ジャンク

2012年くらいのエイプリルフール企画の時のネタ小説


 それは唐突にやってきた。

 いつものように部下から説教を食らっていた時に。

 いつものように狩りへと出かける準備をしていた時に。

 いつものようにたむろする常連客を追い出した時に。

 いつものように夕食の買い出しから帰る時に。

 いつものように執務室で仕事をしていた時に。


 



 網膜が焼き切れそうなほどの閃光と共に、不愉快この上ない感覚が体を襲っていた。
 誰かが変な魔法でも使ったのかという考えは即座に否定する。こんなことをするような奴はうちにはいない。あの頭の足りないお子様勇者だってしないだろう。そのご学友は言うに及ばず。そもそも魔力が足りない。

 椅子に足を組んで座っていたはずの体は宙に投げ出され、受け身を取ろうとした瞬間には重力の方向が九十度ほどずれていた。転移魔法が失敗したときに似たような現象が起こる。もろに全身を床に打ちつけ、思わずうめき声が出る。

「********!」

 妙に空間に反響する聞きとれない言葉が響く。そして幾人もの足音が近づいてくる。
 本能的にこれは危険だと思うが、脳が揺れたのか体が思うように動かない。

 咄嗟に結界を張ろうとするも、体の力が吸われるような脱力感に襲われる。
 まだ閃光のせいか視力が戻らない目で周囲を見渡すと、どうやら鎧を着込んだ重装備の人間に囲まれているらしいと分かった。

「離せ!」
「*****!」

 勇者サマの声の他にも誰かの抗議めいた言葉が聞こえる。あのお子様はこの不快感を感じなかったのだろうか。元気なことである。私も倒れているわけにはいかない。起き上らなければ。

 直後に全身を殴打された。刃物ではないが、金属製だろう。呼吸が一瞬止まる。反撃したいが体が動かない。

 腕を捻り上げられたかと思うと、手首に冷たい感触が巻きつく。

「*****」

 満足そうな口調で男が何かを喋っていた。私はちっとも良くないぞ。
 どうしようもなく腹が立って声の方に視線を向ける。
 ようやく戻ってきた視界の中で、ふんぞり返ったがりがりのチビデブハゲの三拍子揃ったおっさんがこちらを嫌な目つきで見ていた。
 腐り落ちろハゲ!
 と脳内で私が毒づいた直後に意識が途切れた。



 ###########



 ゾンビが町を徘徊するなんてゲームみたいなことが現実に起こった。
 だからどんな非現実的な出来事だって起こる可能性はあるのだと思っていた。

 が、とてつもなく気色悪い感覚と痛いほどの閃光の後に俺を襲ったのはゾンビ以上の理不尽だった。

 うめきながら意識を取り戻した時には、全身が打撲傷で痛んでいた。骨は無事なようだが、いくらか出血しているようだ。

 さらに最悪なのは現在の状況だろう。

「……檻?」

 まるで鳥かごのような檻の中に俺は閉じ込められていた。高さは二メートル弱、半径一メートルくらいの正真正銘の檻が床に置かれ、俺はその中にいた。
 腕を動かしてみるが、頑丈な手枷がはめられている。まるで磔台まで歩かされる囚人みたいな檻だ。

 檻が置いてある部屋の中を見渡してみる。

 広さはせいぜい二十坪といったところか。檻以外は何もないだだっ広い部屋だ。

 その中で数メートルの間隔をあけて円を描くように等間隔で檻が置かれていた。俺の他にも四名、知らない人間が捕まっているようだ。
 それぞれ檻の床に倒れ伏してうめいている。意識が戻ったのは俺が最初のようである。

 俺の両隣りにある檻には体格からして女が入れられていた。どちらも見た感じ結構若い。遠い方の檻には若い奴と太った中年の男が入っていた。どうやら俺もこの人たちも被害者一同となるわけらしい。ただ、俺のように腕に枷をはめられている人間はいない。何の違いかは知らないが。後ろ手にされなかっただけましだったと見るべきか。

 部屋の中はそれ以外がらんどうと言って差し支えないくらい何もなかった。
 灰色がかった無機質な壁は大理石めいたもので作られているが継ぎ目が見当たらない。床も同様だ。一か所だけ、やたらと大きな鉄の扉らしきものがあった。いかにも頑丈そうだが時代錯誤なデザインの扉だ。あそこが出入り口だろう。
 天井はドーム型だが頂点のところに穴があいていて、太いコードのようなものが五本そこから伸びている。そのコードは俺や他の人の檻につながっているので、もしかしたら電流か何かが流れる仕組みなのかもしれない。悪趣味極まりない。

 周囲をもう一度見回す。先ほど俺を襲ったのは時代錯誤な鎧――それも西洋鎧だ――を着込んだ連中だったが、それらしき人間は見当たらない。見張りはいないのだろうか。

 ともかく考えていても始まらない。俺は腹を決めると声を上げた。

「おい、あんたら大丈夫か!? 俺の声が聞こえるか!? 起きろ! なあ、しっかりしろ!」

 今は少しでも情報を増やし、状況把握に努めるべきだ。



 ###########



 頭が割れるように痛い。それに吐き気もする。
 食いしん坊万歳な食い倒れ陛下に付き合って世界各国津々浦々をめぐる生活をしているので二日酔いにはしょっちゅうなるが、この気分の悪さはそれの比ではない。それに頭の痛さについては物理的なもののようだ。

 近くで喚く男の子の声がして、私はゆるゆると目を開けた。

「おい、気がついたのか。あんた大丈夫か!?」

 まだ視界がかすんでいる。コンディションは悪い。

「……頭痛い」
「だろうな。俺も全身痛ぇよ」

 男の子はどこかほっとしたような様子だ。

 体を起して声の方を向くと、二十歳前だろうか、所々血のにじんだ半袖のシャツにジーンズ姿プラス手枷というパンクな格好の男の子が格子ごしにこちらを見ていた。
 ……ん、待て。なんだこの格子。

 思わず目をこすってみるが、見間違いではない。上下左右を急いで見回すと、頭痛がさらにひどくなる事実が分かった。

「閉じ込められてる……」

 私を覆う大きな檻がはっきりと見えた。私は籠の中の鳥……なんてポエミーに表現してみたところで実際は見世物小屋の動物の檻と同列の可能性もある。なんにせよ、客人をもてなす態度ではない。そもそもしょっぱなからして殴られた時点でおかしいのだが。
 多分、いつもと感覚が全然違うがこれも異世界召喚だろう。
 今まで三回ほど体験したことがあるが、これほどひどい扱いを受けたのは初めてである。というか、基本的に賓客扱いに近いものだった今までが異常だったのかもしれないと思うほどだ。

「どうやらそうらしい。その上お仲間がいるようだしな」

 彼の指す方を見れば、同じような檻に閉じ込められた人たちがいた。
 見た感じ、私の隣の太った男性は雰囲気からしてそこそこ年がいっているだろう。何故か異国風の服を着ていて、なんとなく最初に会った時のウォルターと魔王を足して二で割った感じだ。残りの二人はすでに起きている男の子と同じくらい、私より若そうだ。女の子はチュニックにズボン、気絶している男の子の方は長袖シャツにベストとズボンという、シンプルな格好をしていた。どちらも血が付いているのが痛々しい。
 ふと気づいて自分の服を見てみると、最近買ったばかりのスカートやブラウスにもやはり血糊が付着していた。髪の毛がべたべたして気色悪いと思って手を当ててみるとぬるりと生温かい感触がして、手を眼前に持ってきてみると血が付いていた。

 ……さっきから頭がくらくらするのはこの異常事態のせいではなく出血のせいか。今すぐ病院に行きたい。

「あんたはここに連れてこられた理由とか、連中のこととか何か知らないか?」
「食事作り……ってわけではなさそうだよねぇ」
「ふざけてる場合かよ」

 男の子は不機嫌に言い放つ。しかし私としては本気と書いてマジな発言だった。
 異世界召喚といったら食事作りだろう。私の常識的に考えて。

「……直前まで家にいたと思うけど、急に気分が悪くなってめまいがしたと思ったら宙に放り出されてたのよ。それで、頭が割れるように痛くなったり目が潰れそうなくらいの光が来たりしたから何がなんだか。こっちに来てすぐに誰かに殴られて意識も飛んじゃったし」
「こっち?」

 男の子は訝しげな声を出す。
 どうやら彼はここが異世界だとは思っていないみたいだ。ごくごく普通の一般人っぽい。
 だからこそここで私が軽々しく異世界とか魔法とか言うと頭のおかしな人間だと判断されてしまいそうだ。どうしたものか。

「少年、そういう君こそ何か知ってることはない?」

 私が尋ねると、男の子は首を横に振った。

「俺も似たようなもんだ。狩りに出かけるところだったが直前で変な感覚になって、さっきは知らない連中に殴られた。抵抗したけど体はまともに動かないし多勢に無勢、その上武器まで使われちゃな」

 ……何かおかしな単語が出たぞ。

「狩り? ハンティングが趣味なの? それともネトゲかサバゲ?」

 あるいはオヤジ狩りか。目つきは鋭いし体つきもしっかりしてるからあり得ない話じゃないな。
 すると男の子は訝しげな顔をした。

「あんた、あの連中食わないのか?」
「……どの連中?」

 しばらく私と男の子は無言で見つめあった。何か齟齬が生じている。しかもかなり深い深い溝があるようだ。
 男の子はしばらく眉間に深いしわを寄せていたが、やがて溜息をついて口を開いた。

「…………あんたはゾンビを見たことはあるか?」
「ええと、映画とかゲームでなら」
「そうか」

 え、なんなのその質問。どういう意味なの。っていうか話の流れ的に狩るのってゾンビなの。そして食う食わないってゾンビ肉?

 気まずい沈黙が訪れたが、それを破ってくれたのは女の子の声だった。

「……あんのチビデブ糞ハゲ、絶対ぶん殴ってやる」

 えらく物騒なことを言いながら女の子が身を起こす。まだ気分が悪いのか、顔色が優れない。

「えーと、大丈夫? 怪我は平気?」
「……死にはしないわ。あなたは?」

 女の子は一瞬こちらをうかがってから首を振って言った。胡乱な眼を向けられたと思ったが、この状況では仕方あるまい。それにしても眉をしかめるだけで大丈夫なんて随分とタフネスなようである。

「病院行きたいくらいには怪我してるけど……」

 実を言うなら、私だけ帰ろうと思ったら帰れる。本格的にヤバくなったら帰ろう。だがしかし、状況も分からないまま檻に入った子供(一人おじさんがいるようだが)を置いていくわけにもいくまい。

「ってぇな……」

 と、もう一人の男の子がもぞもぞと動き出した。彼も意識が戻ったらしい。
 仰向けに寝転がっていた彼はしばらく天井を見ていたようだったが、やがてはっとしたように跳ね起きた。

「なんだよ、これ。檻!?」

 随分と元気が良いようだ。



 ##########



 異常な状況に恭一が跳ね起きると、激しい痛みが全身を襲った。久方ぶりの痛みに恭一は思わず呼吸を止める。

 基本的に恭一は日本人のサガか安全至上主義である。彼の目的は安全な観光であって、スリリングな冒険ではない。スリリングに見せかけた絶対安全な観光なのである。その辺彼は自分が善良なる一般市民であるということを主張したい。彼は小市民かつチキンなのである。
 なので彼は並はずれた魔力を使って怪我を負う危険性はなるべく排除している。

 具体的に言うと、事前にセットしてある魔法によって命の危険が近づくと体が勝手に反応したり、防御結界が自動展開したりする、というものである。
 さらに怪我を負った場合は即座に回復、落石などの回復してもエンドレス地獄になるような場合には転移魔法の展開など色々なシチュエーションを想定して十重二十重に安全策が練られている。要するに彼はチキンだ。

 さて、そういうわけであるから恭一は自身の状態にかなり驚いた。
 自動治癒が働いていないどころか、普段から自分にかけている魔法がすべて解除されている状態だったからだ。ジョブすっぴんで装備は布の服という状態である。

 痛いのが嫌いでもある恭一は即座に魔法を行使した。するとあっさりと彼の傷は癒える。そのことにほっとしながら恭一は再び周囲を見回した。

「おーい、しょうねーん。大丈夫ー?」

 少し離れたところにある檻に入っている女性が声をかけてくる。見てみれば女性も怪我をしているようで、仕立ての良いスカートやブラウスに血が飛んでいる。

「俺は大丈夫ですけど……ここは?」
「んなの俺たちも知りてえよ」

 女性の隣にいた少年がぼやく。

「……いきなり魔法で呼び寄せられたと思ったら寄ってたかって殴る蹴るされた後にこの有様よ。悪趣味もいいとこだわ」

 恭一の隣に入った少女が不機嫌さを隠そうともせずに言った。
 ちなみに残る一つの檻に入っている中年男性は虫の息なのか、先ほどから喘息のような息をしているだけで意識が戻っていないようである。

「魔法? お前何ふざけたこと言ってんだよ」

 少年が顔をしかめる。が、訝しげな顔をしているのはその少年だけである。

「とっとと脱出した方がよさそうだな」

 恭一がどの攻撃魔法を展開しようかと考えるのと同時に、不機嫌だった少女もうなずいて小さな声で詠唱を始めた。恭一も適当な攻撃魔法を選択して準備を始める。

「は? 何の冗談だよ!?」

 明らかに自然光とは違う光を発し始めた二人を見て少年は驚愕していたようだったが、それのフォローをするのは後回しにしよう、と恭一は一人内心で決めた。
 少年のなりは恭一の知る日本人に酷似していた。人種的にも服装的にも。だが、彼の経験則からいって、異世界に来ている日本人というのは大なり小なり魔法が使える、あるいは誰かからのギフトが与えられているというのが一般的だった。恭一はそういった人たちのことを『先輩』と呼んでいる。
 が、今恭一の近くにいる少年は魔法に対して全く理解がないようだった。となると、彼は単に日本人に似た人種なのだろうと恭一は判断した。たまに異世界人が持ち込んだ自国の文化を土着のものと融合させることもある。未開の地で魔法を使わない部族がいないこともない。
 そしてそういう彼らに魔法のことを一から説明するのは正直面倒くさい。論より証拠である。

 少女からは白い光が、恭一からは赤い光が放たれた。
 通常ならばコンクリートだろうが鉄だろうが破壊するはずのその魔法は、しゅるりと灰色の檻に吸い込まれていった。

「は?」「え?」

 魔法を使った二人の声が重なる。

「さっきからなんなんだよ!」
「ちょっと黙ってて」

 少女が険しい顔で言うと少年は不満そうに押し黙った。

「魔法が吸収された……ように見えたな」
「普通なら多少の傷はつくはずだけど」

 隣の檻の少女と恭一は顔を見合わせたが、原因は不明である。
 恭一は再度構えると、今度は強めの魔法を使った。が、こちらも同様。魔法はするりと檻に吸い込まれて消えていった。

「ま、やり方変えてみるか」

 そういうと恭一は己の体に魔力を巡らせる。いわゆる身体強化の魔法である。一時的に魔法の補助によって怪力を発揮できるはずだ。

 恭一はむんずと鉄格子を掴んだ。ハルクよろしく左右にぐぐぐっと押し開けば人一人脱出するのは容易いはずだ。
 が、

「くっそ、この檻に魔力が吸い取られてる」

 五秒後には諦めた恭一が悪態をついた。
 檻に触れた場所から魔力が吸い取られ、魔法が無効化されていた。それどころか、魔力が吸われている気配すらある。

 現代日本人であった恭一は身体強化にそれほど重きを置いていない。そのため、魔法の恩恵があずかれない恭一は単なるもやしっ子である。鉄どころか鉛すら曲げられない。

「直接触れるとガンガン魔力がとられる見たいね。あまりこの中に長く居たくはないわ。魔力が枯渇しちゃう」

 少女は嫌そうに檻を見た。

「この檻は魔法では壊せないってこと?」

 それまで黙っていた女性が恭一に尋ねる。

「多分」
「つまり物理でやれと」

 苦々しげな恭一とは裏腹に、女性は至って冷静な様子である。

「物理的な道具を持ってるんですか?」

 駄目もとで恭一が尋ねると、女性は首をひねった。

「……キャンプの時に使う木槌とか日曜大工用の金ノコとかレンチなら冷蔵庫にあったかも」
「どんな冷蔵庫だよ!」

 女性の隣の少年が突っ込む。

「ほら、普段使いの道具をこう便利だから冷蔵庫に入れちゃったりするよね?」
「しねえよ! アホか!」

 少年の突っ込みは激しい。

「っていうか、冷蔵庫の中に入ってても今取り出せなきゃ意味ない――」

 恭一が呆れ気味な言葉は途中で途切れた。女性が大ぶりの木槌をどこからか取り出したからだ。
 女性は肩をすくめる。

「やってみる価値はあるでしょ?」

 そう言うや否や、女性はバッターよろしく木槌を振りかぶり、横なぎにそれを檻へとぶつけた。
 大きな音と共に、檻が砕け散る。檻はどうやら金属よりも石に近かったようである。

「……もろくて助かったけど、手がしびれた」

 木槌を取り落とした女性が呟く。

 その様子を檻の中にいた三名は茫然と眺めていた。

「あー、もう、無理。業務用の寸胴鍋に入ったシチューより重いもの持ったことないもん。これ以上酷使無理」
「業務用の寸胴ってかなり重いだろ!」

 茫然自失状態だったにも関わらず少年の突っ込みは健在である。
 しかしちょっとしたイリュージョンを披露した女性は、軽い言葉とは裏腹にかなり腕にダメージが来ているようだ。腕が細かく震えている。
 それに気付いた恭一は口を開く。

「すみません、そのハンマー、俺に渡してもらっていいですか。次は俺がやります」
「はいはい」

 女性の言葉は軽い。ちょっと心配になるくらい軽い。
 が、女性は恭一の言葉に従って木槌を檻越しに渡した。幸い、人が通り抜けることはできなくとも木槌ぐらいなら通る幅だ。

 さすがにもやしっ子と言えども女性にできて恭一にできないとは思えなかった。
 なので、彼も先ほどの女性にならって大きく木槌を振りかぶる。

 木槌と檻がぶつかる瞬間、石が砕ける感触と共に腕に痛みが走った。檻は一部が砕けており、なんとか男の面目は保てたようである。

「私にも貸してちょうだい」

 恭一の隣にいた少女が言う。恭一はその言葉に従った。

「なんだよ、木槌で砕けるってもろいじゃん」

 少女の反対隣りにいる少年は呟くと、体を開いて息を吸った。

「おい、まさか蹴り壊すつもりか? やめとけ、石ぐらいの強度はあるんだ。足の方がやられるぞ」

 恭一が思わず声をかけると、少年は鼻で笑った。

「大丈夫だ。安全靴だし、お前みたいにやわじゃねえし」

 カチンと来たのも束の間、言下に少年は宣言通り檻を蹴破っていた。しかも、壊れ具合から言って恭一の木槌よりも威力が強かったようだ。
 
「大した脚力ね」

 と、こちらもまた檻を自力で壊した少女が出てきながら言う。彼女はそれほど驚いていないように見えた。

「安全靴ってすごいんだ」

 と、女性が感心したように言っているが、絶対に違うと恭一は思った。もやしっ子の僻みではなく科学的に。
 しかし彼の知り合いには拳で大地を割りパンチの風圧で周囲をなぎ倒す男も女もいるので、一概にあり得ないとは言い切れないのが辛いところである。
 
「あ、少年、手枷外そうか? 冷蔵庫にバールあったから」
「だからなんで冷蔵庫にそんなもん入ってるんだよ!」

 ひんやりしたバールを持つ女性に少年が突っ込む。そもそも冷蔵庫はどこにあるんだと聞きたい恭一である。

「あの、バール使う前にちょっといいですか」

 と、恭一は声をかけた。
 胡乱なまなざしを向けられたことに肩をすくめつつ、恭一は一言『解錠』と呟く。
 今度は魔法は吸収されず、無事鉄の枷は外れて地面に落ちた。

「……なんだよそれ」
「いわゆる魔法だな」
「簡単そうな錠前だけど、ほぼ無詠唱で発動できるっていいわね」

 と、少女が感心したように言った。おやつがどうとか戸棚がどうとか小さな声で独り言をつぶやいている。もうちょっと有意義なことに使うものだと思うが恭一は聞こえなかったふりをした。

「魔法……」

 少年だけが現状を飲み込めず茫然と呟いていた。どうやら彼は魔法をまるっきり知らないらしい、と恭一は首をかしげる。

「ああ、そうだ。全員怪我治すから動かないで。『超回復』『浄化』」

 恭一の呪文と共に、その場にいた全員の怪我が治癒した。さらには血まみれだった衣服も綺麗になった。少年はさらに目を白黒させている。
 自身の不調がすっかり回復したことが分かった女性は表情を明るくさせ、恭一の肩をたたく。

「すごいなあ少年、ありがとう。関係ないけどこの魔法、ムキムキになったりしない?」
「……単なる回復だと間違って発動してしまう時があるんで区別用です。筋トレの時とかの超回復とは関係ない普通の回復魔法です」

 女性の言葉に恭一は乾いた笑みを浮かべた。
 ちなみに一般的な超回復というのは筋トレなどで筋肉が痛むくらいまで鍛えた後に一日二日休むと、トレーニング前より筋肉が増えるというものである。

「ならよかった。それじゃあ、最後はこの人助けなきゃだね」

 女性はそういうと、最後の檻を振り返った。
 随分と落ち着いた女性だな、と恭一は半分感心して半分呆れた。先ほどまで結構な怪我をしていたはずなのに、苛立ちとか緊張感というものが感じられない。

 さて、檻の中では太った男性がひゅうひゅうと喉を鳴らしていた。意識が戻っているかも怪しい。もう数時間でも放っておけば死んでしまいそうなほどの衰弱っぷりである。

「じゃあ俺が壊すから、見張っといてくれ」

 少年が少女から木槌を受け取りながら言う。

「そういや、こんなに大きな音を立ててるのに見張りの一人も来ないな」

 少年は警戒したように背後にある扉を睨みつけた。
 彼につられて振り返った少女は鉄の扉をしばし見ていたが、肩をすくめた。

「あのぶ厚そうな扉じゃ、外に聞こえてないんじゃない?」
「でも振動って結構伝わるもんだ。見張っとけよな」

 少年の横柄な言い方に少女はむっと眉をしかめたが、我が身の安全もかかっているので反論は避けて周囲へと気を配った。恭一もそれに倣う。

 探知魔法を展開させながら恭一はどうにも嫌な予感を覚えていた。
 何しろ、彼が探索魔法を展開しようとすると、この大きな部屋の壁にぶつかってしまった魔法が残らず吸収されてしまうのだから。

 召喚直後のご丁寧な対応といい、とかくろくでもない事情がある予感がするのだ。



 #####



 混濁する意識の中で、体中が痛みを訴えていた。
 遠くから声がするのだが、目もまともに開けられない。意味のある単語とすら認識できない。

 グレンは病気で寝込むことは多いし怪我で寝込むことも多い。故にある程度経験則から自分の具合がある程度意識が混濁していても分かるようになっていた。
 その彼をして察知していた。己の命の危機を。
 もともと虚弱体質なのだ。ほぼ無抵抗の状態から袋叩きにされ出血もしており、手当もしないまま冷たい床に放置である。大抵の人は衰弱する。

 が、突然グレンの体が揺れた。正確には、彼が横たわっている床が揺れたのだ。大きな音も耳に届く。
 目は相変わらず開かないが、グレンの意識は少しだけ浮上してきた。

 そして、彼の傍に人がしゃがむ気配がした。

「おい、おっさん大丈夫か」

 年若い少年の声の主は、うつ伏せだったグレンの肩を掴んで仰向けにさせた。

「……うわ、ひっでぇ面」
「そんなに怪我がひどいの?」
「いや、顔がひどい」

 女性の声に少年が答える。

「は?」
「とりあえず怪我もひどいっぽいし、運び出してくれ。そこだと魔力が吸われるから」
「へーへー。魔力ねえ。しかしでけぇ図体だな。檻半壊させといたのは正解だ。豚並みじゃん」

 少年はうんざりした様子で言いながらグレンの下に腕を入れる。
 身長で言うなら少年の方が高く、また彼の持ち前の怪力でもってグレンの巨体を背負った。

 檻の範囲から出て少年はグレンを床に下ろした。素早く恭一が回復魔法をかける。
 その時にグレンの顔を認識した他の三人は微妙な表情を浮かべた。

「あら。ちょっとしたモンスターみたいね」
「亜人の可能性もあるが……」
「少年少女、本人を目の前にしてそういう失礼なことを言わないの」

 彼女自身の感想はともかく、女性が若い二人をたしなめる。

「とにかく、回復だな。もう怪我は治ったはずなんだが……」

 しかし未だに意識が戻らないグレンに少年は眉をひそめた。グレンの体の状態をスキャンした彼はさらに眉間のしわを深くした。

「衰弱が他の人の比じゃねえな。ちょっと強化しとくか」

 言うが早いか、恭一から放たれた魔法によってグレンの体には活力がみなぎりだした。瞼が震える。

「お、意識戻りそうだな。大丈夫ですかー」

 恭一がグレンの体を起こしながら尋ねる。軽い調子ではあるが、グレンを気遣っていることは確かである。唸りながらグレンはようやく目を開けた。

 彼の目の前には、かつて見慣れていた人種の少年がいた。朦朧とした意識が覚醒に向かい、先ほどまで半ば眠ったような状態で聞いていた言葉を反芻し、その時に初めてグレンは彼らが何の言語を喋っていたかを理解して体を震わせた。

 グレンは遠い記憶を思い出しながらゆっくりと言葉を発する。

「君たちは……日本人、か……?」
「あ? 日本人だけど?」

 と、目つきの悪い方の少年が文句があるのかと言いたげに答える。が、グレンはそれを気にする余裕などなかった。
 グレンは信じられない思いで大きく息をついた。

「……日本語を聞くのは久しぶりだ」

 彼の言葉に他の四人はそれぞれ違った反応を見せた。

「なんだ、おっさん。日本語喋れんのか。日本に住んでたのか?」
「ああ、昔な」

 グレンは感慨深げにうなずいた。正確に言うなら彼の前世が日本人だったというべきだが、彼の日本人的常識からするとそんなことを言ったところで精神異常者と判断したためだ。

「私はグレンという。地方で――自治体の運営に関わる仕事をしている。さっきまでは執務室で仕事をしていたんだが、今現在の状況が把握しかねる。君たちは?」

 彼が視線を巡らせると、四人は微妙に表情をゆがめたがグレンは気にしなかった。口にしないだけましである。先ほど彼が意識を完全に取り戻すまでは好き勝手言っていたようだが。

「……俺は正也。日本人だ。仕事っつったら『家』の家事と外回りだ。出かけようとしてたらいつの間にか拉致監禁されてた。抵抗はしたが囲まれてボコられたから負けた。以上」

 と、少年が最初に口火を切った。正也と名乗った少年は隣にいる少年に目で自己紹介を促す。

「えーと、俺は恭一と言います。一応生まれと育ちは日本ですけど、今は違う国で暮らしてます。ここに来る直前は店にいたんですけど、魔法で強制召喚されたみたいですね。それ以上は分かりかねます」

 魔法という単語にグレンの眉がピクリと動く。が、とりあえずは様子を見ることにしたグレンは口をはさまずにおいた。
 恭一の次は少女の番だ。
 少女は複雑そうな表情で他の四人を見た後に肩をすくめた。

「真央よ。直前までは家にいたわ。召喚魔法で引っ張られたって予想はそっちの子と同じ。それと私の母は日本人だったけど、私自身は日本でも地球でも暮らしたことはないわ」
「は? 宇宙人ってか?」

 正也が眉をしかめた。彼の反応は一般的な日本人としてはおかしくはないのだが、今回集まったメンバーでは特異な反応である。

「違う惑星で生まれたということよ。母は地球で言うところの神隠しにあって、そのまま異国の地で客死したから」
「だからっ」
「ちょっと『大人しくして』『ちょっと黙っとけ』」

 話が進まないと悟った恭一が言うと、正也は唐突に黙った。ろくに身動きも取れない状況らしく、正也は憤然として恭一を睨みつけている。恭一はそれに手刀一つでの謝罪で済ませた。

 最後の一人である女性は悩ましげな顔をしていた。といっても深刻な内容ではない。この流れ的に、名前のみを名乗るべきか名字も名乗るべきか悩んでいるのである。
 が、逡巡は短く、愛想のよい笑みを浮かべて言う。

「晶子です。日本生まれ日本育ち、対外的職業はツアーコンダクターです。特技は手品です」
「ほう、手品か」

 と、グレンが感心したように呟く。
 が、それ以上に突っ込みどころはいっぱいあると他の三人は思っていた。

「えっと、晶子さん? 手品ってもしかしてさっきのハンマー取り出したこととかだったり?」

 恭一が半笑いで尋ねると、晶子はにやりと笑った。

「なんだったらハトも出せるよ。ほら」

 言ってから晶子は何もない空間へと手を伸ばした。
 かと思うと、次の瞬間には彼女の手にはハトがあった。ただし、

「加工後なのね」

 と真央が呆れたように言う。
 そう、晶子が持っているひんやりとしたお肉は頭も落としてあり羽もむしってある、加工済みの食肉であった。ぱっと見は丸焼きにする前の七面鳥に似ている。足を掴んでいるせいでだらりと垂れた姿が異様である。
 
「生きてるハトを締めて羽をむしってから調理するなんて面倒くさいじゃない」
「何故手品で出すハトが食べる前提なんですか」
「だって普通冷蔵庫には食べ物入れるでしょ。今ならボタン肉とかさくら肉もあるわよ」

 恭一の問いにさも当然のように答えながら晶子はハトをどこかへとしまった。
 じゃあなんであんたは冷蔵庫に木槌やバールを入れてたんだという突っ込みを入れる気概のある若者はいなかった。正也についてはまだ喋れないだけだが。

「正直日本人ばっかりっていうからもっと常識人ばっかりかと思ったけど恭一君も真央ちゃんも魔法使ってるし言っちゃうけど、私の特殊能力なのよ。以前に違う異世界に召喚された時に貰ったんだけど、私がどこにいても自宅の冷蔵庫と空間をつなげるっという能力」
「範囲狭っ」
「やっぱりそう思うよね」

 晶子は恭一の言葉にうんうんとうなずく。

「本当は空気中に魔力があるところでしか使えないっていうものだから日本では使えなかったんだけど、それじゃ不便だからって友達に魔力発生装置作ってもらったからこうしていつでもどこでも使えるってわけ。で、その能力を生かすためにうちの冷蔵庫は魔改造してあるから結構品ぞろえは豊富だよ。特に食材」
「そりゃあ冷蔵庫ですからね」

 恭一は呆れたように言った。
 そして思いついたようにパチンと指を鳴らす。が、彼の望んだ反応は返ってこなかった。

「……なんか俺の方は店につながらないしリンク切れっぽいんですが」

 難しい顔をする恭一に、晶子は軽い調子で答えた。

「私のは異世界にいる前提の能力だけど、恭一君のは?」
「……いえ。同じ世界にいる前提です」
「ならそれかもね。共鳴する標識があるならなんとかなるんじゃないかな」

 そのやりとりを見ていた真央は複雑そうな顔で呟いた。

「日本では魔法なんておとぎ話や小説の中にしか出てこないものなんだって私の母は言ってたけど……」
「本来ならその通りのはずだがな」

 ようやく喋れるようになったらしい正也が苦々しげに言った。
 二人のやりとりに晶子が笑う。

「私のは奇跡の産物だよ。日本には魔族も魔物もないから魔力が生産されてないし、人間の体内に魔力を製造する器官がないから普通は魔法が使えないはずだからね」
「ま、俺も奇跡の産物だな。知らない男に拉致されたと思ったら底抜けの魔力を持って使える改造人間になってた。こうなるまでは魔法は創作物の中にしかないと思ってたよ」

 と、恭一が肩をすくめる。その肩を晶子がぽんと叩いた。

「よし、あだ名はキャシャーン恭一と仮面ライダー恭一、どっちがいい?」
「どっちもよくないです」

 恭一が返すとグレンがふっと吹きだした。

「キャシャーンや仮面ライダーなんて何年ぶりに聞いただろうな」
「まあ普段の会話で出るような単語でもないですけどね」

 と晶子が笑う。

「あのさ、そういうのどうでもいいから後でやれよ。今の状況分かってんのか? 呑気すぎんだろ」

 と、若干苛立ったように言ったのは正也だ。全くの正論であったために晶子は首をすくめて黙ったのだった。



   ###



 母の同郷の人間は、どうしてなかなか規格外な人ばかりだった。今度は心因の頭痛がする。
 誰だ、日本人は魔法が使えないとかそういうのはフィクションだと思ってるとか異世界トリップなんてするわけがないって言った人。母か。 

 まあ彼女のした体験も寡聞にして聞いたことがないと言っていたし、先ほど晶子という女性も恭一という子も自分たちが奇跡の産物であると言っていた。こういうことも稀にあるのだろう。あるいは、そういう面々が集められたのか。

「私としても、早く家に帰りたいのよね」
「けどどうやってだよ」

 正也という少年がいらついた様子でこちらをにらんでくる。先ほどから理解がうまくいっていないのは彼も同様なようで、目に見えて苛立っていた。魔法が存在していないという彼からすれば、荒唐無稽なことばかり言われて腹立たしいのだろう。
 けれど残酷なことながら事実だ。

「私たちを呼びつけた本人たちに聞くのが手っとり早いでしょ」
「なるほど、締め上げるんだな」

 正也はうなずく。単純明快な答えである。

「それは賛成なんだが、ちょっと問題がある」

 と、声を発したのはグレンだ。太っているせいか、無駄に重低音が腹に響いて威圧感のある声である。やっぱりこの人モンスターっぽいな。あるいは魔王をやっても様になりそうだ。

「恐らく、私がこちらに来た時に部下も一緒にいたはずなんだ。意識を失う直前に彼の声がした。しかし何故かここにはいない」

 彼の言葉に思わずはっとした。

 そういえば、目が覚めてから驚天動地の出来事が次々起こったせいで忘れてたが、私の他にも召喚されてた奴がいたじゃないか。

「そういえば、私のところもよ。預かってる子供の声がしたから、多分一緒に来てたはず」
「……もしかしたら俺のとこの従業員も来てるかもしれない。襲ってきた連中が亜人がどうこう言ってたし……いや、でもあいつには防御魔法をかけてたし……」

 私の言葉につられるように恭一がぶつぶつと呟く。

「お前は捕まってるけど向こうは無事だってか?」

 正也が冷静な声で指摘する。
 私はふと思い出した。

「そういえば、捕まった時に手錠みたいなのをつけられた途端に力がとられるような感覚がしたわ。もしかしたら、あの檻と同じようなもので作ったものだったのかもね」

 私の言葉に恭一の顔が青ざめた。
 
 どうやら私たちは自らの帰還と合わせて仲間の救出もしなければいけないらしい。

 



*************************


 続かない。

 2012年くらいのエイプリルフールのネタで、仕込んだ謎を全部といたら入れる部屋に設置していましたが誰も入れなかったのでお蔵入りされてました。

 その後の展開としては

・有翼人飛翔
・ゾンビが襲ってきたけどむしろ殺して食って全員どん引き
・魔法無効の立てこもりに対するバルサンテロ
・恭一のチート魔力によるごり押し解決

 などを考えていたはずですがデータが行方不明に……
 とりあえず残ってる分だけでも掲載したいもったいない精神です。
Copyright(C)2014 Ballast All rights reserved.
a template by flower&clover
inserted by FC2 system