産ませるのを慣例としていた。

 ある王が慣例に従って女を召喚したとき、現れたのはこの世界の人間ではなかった。
 意志疎通ができなければ命令するのも面倒だとして魔法の腕輪をつけることで言語が通じるようにした。
 黒髪の女は信じられないくらい反抗的だった。
 突然の召喚に文句を言ったのだ。女のくせに、男に対して。
 当然ながら王はもとより臣下たちも激怒した。
 鞭打ちされた女は、それでも反抗的で、愛想笑いもへりくだりもしなかった。
 腹を立てた王は、手荒く女を犯した。懐妊が判明するまで何度も何度も。女は泣きわめいて抵抗したが、それに腹を立てる人間はいても、同情する人間は皆無だった。
 女の不遜な態度はそれだけに留まらなかった。
 女はいかがわしい異教を信仰していた。
 再三の命令に関わらず、大神なるものを信仰し、朝夕にわけのわからぬ呪文を唱えていた。女は自分が巫女なのだと言った。何度鞭で打とうとも、女は頑として信仰を変えなかった。首から下げたいくつもの勾玉を常に肌身離さず持ち、大事にしていた。その勾玉は不思議なことに、誰が引きはがそうとしても女の肌に張り付いたようになって取れなかった。
 そのことに皆が腹を立てつつも、腹の中に国の跡継ぎがいるとなればあまり厳しいことはできない。魔法で選んだのだから、この女から生まれた子供は高い魔力を持つはずだった。

 そして時が満ちて、女は男児を生んだ。男児は歴代では群を抜いた魔力を持っていた。
 それに味を占めた王は、女に再び子供を生ませようと考えた。
 生まれたばかりの子供を取り上げられた女は狂ったように泣きわめいたが、それを慰める人間はいなかった。

 さて、それから二人の男児と一人の女児を産んだ女は、いよいよ気狂いが激しくなってきた。一日中子供たちに会わせろと叫び、暴れた。魔力の高い王子を生む女だからということで殺されこそしなかったが、女であるが故に優しい扱いを受けることもなかった。
 女が五人目を懐妊したときには、召喚からすでに八年以上もの年月が経過していた。
 塔の中に幽閉された女は、精神的な負担もあってか、病気がちになった。老医師が治療を施そうとしたが、腹の中の子に影響があってはならないと、薬などを使っての治療はできなかった。
 子供が生まれるのが先か、女が死ぬのが先か。きわどい状況だった。
 しかしすでに王にとっては力を持つ子供が三人もいたので、死んでもかまわないだろうと思っていた。女の生んだ女児が大きくなって子をはらめば、魔力の高い子供を生む可能性もある。

 女は自分の死期を悟ると、唯一自分と会話する老医師に自身が大事に持っていた勾玉を託し、自分の一族の持つ運命を切々と訴えた。
 そしてこの勾玉を子供たちに渡してほしい、災厄から身を守るお守りだから、と女は涙ながらに言った。
 産科の医師であったその老人は、女たちがいかに自分の子供を愛しているかということを知っていた。彼女たちは子供の性別に関わらず、自身の腹を痛めて生んだ子供を愛していた。身を挺してでも、己の命よりも我が子を優先することを知っていた。
 鬼気迫る様子の女は嘘をついている様子はない。老医師は女の話に半信半疑ではあったが、この国の王子を守るためでもあると言い聞かせて女の頼みを引き受けた。
 そしていざ事情を話して王子に勾玉を渡してみたものの、老医師の言葉は一笑にふされた。女の言う災厄など戯言に決まっているし、異教徒のお守りなど王族にはふさわしくないと大臣たちが口々に言えば、当の王子もそれに同意して勾玉を捨ててしまった。それどころか床に投げ捨てたそれを魔力でもって打ち砕いてしまった。
 下の王子たちもそれにならい、もらった勾玉を壊して捨てた。それどころか、薄気味悪いものをよこしたと老医師をなじった。
 老医師は何ともいえない気分になった。
 人間は女の腹から生まれる。自身の生みの親からの贈り物を、どうしてあのように非道に扱えるのだろう、と。
 老医師はその後、王宮で下働きをしている幼い娘のところへと行った。
 まだ小さい手をあかぎれだらけにして働いていた女の娘は、老医師から話しかけられたことにたいそう驚き、おびえた。しかい老医師が事情を話して勾玉を渡すと、娘は姿を見たことのない母からの贈り物を大事に握りしめた。老医師が皮紐を渡すと自身の首から勾玉つり下げ、母親と大神への祈りを欠かさずにする事を約束した。

 さて、それから数日後、女の死期はいよいよ迫り、もはや息をするのもやっとという状況になった。ただひたすら、自らの信じる大神に祈りを捧げていた。
 折しもその日は王子の八歳の誕生日。王宮では国内外から貴族を呼んでの盛大な祝いの宴が開かれた。
 かしずく貴族と、美しく飾りたてた奴隷、そして強い魔力を秘め、父親に従順な王子たち。王は実に幸せだった。
 かの国の繁栄は確約されたようなものだと思われた。

 しかし、その平和は一瞬にして崩れさった。

 突如雷鳴が鳴り響き地が揺れた。
 黒いもやとともに現れたのは、紫がかった毛色の巨大な猿だった。
 猿は血走った目を光らせ、鋭い牙の間から涎を垂らしながら、宴の主役である王子を睨みつけた。
 ようやくだ、と猿は言う。
 千年もの間、おまえたちの一族に復讐する機会を狙っていたのだ、と。
 しかしその猿の言葉は異世界の言葉であったがゆえ、その場にいる人間には誰一人理解することができなかった。
 猿は鋭い歯をむき出しながら笑う。

 ――あの忌々しい守り主もいない、忌々しい勾玉もつけていない。以前のお前たち一族の慎重さはよく知っている。だというのに、こたびの童に何の備えもしていないとはなんたる無謀、なんたる浅慮。お前たちが無防備に我に腹を見せるというのなら、我はその腸を残さず食らいつくしてやろうぞ!――

 誰も理解が及ばぬままに、猿は王子に躍りかかった。
 護衛の兵や魔法使いたちが王子を守らんと動くが、猿の腕がいともたやすく兵士たちを吹き飛ばし、猿の爪がいともたやすく魔法をかき消してしまう。
 そしてあっという間に猿は王子の喉元に食らいつき、鋭い爪で腸を引きずり出すと、実に愉快そうに王子を食べてしまった。
 王はあまりの出来事に愕然としたが、事態はそれだけではすまなかった。
 猿は宴に列席していた者たちをねめつけた。
 どこかでまかりまちがって封印されてはたまらない。そのためには血族はすべて始末せねばならない。どうやら憎き一族の末裔は異国の地で王族に名を連ねているらしいと猿は察した。
 ならばいずれかの場所から己の封印術が漏れている可能性もある。
 忌々しい守り神が来ないということはすでに王子を食らった時に十分に確認した。
 ならばここは、積年の恨みを晴らすまたとない好機である。
 猿は歯をむき出して笑うと、空気をびりびりと震わせるほどの歓喜の咆哮を上げた。

 その後はまさに阿鼻叫喚という言葉が相応しい惨劇となった。
 猿は人々を襲い、食らった。
 魔法は意味を成さず、剣は折れ、矢は叩き落とされた。
 王は死んだ。優秀だったはずの王子も皆死んだ。逃げまどう奴隷も貴族も次々と猿の手によって命を散らしていく。
 広間の中はむせかえるような血の匂いで満たされた。猿は高らかに咆哮を上げると、開け放たれていた広間の扉から外へと出た。
 広間のすぐ外にいた兵士もすでに先の騒ぎで貴族たちを守るために命を散らしていた。猿の行く手を阻むものはいない。
 断続的に兵士たちが駆け付けるが、彼らは猿の敵ではなかった。
 猿は己の圧倒的な優勢に嗤った。この世界は、強い人間はいない。忌々しいあの守り主の力も及ばない。守り主の力を使える人間もいない。
 すでに城の中には人気が消えつつあった。猿が殺したのも理由の一つだが、彼らが逃げ出したという理由も大きかった。城の中に残っているのは自由を持たない女ばかりだ。

 さて、猿が城の一角に足を踏み入れると、小さな少女が尻もちをついた。城内の騒ぎを知って、どこかに隠れようとしていたのだろう。
 少女は突如現れた血塗れの猿を見て悲鳴を上げた。顔面から面白いくらい血の気が引いている。己の身を守るように、ぎゅっと胸元を握りしめていた。
 猿は嗤う。猿はこういった怯えた子供を嬲り殺すのが何よりも好きだった。かつてはその悪事が原因である一族によって封じられてしまったほどだ。しかし猿は長い封印を経てもそれを悔い改めようとは思わなかった。彼の本能がそうしろと叫ぶのだから。
 猿が少女を嬲り殺してやろうと手を伸ばした時だ。猿は少女が何かを呟いていることに気付いた。
 少女は目の前の猿に怯えながら、彼女にとっては異国の言葉でずっと祈っていた。
 ――大神様、秘めたる太古の君、昼の母、曙の祖母、どうか大御宝に慈悲を与えたまえ、大御言によりて邪なる者を退けたまえ、その御身の御威光でその敵を屠りたまえ――
 聞き取った言葉に猿は全身の毛を逆立てた。それは彼にとって最も忌まわしい言葉だ。
 猿が咄嗟に少女を食い殺そうとするも、それよりも先に白い光が少女を包んだ。そして目を潰すようなまばゆい光と共に、猿の天敵である白い狼が現れ、少女を庇うように立ちふさがっていたのだった。狼は少女が母の死の後も続けられた敬虔な祈りにより、その力を失うことなく神の威光を保っていた。狼の首にかけられた勾玉には神のみが持つ赤い輝きが光っている。
 ――ぬかったわ、その娘もかの一族の者だったか!
 猿が悔しげに地団太を踏んだ。狼は低く唸るように猿に言う。
 ――貴様が異界にまで追いかけてこようとはな、それにまさか我が子らが守りの勾玉まで捨てていようとは。だが、我が子が残っている限り、貴様の好きにはさせん。再び、地の底へと封じてやろう。

 次の瞬間には、狼は猿の喉笛を食いちぎっていた。
 猿の体からは黒い血が噴き出し、断末魔の悲鳴が上がる。少女はただ震えながら自らが信仰する狼の姿に見惚れていた。

 彼女は医師から母の最期の言葉を聞いていた。彼女の信仰する大神が、訪れる災いから助けてくれると。その証が勾玉であるとも。

 やがて猿が絶命し、勾玉の一つへと封じられた。
 すると狼はゆっくりと少女の方へ向き合った。少女より遥かに大きな獣の姿をした狼は、まだ青白い顔の少女の頬に自身のそれをすり寄せた。
 ――我がいとし子よ、そなたには恐ろしい思いをさせたな。けれどあの悪鬼は分身のうちの一つ。いずれそなたの子が生まれたならば、あの悪鬼の分身がそなたの子を襲うだろう。
 少女ははっとして首を振って、ええ、ええ、母から聞きました、と感極まったように涙を落とす。狼は少女の濡れた目元をぺろりと舐める。
 ――ああ、そうだろう。決して勾玉を手放すな。と言っても、もはやこれはそなたの体からは離れまい。契約の証しだ。いずれそなたに子ができれば勾玉も増えよう。それを子に分け与えれば、我が加護は子らにも行き渡る。祈りを欠かすな。我がいとし子よ。
 ええ、決して欠かしません、と少女はうなずく。
 そうして、狼は小さく笑うとまたまばゆい光と共に消えてしまった。

 血まみれの廊下で、少女は一人老医師から聞いた話に思いをはせていた。

 かつて、少女の遠い先祖に邪神を退治する仕事が舞い込んだ。けれども邪神は強く、滅することは叶わなかった。彼らには封印するのがやっとだったのだ。
 何代にも渡って封印を続けてきたが、力の強い邪神はやがて十数年に一度だけ外にその分身を作りだして出てくるようになった。そしてその折には必ず、己を封じた一族を始末しようとやってくるようになった。
 というのも、かの邪神の本体を封じているのは一族の血と、彼らの守護神である大神の力だったからだ。一族を根絶やしにさえしてしまえば封印に大きなほころびが生まれる。そして一族が死ねば彼らが信仰する大神の力が弱まる。まさに邪神にとっては少女の一族は不倶戴天の敵だったのだ。
 敵は必ず来る。一族の命を狙って。それも、子がまだ小さい時に。その時には、信仰する偉大なる大神の慈悲にすがり、力を借りればいい。きっと大神が助けてくれる。
 それが少女の母の遺言だった。

 少女の母は一族の巫女だった。己の使命も、やがてやってくるであろう邪神のことも当然知っていた。
 だからこそ子供らに事実を伝え、守護の勾玉を渡そうとしていたのだった。言葉が息子たちに届くことはなかったが。

 死臭が充満し、不気味な静けさが支配する城で、少女はただ勾玉を握りしめて大神の守護に感謝の祈りを捧げるのだった。
 いつかこの身に、必ず子を宿そうと誓いながら。



 シュレイトという大陸のカーズスという国で、歴史上に名を残す惨劇が起こった。
 年若く優秀な王子の誕生祝いにと国内外の貴族を招いての盛大な宴を催していたそのさなか、突如として現れた巨大な猿によって、広間にいた人間が虐殺されるというものであった。生き残りは数えるほどしかおらず、辛うじて生き残っていた者も、その傷が祟って後に死亡した者が大半だった。
 生き証人は少なかったが、それでも件の猿を巨大な狼が退治し、封じたところを目撃した人間も僅かながらいた。
 国の主要人物のほとんどが殺害され、なおかつ諸外国の要人まで殺害されたとあって、カーズスはもちろんのこと、シュレイトは蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。

 その後、様々な出来事を経て、正体不明の少女が邪神を退けた神の巫女として祀り上げられることとなる。
 これが、シュレイトにおける女性の台頭のきっかけとなったのだった。
 けれどもその中心人物であるはずの巫女は、勾玉を握りしめての毎日の祈りを欠かさぬ慎ましい人柄であったという。
モクジ
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