ススム | モクジ

● 短編 --- 呪術系女子 前編 ●

 呪われろ。
 呪われろ。
 呪われろ。

 湧き出しては止まない怨嗟が私の体を突き動かす。
 誰もいない――否、誰も近寄れない納屋の中で、釘を打つ音が響く。
 ここに誰も訪れなくなってどれくらい経つだろう。私がこの納屋から出なくなってどれくらいが経つだろう。
 ――最後に私が生きている人間を目にしたのはいつだったろう?
 湧き出る疑問に答えをくれる人はいないし、わざわざ確かめるために外へ出る気も起らなかった。
 ただ私は、体の奥底から湧き出す怨念に身を任せ、人を、世界を呪うだけだった。












 そこが貴様の寝場所だと言われて、屈辱だと思う前に、奴らから離れられるという喜びが勝った。
 長い間使われていないであろう、埃だらけの納屋。そこに、さも急遽用意しましたと言わんばかりの藁の山。その上には申し訳程度に使い古されたシーツがひいてある。先ほど奴らが宿泊手続きをしていた宿とは雲泥の差だ。
 豚には似合いだと言い捨てて、クソ腹立たしい男は去った。納屋の持ち主――確か宿の人間だったはずだ――は私に一瞬同情的な視線を寄こしてきたが、何を言うでもなく男に付いていった。
 誰もいなくなった空間で、私は藁の山に倒れ込んだ。手当てをしていない生傷に、シーツ越しに藁が刺さって痛い。明日の朝には私の血液やら血漿やらで使い物にならなくなるだろうが、知ったことか。
 疲労感と眠気が襲ってくる。
 私はそれに身を任せた。



 スケープゴートのことを、この世界では聖女と呼ぶらしい。そしてその扱いは家畜並みだ。
 高校生だった私は、ある日姿見から出て来た謎の腕に引き込まれ、この世界へとやってきた。
 世界を渡る衝撃に私は気絶してしまっていたわけだが、目を覚ました時には何もかもが手遅れだった。
 首に付けられたのは祝福の首飾りという名の、呪いの首輪だった。孫悟空が頭に付けていた緊箍のごとく、彼らはその首飾りでもって、いつでも私に苦痛を与えることができた。GPSも兼ねているのか、居場所も筒抜けとなる。自らの意思で外せないのだから、間違いなく呪具の類だ。
 しかし同時にこの世界の言語を解する魔法も込められているそうで、万が一にでも外せば私はたちまち意思疎通が困難になるらしい。
 私に課せられた使命は、己の命をもって魔王とやらを滅すること。一か月の戦闘訓練の後、少ない従者と共に魔王のもとに単身で乗り込み殺してこい、と神官はのたまった。これ以上に光栄なことはないと思え、と。
 わけのわからない状況に、上から目線の身勝手な言い草に思わず食ってかかってしまった私は浅慮だった。
 途端に襲われる激痛、衝撃。
 この世界の人間にとって、聖女とは家畜並み、つまりこの世界の人間以下の奴隷だ。逆らうなどもっての外だったというわけだ。
 私が呼び出されたのも、旅立ちまでの間に寝泊まりしていたのもこの世界では一二を争う大きな神殿だったらしい。唯一神を崇めるこの神殿は、神の僕の集まりのはずだが、聖女が使い捨ての下賤な者であるという認識は常識としてまかり通っていた。曰く、聖女は神官が呼び寄せたものだから、神の御使いではないからだそうで。必要最低限の世話をする女性神官は、縁起が悪いとでもいうかのように私と関わるのを嫌がっていた。神が慈悲深くとも、神官は慈悲深いというわけではないようだ。大人ならば表面上くらいは取り繕えと言いたい。
 私に戦闘を叩きこんでくれた神殿騎士が、今思えば一番優しかったのかもしれない。彼は脳筋ゆえに、ひ弱な私が旅に出ることを憂慮してくれた。その結果が立てなくなっても尚ぶん殴られるような訓練だったとしても、だ。あれのおかげで、私は魔物と戦うときも、怪我をおして戦うことができた。

 旅立ちの日、随行するのは四人という、特殊部隊でももう少しいるんじゃないかという人数だった。
 筋肉だるまのしかつめ顔のプライドが高い騎士、老人みたいに背を丸めて杖をつき、誰とも視線を合わせない魔術師、敬虔な信徒以外は畜生以下と公言する神官、死んだ目をした女奴隷。
 未だに私はこの一連の茶番のキャストやスタッフは本気なのかと疑っている。少なくとも、私自身はこんなメンバーでは魔王を倒すことはおろか、その居城にすらたどり着けないと思っている。
 実力者だという話だが、なにせ初期のアベンジャーズの方がまだまとまりがあったんじゃないかと言うくらいギスギスしているのだ。
 旅のリーダーは騎士という話だが、こいつは高慢で鼻もちならない男だった。地位は一番この男が高いらしく、皆が渋々言うことを聞いてはいたが、互いに言葉に含む険を隠そうともしない。魔術師はそもそも人間が嫌いなようだし、敬虔な信徒が一人もいない状況で神官は憤然としているし、奴隷は虐げられすぎたせいか、常にびくびくとしていた。
 そんなメンバーが唯一団結するのは、私というサンドバッグを攻撃する時だった。
「この程度の礼儀作法も知らんとは猿並みだな」
「こんな魔法、子供でも使えるだろうに、使えない。屑」
「神の存在を信じない? おぞましい、獣以下の不敬な存在だ」
「火も起こせない、料理もできない、狩りも洗濯も上手にできないなんて、どれだけ役立たずなの!?」
 もちろん私だって反論した。あんたらだって私の国の作法は知らないだろうし、あんたらはパソコンやスマホを使えないだろう、神に頼らなくたって科学の力で人類は発展できるし、便利な家電製品やスーパーなど加工済み食品を使用している現代日本人にとって原始的な手段で家事ができる人間などほとんどいやしない。
 けれども私の反論は一笑に付され、揚句呪いの首輪を通しての罰が与えられただけだった。彼らは私を痛めつけたいだけで、人間として対話するつもりはないのだから。
 魔物に襲われては怪我をすることは日常だった。
 神官が回復魔法というのを使えるらしいのだが、ただでさえ足手まといの私に回復魔法を使うのは著しく不本意らしく、少々の怪我であれば放置されるのが常だった。そのうち破傷風に掛かるんじゃなかろうかと心配しているが、今のところ無事である。己の頑丈さに感謝せずにはいられない。確か母も言っていた。あなたは子供のころから滅多に病気にかからない、元気な子だったって。それでも私が転んで怪我をしたりした日には、悲しそうな顔をして、こっちが恥ずかしくなるくらい心配してくれたっけ――


 優しい夢は唐突な蹴りと共に終了を告げた。

 腹部に蹴りを食らったと認識した途端、私の体は勝手に跳ね起きた。納屋の中はすっかり暗くなっている。数時間ほど寝ていたようだ。
 枕元に置いてある剣をひっつかみ、敵へと向ける。
「ご飯を持ってきて起こしてやったのにその態度? つくづく恩知らずね」
 見下した内心を少しも隠さずに言うのは女奴隷だ。手にはランプと料理の載ったお盆を持っている。
 たとえ食事を持ってきたにしても、声をかけるだけでも起こすには十分だったろうに。私を蹴り飛ばしたのは、ひとえに彼女のストレス発散のためだということは嫌になるほど知っていた。彼女は私の次に地位が低いから。
「食器は明日の朝食の時に下げるわ。そんな薄汚い格好で宿に来たら承知しないから」
 嘲笑を浮かべられたが、私に反論する気力はない。
 反応のない私に苛立った様子を浮かべた彼女は、舌打ちをすると思い切り私の頬を叩いた。
「聖女の癖に、生意気。ありがとうございますって、地べたを這って感謝なさいよ」
 奴隷という最底辺で暮らしていた彼女は、そのさらに下の存在が現れたことによって、嬉々として私を甚振るようになっていた。痛みを知る人間は、必ずしも他人に優しくなるわけではないらしい。
「……ありがとう、ございます」
 それでも彼女の手を借りねば生きていけないのは私なのである。手をつけば跡が残るような床に、手をついて頭を下げる。
 その様子に満足したのか、女奴隷は私に向かってつばを吐きかけて去った。べたりと髪に唾がつく。
 このくらい、慣れている。――慣れてしまった。
 女奴隷が残して行った料理を見る。
 ランプの僅かな光に照らされたそれは、台所の残り物を寄せ集めて無理やり大皿に盛り付けたのだろう。もはや残飯と言って差し支えない見た目の代物だった。
 一口食べてみるが、甘いものとしょっぱいもの、辛いものが混ざってとてもじゃないが料理などと称せない味だった。
 それでも食べなければ体が持たないのだ。深いため息をついた後は覚悟を決めて、私はその物体を口へと運んだ。
 まずい。ファーストフードをまずいと言っていた自分を殴りたくなるくらいまずい。食べ物の味じゃない。――母の料理が食べたい。
 私は頭を振って感傷を振り払う。別のことを考えよう。
 お風呂に入りたいが、そんなお湯の入った桶すらもらえない現状だ。寝る前に井戸の水を汲んでこよう。納屋の中には古い桶もあるようだし。
 涙で視界がゆがむのは、私の中の甘さが原因だ。現状を受け入れるしか道はないのだから、何も感じないようにならなければならないのに。
 ――なんで私が。私が何をしたっていうの。
 内心の悲鳴じみた叫びは声に出さない。出してしまえば、崩れ落ちて二度と立てなくなりそうだから。



 ――深夜、人の気配で目を覚ました。
 誰かが納屋の入り口付近にいる。それも複数だ。
 何度も命の危機にさらされたからか、この世界に来てから嫌な予感が良く当たるようになった。そうでなくとも、深夜に人気のない場所に複数で気配を殺してやってくるというのはいい話だとは思えない。
 私は自身に暗視の魔法をかけた。神殿にいた時に教わった初級の魔法だ。暗闇の中でも昼間のように周囲を認識することができる。納屋の中を見回し、隠れ場所になりそうなところを探す。梁の上か。
 なるべく音をたてないようにして、ロフトのようになっている二階へと登る。そして二階から梁へ。
 納屋の扉がゆっくりと開いたのはその時だった。
 外の月明かりが納戸の中に差す。侵入者は四人。先頭の男がランプを持っている。暗視の魔法は使っていないようだ。
 男たちはそろそろと藁山の方に近づいている。
「……いないぞ?」
「どこかへ行ったか?」
「乾いてない血がついてる。ここで寝てたことは確かだ」
「感づかれたか?」
「まさか。ろくに戦闘もできない女だと」
 潜めた声だが、静まり返った納屋の中ではよく聞こえる。私は息を潜めて成り行きを見守っていた。
 男の一人が舌打ちをした。
「久しぶりの女だと思ったんだがな」
「金は貰ってるんだ。あの騎士様へ言って呼び出してもらった方がいいかもな」
「飯に薬を盛るべきだったんだ」
「あの生ごみが飯だなんて分かるわけねえだろう」

 ――血液が一気に冷えた気がした。

 男達の会話が何を意味しているかが分からないほど、私は純真でもなかった。そして旅の同行者たちを信用してもいなかった。
 知っていた。
 一緒にいる奴らが私を性的にどうこうしようとしないのは、私が奴らにとって家畜だから。牛や豚と交わろうという酔狂な奴はいないように、聖女と交わろうなんて考える奴らじゃない。
 だけど、事情を知らない神殿の外の人間からしたら、私は女であり性欲のはけ口となるのだろう。そしてどうやら、聖女というのは処女でなくとも構わないらしい。本当に聖女とは名ばかりで、羊頭狗肉もいいところだ。
 妙に冷静な頭で、そういえばあいつらは路銀を派手に使っていたなと思いだす。傲慢騎士が金持ちの性なのか、高い宿でなければ嫌がっていたから。
 男達がどうするかひそひそと相談するのを見下ろしながら、私も考える。
 あの男達が宿に戻り、騎士たちに話を訊けば、呪いの首輪の力で私の居所はたちまちバレてしまうだろう。それどころか無駄な抵抗をしないよう、苦痛を与えられて動けなくなってしまうかもしれない。

 ――ならば殺そう。

 冷静な頭が冷静な判断を下す。
 剣を持ちなおすと、私は梁から男めがけて飛び降りた。
 一人目。飛び降りた私に頭を踏み抜かれ、勢いよく倒れて地面にぶつかった時にはスイカが割れるような音がした。
 二人目。仲間が倒れて呆然としている奴の喉を剣で横に切り払う。血しぶきがまき散らされた。
 三人目。悲鳴を上げた口に剣をねじ込む。頭を貫通したそれを抜くと、男は目を丸くして倒れ込んだ。
 四人目。煩く喚きながらランプを放り出して逃げようとする背中を袈裟がけに切り、動きが一瞬止まったところで首を切り落とす。できの悪いボールのような生首は、ごろりと一回転しただけで止まった。
 割れたランプが燃え広がりそうになったのは一瞬で、床に広がる血だまりに負けて火は早々に消えた。
 むせかえるような血の匂いが、納屋の中に充満する。
 それはこの世界に来てからすっかり慣れた臭いだ。
 ――なんだ。魔物も人間も変わらないじゃないか。
 命を奪うことへの抵抗なんてとっくになくなっている。自分の命を奪えないのは呪いの首輪の呪いのせいだ。あいつらの命を奪えないのも同様。でもそれ以外の魔物の命なら、もう数えられないくらい奪ってきたのだから。
 ただぼんやりと血だまりに転がる死体を眺めていると、どっと疲れが押し寄せて来た。
 藁のベッドも血に染まっているが、床に寝るよりは良いだろう。
 私は剣を握ったまま、ベッドに倒れ込んだ。
 しかし眠りに落ちるより早く、ざわざわとした複数の人の気配が近づいてくる。こちらは気配を隠す様子もない。
 気配の主たちは、慌てた様子で納屋の扉を開けて飛び込んできた。
「悲鳴が聞こえましたが――ひぃっ!」
 ランプを持った宿の人間が、納屋の中の惨状に悲鳴を上げた。何人かいるようだが、皆口々に悲鳴を上げ出したため、辺りはにわかに騒然となった。
 私は声を出すのもおっくうで、藁山に身を沈めたまま成り行きを見守った。
「何事だ!」
 数分後、休んでいたのだろう騎士がやってきた。
 死体だらけの屋内に表情を険しくさせた騎士だが、最奥の私に気付いたらしく、鬼の形相となった。
「貴様がやったのか!?」
 血の海を踏みわけ、死体をまたぎ、ずかずかと騎士が私のところへ歩いてくる。私はおっくうながら立ち上がる。宿の人間が悲鳴を上げた。私も死体だと思っていたようだ。
「……犯罪者が襲ってきたから返り討ちにしました」
 端的に答えてはみたが、返ってきたのは騎士の平手打ちだった。思わずたたらを踏む。
「この役立たずが! 犯罪者と一般人の見分けもつかぬか!」
「女を集団で襲おうとする人間は犯罪者です」
「黙れ!」
 体に激痛が走った。呪いの首輪の効果だ。体がくの字に折れ曲がる。立っていられない。血の海に頭から突っ込んでしまう。
「おやおや、これは。さすが、畜生は善悪の判断ができないと見える」
 ブーツで頭が踏みつけられた。これは神官に違いない。もしかしたら、魔術師や女奴隷も来ているのかも知れない。地面に伏した私には見えないが。
「この哀れな被害者たちに神の御加護を。天まで無事に昇れるよう」
 無意識に握りこんだ拳に血がにじんだ。
 いつだってそうだった。
 いつだって私が悪いことになる。何もかも私が悪くて、私が不出来で、物知らずで、野蛮で、すべてがすべて私のせいになる!
 私が何をしたっていうんだ!
 あんたたちの遊ぶ金のために、こっちは危うく売られる羽目になってたというのに! あんたらに拉致されて、知らない世界で呪いをかけられて、この世界の為に死ねと言われているのに! どんなに尽くしたってこいつらは認めやしない!
 心中で嵐のように荒れ狂うセリフは、けれども痛みを恐れて声に出ることはなかった。そんな怒りの発露など、旅の始まりに何度もしたのだ。そして無駄だと、誰も家畜の話は聞かないのだと理解していた。家畜に神はいない。家畜に神の救済などない。人の慈悲も。
「しばらくは警邏隊の地下牢に放り込んでおけ。汚らわしい犯罪者め」
 私を蹴り飛ばした騎士が言いながら、私の髪をひっつかむ。引きずられるように納屋から引きずり出される私を、宿の人間がひそひそと囁き合いながら見ていた。それは、恐ろしい化け物を見る目だった。




 聖女とは如何な人間に与えられる称号なのか。

 ――いい加減離してほしい。

 引きずられる痛みで、思惟が散漫となりながらも考える。
 神殿の連中は言った。その命でもって、魔王を滅することができるのだと。

 ――髪が千切れた。

 魔王というのは、徒人が徒党を組んでも退治できるものではないらしい。

 ――頭から血が。

 だからこそ、面倒くさい手順を踏んででも魔王を退治できるという異世界の人間を攫ってきているのだろう。

 ――腕にやすりをかけられているみたい。

 しかし、現時点で私にはこれといって特異な力はない。

 ――痛い、痛い、痛い!

 私は本当に、

 ――もう嫌だ!

 聖女なのだろうか?

 ――誰か、助けて……





 意識が薄れかかった頃、警邏所の牢屋についた。
 この世界は警察組織がなくて、代わりに町々に警邏隊と呼ばれる自警団が存在する。大体はその町の町長や領主が責任者であることが多いらしい。
「ふん、ゴミが」
 汚らわしいと言わんばかりの口調の騎士が、私を空いた牢屋の中に蹴飛ばした。私は転がるように牢屋の中に入った。立つこともままならず、真っ暗な床に倒れる。
 石造りの地下は、廊下に蝋燭の明かりがぽつぽつとあるだけで、その光が届かない牢屋内は何があるのかすらよく見えなかった。石の床は冷たく、じっとり濡れていた。し尿と腐った水の匂いがする。
「しばらくそこで己の罪を悔い改めることだな。私は貴様の後始末をせねばならぬ。忌々しい」
 がちゃり、と鍵が閉まる音がした。鍵が開いていたところで、呪いの首輪が外せない限りは私が逃げられるはずはないのだけれど。
 のろのろと体を起こす。泣いているくらいならば動いている方がまだましだと学んだのはこの世界に来てからだ。冷たい床は体力が奪われる。ここが牢屋だというのなら、もしかしたら毛布の一つでもあるかもしれない。
 暗闇で目を凝らす。牢屋の奥は墨をぬったくったような暗闇だが、多分、四畳もない部屋だ。入り口の対角に何かあるように見える。あれはベッドだろうか。
 そろそろと足を動かす。やがて行き当たったそこは、予想通りベッドらしきものがあったのでほっと胸をなでおろす。木のベッドは薄い敷布と毛布があった。どちらもひどく臭ったが、ないよりマシだ。
 ベッドの上で丸まる。
 地下牢は私以外に人はいないようで、見張りは地下牢の入り口にいるのか人の気配はなく、じりじりと蝋燭が燃える音と、滴り落ちる水の音が明瞭に聞こえるほど静かだった。
 息をつくと同時に、ここぞとばかりに体中が痛みを訴え出す。髪は恐らくかなりごっそり抜けているだろう。髪の毛と一緒に皮膚も持っていかれているのか、頭からだらだらと出血がある。
 ――伸ばしてたんだけどなぁ。
 引きずられた時にあちこちすりむいているし、道中でねじり上げられた腕は筋が痛んでしまっている。足も軽くくじいてる。寝返りをうとうとしただけでも体のどこかが悲鳴を上げた。
「……っ」
 ぎゅっと唇をかみしめて、泣き喚きたいのをかみ殺す。
 友達がいれば、家族がいれば全力で泣きついたのに。
 とんでもなく孤独で、どうしようもなく誰かに慰めてほしい。辛かったね、と同情してほしい。あなたは悪くないって、言ってほしい。
 だけどもこの悪夢はまだ終わらないし、そんなことをしてくれる人間もいないのだ。
 日本にいたころは、自分が牢屋に入ることになるなんて想像もしなかった。家族や友達から切り離されて、周囲に敵しかいない状況になるなんて、一度も想像すらしたことがなかった。
 ――この世界は地獄だ。
 押し殺しきれなかった涙があふれてくる。
 泣いたって無駄に体力を使うだけだと分かり切った言葉で自分を叱責してみたところで、私の心も体も完全に限界を迎えていた。
 堰を切ったように涙があふれる。
 私はなすすべもなく、薄汚いベッドの上で泣いた。
ススム | モクジ
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